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「行動する保守」事件 第6回
「行動する保守」Aの釈明

 平成23年1月19日午前、「行動する保守」Aのブログに次のような「お知らせ」が掲示された。

〈本日私が訴えられた裁判が東京地裁立川支部で午後から行なわれますが、弁護士と打ち合わせの結果、弁護士だけが裁判に出席することになっており私は今回は出席致しませんのでお知らせします。〉

 これが掲示された時点ではまだ「行動する保守」Aと弁護士との間でどんな「打ち合わせ」が行なわれたのかは定かでない。しかし急用なら弁護士との間で「打ち合わせ」する余地はないから、「行動する保守」Aは急用以外の理由で弁護士との「打ち合わせ」を行なったということになる。

「打ち合わせ」をした理由としてとりあえず考えられるのは、延ばしに延ばしたにもかかわらず、具体的中身のない準備書面の問題だろうと私は考えていた。「行動する保守」Aはこのまま真実性・相当性の主張をしないまま、すなわち「内部告発」を明らかにする責任から逃げるつもりだろうか。さすがの支援者たちも「行動する保守」Aの本心を察知し始めたのか、法廷には支援者とおぼしき人影は皆無だった。

「行動する保守」Aは、この日提出した準備書面2に真実性・相当性(とりわけ「内部告発」の事実)についての主張がいっさいなかったことに批判が集中したため、その言い訳をしておく必要があると考えたようである。口頭弁論翌日の1月20日になって「出廷しなかった理由」を自ら次のように釈明した。



 私の評論・論評は裁判所の下したこのような結果(過去に千葉が争った多くの別件裁判の結果)を踏まえ、この事件の真相究明を行なっているだけであって、それ以外の何ものでもありません。

 既に裁判で何度も争われその結果は出ています。私の評論活動はその裁判所が下した範疇の中にあるもので、それを超えるものではないという主張です。

 ……私としては裁判官がどちらの判決(千葉が勝訴した判決か敗訴した判決か)に軍配を上げるのかを待つだけです。

 これこそ早期の決着を求めたものであり、私としてはこれで結審すると思っていました。逆にまた次回期日が入ったことのほうが私には意外でした。



 私はこれほど(敵味方を含めて)人間をナメ、誠実さや責任などすべてに対して投げやりな言葉を知らない。事実を正面から見ようともせず、その態度のどこが悪いと開き直ったようにもみえる。

 あるいは論点のすり替えというのだろうか。もっともらしく聞こえるが、これまでの判決はそれぞれの具体的記載内容についてそれぞれ判断したもので、なんらかの「範疇」などという曖昧なものを示しているわけではない。ところが「行動する保守」Aは千葉が問題としている記載について「裁判所が下した(判決の)範疇の中にあるもので、それを超えるものではない」とし、だから「内部告発」の内容など真実性・相当性の主張・立証は必要ではないと主張していると理解できた。

 逆にいえば「行動する保守」Aは、準備書面2で「内部告発」の真実性・相当性に触れなかったことを正当化させるために、「範疇」などというわけのわからない屁理屈を持ち出したということである。「行動する保守」の重鎮として敬意を集め、あるいは「内部告発」の「事実」を唯一明らかにできる人物として期待されてきた者の言葉とも思えなかった。これでは真実性・相当性の立証すなわち「朝木明代謀殺事件」の「真相究明活動」から逃げたと評価されてもやむを得まい。まれにみる卑怯者である。

診断書の日付に疑問 

 さて1月19日に開かれた第4回口頭弁論は、「行動する保守」Aの代理人に対する裁判長の注意から始まった。裁判長は準備書面の提出が口頭弁論前日だったことについて「提出期日については連絡していたわけですし、書面の提出が口頭弁論前日では困ります。これまでの経過もありますから代理人は配慮してほしいですね」(趣旨)と苦言を呈した。今回の準備書面の提出について「行動する保守」Aに対し裁判長は期限を指定していたようである。

