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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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西村修平事件第7回口頭弁論(その8)
事情聴取に応じた父親と弟

 朝木明代の転落死に関し、遺族・関係者の中で東村山署の事情聴取に応じていないのは長女の朝木直子ただ1人である。転落死当日の平成7年9月1日、松戸を出発した車に乗っていた4人の中でただ1人「胸騒ぎ」を覚えていた朝木だけが事情聴取に応じないとはきわめて不自然なことではあるまいか。

 これまでみてきた事実から明らかなように、朝木の「胸騒ぎ」を引き起こした原因は9月1日午前中から松戸を出発するまでの間に明代と交わした会話にあった可能性がきわめて高い。その「胸騒ぎ」が「母親は何者かに命を狙われている」と強く感じさせるものだったとすれば、「殺された」とする朝木の主張とはなんら矛盾しない。したがって、朝木にはむしろ自ら積極的に事情を説明する理由はあっても事情聴取に応じない理由はないはずなのである。

 東村山署が朝木に事情聴取を要請しなかったという事実もない。東村山署は平成7年9月18日に父親大統の、9月25日に弟の事情聴取をそれぞれ行っているが、東村山署は当初から朝木に対しても事情聴取を要請していた。

 東村山署が電話で朝木に対して最初に事情聴取の要請を行ったのは9月6日である。応対したのは女性(朝木本人であると思われる)で、「今忙しいので検討してから連絡する」との回答だったという。9月14日、朝木と矢野が弁護士らを伴って鍵の確認に来た際、東村山署は朝木に対して事情を聴取しようとしたが、朝木は再度出頭するといってわずか30分で退出している。

 その後、大統の事情聴取が行われた9月18日には弟と朝木に対する事情聴取を要請し、9月21日と9月25日にも弟に対して朝木からも事情を聴きたい旨依頼している。しかし、朝木からはついに何の連絡もなかった。

 東村山署は9月5日以降、朝木の遺族だけでなく矢野にも頻繁に事情聴取を要請している。矢野がようやく事情聴取に応じたのは1カ月後の10月7日である(この日矢野はアリバイを主張した「日替わり」ランチが売り切れだったことを知らされ、供述を二転三転させた)。

 この間の遺族および矢野に対する事情聴取のもようを読者はどうみるだろうか。比較的素直に事情聴取に応じたのは万引き事件の実情を知らされていない大統と弟で、万引き事件でアリバイ工作を共謀した矢野はすぐには聴取に応じず、松戸を出発する時点で「胸騒ぎ」を覚えていた朝木は事情聴取には応じていない。

朝木が事情聴取に応じなかった理由

 矢野は10月7日にようやく応じたものの、万引き事件については調書化に至らず、12月7日、別件で東村山署にやって来た矢野に捜査員が聴取を要請すると矢野は「頭に来たから行かない」と拒否したきり15年が過ぎた。この時点で矢野はアリバイの立証を放棄したのである。朝木に至っては、平成7年9月14日に鍵の確認に来た際には「改めて出頭する」と約束したにもかかわらず、その後15年間、東村山署に連絡さえない。

 朝木はともかく、矢野は遅かったとはいえ一応は事情聴取には応じているではないかという反論もあろう。しかし、明代の万引きと転落死事件に関して矢野と朝木の立場は同じではない。明代の万引きと自殺が明らかになれば自分の社会的信用や地位も危うくなるという点では矢野と朝木には共通点があるものの、事件そのものへの関与という点では、アリバイ工作を共謀した矢野と、松戸へ逃げていて事件そのものには関与していない朝木とでは東村山署に対する対応もおのずと異なる。

 矢野にとって事情聴取とは、自らの犯罪的行為を否定するための場でもあった。万引き事件に関する捜査機関の調査はまだ続いていたさなかだったからである。朝木にとっては自らの潔白を証明しなければならないような事情はまったくなく、純粋に自らの知る明代の当時の様子、当日の自らの行動などを説明する場にすぎなかったという明らかな違いがある。

 東村山署から頻繁に要請されているにもかかわらず事情聴取に応じない一方、矢野と朝木は9月2日以降、集まったマスメディアに対しては矢野がすべての窓口となり、「資料」を作成するなどして取材に応じていた。とりわけ『週刊現代』や乙骨らとは飲みに行くほどの関係を作り上げていた。つまり、東村山署には事情を知らない大統と弟を行かせ、自分たちはマスメディアを相手に謀殺のストーリーを流し続けた。

 そんな状況の中で、矢野はともかく朝木が東村山署の事情聴取に応じようとしなかった事実は何を物語るだろうか。マスメディアに対してと同様に「明代は殺された」と自信を持って説明できるのなら、事情聴取の要請に対して朝木が応じない理由は考えられない。するとやはり朝木は、マスメディアには決して明らかにできない何か、つまり明代の転落死が他殺ではないことをうかがわせる重要な事実を自らの経験として知っており、それが事情聴取によって暴かれることを警戒したということではないのか。

 松戸を出発する時点で感じていた「胸騒ぎ」の原因が、「他殺」を予感させる種類のものだったとすれば、事情聴取に応じてその旨をありのままに話せばよかろう。しかし朝木がそれをしなかったのは、9月1日、明代からの電話によって「他殺」とは異なる事態が起きかねないことを感じていたということではないのか。朝木が東村山署の事情聴取を拒否した事実はむしろ、朝木が感じていたという「胸騒ぎ」の原因が「他殺」以外の事態を予感させるものだったことを推測させるのである。

(つづく)
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