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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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少年冤罪事件 第2回
今度は少年を民事で提訴

 捜査機関が暴行事件に少年は無関係と認定したことで、少年に降りかかった災厄は過ぎ去ったかに思われた。しかし、いきなり警察に突き出されてから3年後の平成10年9月、少年のもとに東京地裁八王子支部から1通の訴状が送達されたのである。原告は矢野穂積。請求内容は、平成7年7月16日、被告(少年)が矢野に対して暴行を働いた件について、治療費、慰謝料等、計71万4980円(および延滞金)の支払いを求めるというものだった。

 ところで、現在の民事訴訟制度では、それがどんな内容であろうと、形式が整っていれば提出された訴状はすべて一応は受理される。したがって、まるで見ず知らずの人物から、まるで身に覚えのないことでいきなり訴えられるということも理論上は起こり得ることになる。その場合でも、訴えられた側は身に覚えがないからといって応訴しないわけにはいかない。放置すれば原告の主張を全面的に認めたとみなされ、原告の請求が全面的に認められることになるからである。

 21歳になっていた少年の場合、警察に突き出された時点で原告、被告の双方が会っていることは事実だが、2人の間になんらかの利害関係が発生しているといえるのかといえば、少年は矢野から一方的に犯人呼ばわりされただけであり、実際には見ず知らずの関係にあるという本質になんら変わりはない。しかし、その訴えが少年にとっていかに理不尽なものであろうと、少年が矢野とは無関係であること、さらに矢野の訴えの理不尽さを公定力をもって確定させるには応訴するしかなかったのである。

 では、訴状から、矢野のいう暴行事件について見ていこう。矢野のいう暴行事件は、平成7年7月16日午前3時20分ごろ、東村山市の中心部から遠く離れた住宅街の路上で起きた。朝木明代が窃盗(万引き)容疑で書類送検されてからわずか4日後のことである。訴状で矢野は、驚くべき記憶力で事件について詳細に説明していた。矢野の説明を聞こう。

[第1現場]
 その夜、東村山駅近くの「草の根」事務所から自転車で帰宅途中の矢野が現場付近にさしかかった。すると、道路の中央で男が大の字になって寝ており、若い男の二人連れが「危ないですよ」と声をかけていた。矢野が二人連れに「もう遅いので、その男を道の端に移動させて帰ったらどうか」と声をかけると、二人は男を抱えて移動させたあと、車に乗って引き上げた。

 矢野もそのまま現場を離れようとしたそのときである。寝ていたはずの男が突然起き上がり、矢野の自転車をつかんで引き止めると、胸ぐらをつかんでネクタイを引っ張るなどしたためワイシャツのボタンが飛び散った。このとき犯人の顔は目の前にあり、その時間もかなり長かったので、矢野は犯人の顔を鮮明に記憶した。犯人は茶髪で長髪、浅黒い顔だった。

 矢野は男に「乱暴はやめなさいよ」といったが、男は「警察にはいうな」「傘を捨てろ」などといいながら、今度は矢野の頭部を脇で抱えるようにして締め上げ、腹部や胸部に膝蹴りを入れた。男は甲高い声だった。

 その間、矢野は無抵抗のまま耐えていたが、その現場から60メートルほど離れた家によく吠える猛犬がいたことを思い出した。そこで矢野が、首を締められた状態のまま少しずつその家の方に体を移動させたところ、犬が激しく吠えたため、男は暴行を中止した。男は矢野の自転車のところに戻り、自転車をハンドルを上にして縦方向に持ち上げ、激しく路上に叩きつけたあと、自分の自転車に乗って三叉路の北側に逃げ去った。

[第2現場]
矢野が叩きつけられた自転車を乗れるかどうか確かめると、なんとか乗れる状態だった。それで矢野は自転車に乗ってそのまま自宅方面に向かった。そして、正福寺という寺の墓地を過ぎて300メートルほど行ったときである。いきなり背後から甲高い声がしたと思うと、次の瞬間、矢野は自転車ごと突き飛ばされ、路上に投げ出された。

男は再び矢野に暴行を加えた。しかし矢野は、「もし暴力で応酬すれば、今度は“暴力議員”にされかねない」と考え、数分間に及ぶ男の暴行に必死で耐えながら、何度も大声で「助けて」と叫んだ。このとき、犯人の顔だけは記憶しておかねばならないと必死に相手の顔を確認すると、さきほどの暴漢と同一人物だった。

 ちょうどそのころ、運良く正福寺の墓地近くにたむろしていた20歳前後の男女数人のグループがあった。矢野の声を聞きつけた彼らはすぐに駆けつけてきた。これに気づいた男は多摩湖町方面に自転車で逃走したが、若者数人が自転車やバイクで男を追跡、男の名前を特定した。男はこの若者グループと顔見知りだったことが判明した。

 一方矢野は、若者グループの中の1人の女性に110番通報を依頼した。まもなく駅前交番から警官が来て救急車を呼び、その後東村山署からも2人の刑事がやってきた。矢野は救急車で東大和病院に運ばれて応急処置を受けたあと、2つの現場で実況検分に立ち会った。

 平成7年7月18日、矢野は東村山署に被害届を提出。しかし、東村山署は矢野本人に対する正式な事情聴取もしないまま1カ月も放置、ようやく矢野を聴取したのは8月13日だった。…………

 以上が、訴状における事件発生時に関する矢野の説明と主張で、矢野の記憶した犯人の顔と少年の顔の特徴が一致しているとして、矢野はこの少年がこの暴行犯だと主張していた。通常、とりわけこのような暴行事件の場合、当事者は興奮状態となって細かな状況や経過までは記憶していないのが普通で、むしろ何もない状況で記憶することに集中していたとしてもこれほど緻密に記憶できる人間はそうはいまい。超人的な記憶力というべきだろう(余談だが、この矢野の記憶力をもってしても、明代の万引き事件におけるアリバイ主張が客観的事実と著しい齟齬をきたしたとは不可解な話というほかない)。

 ただし、前述もしたとおり、最後の「東村山署が矢野に対する正式な事情聴取をしないまま1カ月以上も放置した」とする記載は客観的事実に反する。東村山署は矢野に説明を求めたが、矢野は「被害者」であるにもかかわらず「多忙」を理由に事情聴取に応じなかった、というのが客観的事実である。

 さて、矢野の細かなディテールにわたる記憶が正しいとすれば、矢野が「犯人」と主張する少年に関する記憶も正しいとみるのが自然だが、はたして裁判はどう進行し、また裁判所は矢野の請求に対してどんな判断を下したのか。


(第3回へつづく)

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