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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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東村山街宣事件一審判決(その10)
根強い煽動の影

 平成22年9月1日、私は街宣開始予定時刻の30分ほど前に東村山駅前に到着した。私には街宣開始前に確認しておきたいことがあった。実はその日の昼ごろ、さほど大きくない花束を抱えたジーパン姿の若者が1人、東村山駅からいったん万引き被害者の店方面に向かい、数分後にまた駅方面に引き返してきたという目撃情報が東村山市民から寄せられていた。その若者が花束を最終的にどこに持って行ったのかまでは確認されていなかった。

「行動する保守」Aらによる2度の東村山街宣などの結果、明代の転落死が「万引きを苦にした自殺」ではなく、万引き犯にでっち上げられた末に(宗教団体によって)自殺を装って殺害されたと思い込んでいる者がまだ多くいることは明らかである。さらにすべての東村山デマの発信源である東村山市議の矢野穂積が万引き被害者に対する嫌がらせを煽動したという経緯もあり、花束を抱えた若者が嫌がらせの意図をもって洋品店に近づいた可能性は捨てきれなかった。現実に矢野の煽動後、洋品店には頻繁に嫌がらせ電話がかかっているという事実もあった。

 若者が「行動する保守」Aと矢野にたぶらかされた者なのか、まったくの無関係の市民にすぎなかったのか。花束をどこに持って行ったかが確認できれば、若者の行動を推測することができよう。私は千葉や街宣を見に来ていた市民2名とともに転落死現場のビルに向かった。そのころ、東村山駅東口ロータリー周辺に「行動する保守」とおぼしき者の姿はまだ見かけなかった。

 現場ビルに着き、平成20年9月1日に「行動する保守」Aが矢野、朝木直子とともに追悼の献花を行った周囲をざっと見渡すが、花束は見当たらない。捨てられたのだろうか。そう思いながら、私はフェンスで仕切られた隣のビルとの隙間に目を凝らした。

 隙間は30センチほどで、空き缶などのゴミが散乱している。するとその中に、薄茶色の紙で包んだ花束が1つ、捨てたように置かれていた。包装紙の色は目撃情報と一致しており、まだ汚れもほこりも付いていない。中にはまだ生き生きとした黄色の菊が3、4本入っていた。もちろんこれだけでは断定はできないが、東村山市民から寄せられた情報の若者が置いていったものである可能性がきわめて高いと私と千葉は判断した。

 死者を悼む気持ちそのものを否定するつもりはない。しかしそれが、矢野によって万引き事件は捏造だったと信じ込まされ、明代は殺害されたのだという妄想に基づくものだったとすれば痛ましい話である。若者は妄想に支配され、人生の貴重な時間を浪費したということになるまいか。

 余談だが、私が妄想の花束を撮影していると、後方から「勝手に写真を撮っちゃダメだよ」と声をかけてきた者がいた。右翼Mだった。私が「献花ですか」と聞くと、右翼Mはこういった。

「おれとケンカやるのか?」

 さすがに日本拳法の達人というべきだろう。右翼Mはなにやらパソコンを抱えた年配者とともに転落現場を見に来たらしかった。「殺害」の証拠でも探そうとでもしたのだろうか。

 現場ビルを離れてロータリーへ向かっていると、府中街道につながるロータリーの出口付近に公安関係者らしき数人が到着していた。しかしまだ、支援者らしき者は1人もいなかった。 

退屈きわまる街宣

 そんなちょっとした前哨戦もあったが、右翼Mの街宣は予定どおり午後4時15分過ぎに始まった。街宣開始時刻には7名の支援者が集まっていた。有名どころは女傑Mだけで、あとは私にはなじみのない顔ぶれである。違法性を問われかねない右翼Mの街宣活動に参加した支援者たちは、女傑Mを筆頭に「行動する保守」一行の中でも選りすぐりの精鋭なのだろうと推測された。

 さて、街宣禁止命令が出されている中であえて街宣を強行する以上、その内容が後退したものでは意味がなかろう。しかしその内容は、右翼Mが「1人でもやる」と息巻いて強行したわりには目新しいものは何もなかった。

 右翼Mは街宣の冒頭で「朝木明代が創価学会を批判していた」「転落死事件は自らの意思で飛び降りたものではないことが誰の目にも明らかであるといわれている」「万引き事件は冤罪であるにもかかわらず書類送検された」「創価学会という組織は邪悪な集団である」などと述べ、さらに「今回の創価学会による提訴は言論弾圧を目的とした訴権の濫用である」「今回の判決は公正なものではない」などと主張した。総合的に判断して創価学会に対する名誉毀損に当たるか否かは別にして、直接的な表現を避けたことがわかる。

 ただ右翼Mとしては、不法行為になるのを避けるだけではやはり「ネット右翼とは違う」右翼としてのプライドが許さなかったらしい。右翼Mとしては不法行為を避けながら、本心を伝える方法はないかと思案したのだろう。その方法として右翼Mが考え出したのが街宣禁止の仮処分決定をそのまま引用することだった。

〈(街宣禁止命令では)「この『朝木明代さんの死というものは創価学会によって殺害された』といって誹謗中傷してはならない」ということでありますので、私は現在、これに従いながら訴えをしております〉

 右翼Mなりに工夫したことはわかるが、はたしてこれで不法行為を免れられるのだろうか。心配なのは、右翼Mだけでなく支援者たちが首から下げたプラカードの文言が街宣をより悪質なものにしてしまっていることである。プラカードには以下のような文言が記載されていた。

〈朝木明代市議謀殺事件! ヤクザと結託 自殺と見せかけた 警察は明らかに判断を間違っている〉

〈創価学会は犯罪的な集団〉

〈邪教集団による言論弾圧を許さない〉

〈東村山転落事件 時効目前! 創価学会による司法介入許さないぞ〉

〈オウムに匹敵する殺人集団 創価学会は日本から出て行け〉

 名誉毀損が成立するかどうかは発信者の意思にかかわらず、受け取る側がそれをどう理解するかによる。プラカードの文言と街宣内容を総合すれば、聴取者が「朝木明代は創価学会によって殺害されたと主張している」と受け取ったとしてもなんら不思議はないと思われた。

 平成22年9月1日、右翼Mがわざわざ違法行為の危険まで冒して東村山までやって来て行った「追悼街宣」のうち、明代の転落死に関連した街宣はわずか20分でしかなく、どういうわけか右翼Mはその後の20分間を街宣前に千葉や私と遭遇したことや何の関係もない中野区の話に費やした。きわめて中途半端な、情けない街宣だったというほかない。

矢野と朝木は高見の見物

 この日の街宣は複数の私服警察官が監視していた。右翼Mが再び万引き被害者の店に行く恐れは十分にあった。右翼Mは街宣終了後、駅前の喫茶店に入ったが、東村山を離れるまでは監視を解くことはできなかった。約1時間後、支援者とともに喫茶店を出てきた右翼Mは周囲をうかがって公安がまだ待機していることを確認すると、洋品店に近づくことなく東村山駅に向かった。右翼Mなりに状況を判断したのだろう。その判断は間違っていない。

 こうして右翼Mは公安の監視の下、違法行為の危険を冒してまで街宣を敢行したが、では右翼Mにここまでデマを信じ込ませた張本人である矢野と朝木がこの街宣に何か協力したのかといえば、そんな形跡はまったくみられなかった。

 その日は東村山市議会が開かれていたが、午後3時には散会している。矢野と朝木が街宣に参加しようと思えば時間的には十分に可能だった。しかし矢野と朝木は、過去2回の街宣には参加(平成21年の街宣は朝木が姿をみせた)していたにもかかわらず、今回の街宣には顔さえみせなかったのである。とりわけ「行動する保守」Aらが行った平成20年の最初の街宣の際には、矢野と朝木は朝から喪服を着るほどの力の入れようだったことを考えると、その対応には雲泥の差があるようにみえる。

 同じ趣旨の街宣をするのに、主催者によって対応が変わるとは不可解な話だった。しかも矢野と朝木はこれまで「行動する保守」一行とは政治的主張を超えて(「反創価学会」という点では立場を同じくするが)協力してきた関係にある。それが右翼Mに限ってはなぜ無視したのだろうか。

 右翼Mと行政書士に対して街宣禁止と110万円の支払いを命じた判決もその理由の1つとみられた。ヘタに関われば不法行為の巻き添えにされかねないと考えたとしても不思議はあるまい。しかも右翼Mは洋品店を襲撃さえしかねない。矢野と朝木が右翼Mを敬遠したとしても無理はなかった。

 しかも矢野と朝木はすでに「明代は創価学会に殺された」と公言して200万円の損害賠償を命じられており、また彼らの主張する「万引き冤罪説」と「他殺説」が裁判所に通用しないことは十分に認識している。したがって、彼らはもう不特定多数に向けてそのような主張はできなくなっている。

 しかし右翼Mのように彼らのデマを妄信する者がいて、その者たちがデマ宣伝を繰り広げてくれるぶんには何の問題もない。矢野と朝木は高見の見物をしていれば、違法行為の責任はすべて「行動する保守」一行がかぶってくれるというわけである。

 2日前に右翼Mが矢野・朝木に対する嫌悪感を述べ、矢野と朝木が10月2日に行った「追悼集会」には「行動する保守」A、西村修平、行政書士といった「行動する保守」の歴々が顔を揃えたが、右翼Mだけは参加しなかった。しかしそれが、自分たちは矢野と朝木に利用されたと感じたためなのかどうかは定かではない。

(了)
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