 第2回口頭弁論から第3回口頭弁論までに2カ月の時間を与えたにもかかわらず、代理人が「急病」を理由に書面を提出しなかった経過からすれば、裁判長が提出期限を設定したとしても無理はあるまい。それがいつだったのかは明らかではないが、通常、民事裁判では準備書面の提出は1週間前には提出を求められる。したがって、裁判長の設定した提出期限は1月15日以前だったとみるのが自然である。「行動する保守」Aによれば、「行動する保守」Aは1月15日に弁護士との「打ち合わせを終えていた」というが、すでにその時点で締切を過ぎていたということになろうか。

 これで弁論に入るかと思っていると、裁判長から被告代理人に対して千葉や傍聴人が予期していなかった確認が行なわれた。細部の事情まではわからないものの、裁判長は代理人に対して「診断書の日付はどういうことですか」と訊いている。前回「急病」で出廷せず、準備書面も提出しなかった代理人に対して裁判長が診断書の提出を求めていたのだろう。裁判長が「急病」の真偽を疑ったのかどうかは定かでないものの、代理人が提出した診断書の日付は裁判長を納得させるものではなかったようである。

 そのせいかどうか、裁判長は代理人に対してあらためて体調を尋ねた。すると代理人は「正月にゆっくり休んだので大丈夫です」(趣旨)と答えた。裁判長は代理人にまた「急病」になられても困るから、一応回復具合を確認したのだろう。代理人の返答は「もう急病にはなりません」という趣旨であると私は理解した。

 国民の人権を守るべき弁護士がたびたび「急病」によって裁判を遅滞させるようなことは避けなければならないし、遅滞に際して仮病が疑われるなど論外である。弁護士としての信用にもかかわろう。裁判長はこの短いやり取りにおいて「言質を取った」と言い換えてもいいかもしれない。

屈辱的な1日

 被告代理人に対する裁判長の対応は病み上がりの者に対するものとしてはやや厳しいようにもみえたが、裁判長の姿勢は準備書面の内容とも関係していたのではないかという気もする。前述のとおり、「行動する保守」Aは準備書面2においてなんら真実性・相当性の主張・立証をしていない。それどころか、この内容なら答弁書の段階で提出することも難しくはないように思えた。

「行動する保守」Aは真実性の立証(「内部告発」の立証)から逃げただけとみえるこの準備書面について、ブログではそれがあたかもまともな反論であるかのような言い訳を並べている。しかし裁判長の見方は異なっていたようである。裁判長は準備書面2に対して次のように述べた。

「別件事件の判決(「東村山の闇」事件)があったことはわかりましたが、本件では別件とは異なる具体的な反論が必要だと思います。次回までに本件記事に則して個別に記載の理由、目的などについて具体的に主張して下さい」

 記事の記載の主体、媒体、記載日時、表現内容、記載の態様、目的などが異なれば、それはもうまったく別の表現であって、他に似た事例があったとしても単純に同一のものとして扱うことはできない。「ブログの表現は『東村山の闇』の表現と同様である」などという準備書面2におけるきわめていい加減な主張は当然、無視されたということだった。

 法律の専門家である「行動する保守」Aの代理人がそのことを知らなかったとは考えられない。「行動する保守」Aは準備書面2によって十分な反論をしたと思い込んでいたらしいが、代理人は裁判長の見解を十分に予測できたのだろう。代理人はこの点に関しても口答え一つせず、裁判長の指示を素直に受け入れた。

 代理人の反応をみるかぎり、準備書面2に関する「行動する保守」Aと代理人の認識はかなりずれていたように思われた。少なくとも代理人は、準備書面2の内容では裁判所には通用しないことを自覚していたのだろう。だから代理人は裁判長に対して、書面の内容が「行動する保守」Aと協議の上のもので、これが結審を想定したものであるとはいえなかった。これで結審などとは、弁護士としては恥ずかしかろう。

 裁判長は次回期日を3月2日午後1時20分と指定し、被告代理人に対して準備書面の提出期限を2月18日午前必着とした。準備書面の提出期限について「午前必着」とまで言い渡した例も珍しかろう。この代理人と「行動する保守」Aに対する裁判官の不信感がうかがえよう。「行動する保守」Aの代理人にとって診断書の日付の齟齬に始まり、準備書面提出の遅れ、準備書面の内容すべてにおいてこの日はきわめて屈辱的な法廷だったのではないかと推察する。

 余談だが、閉廷後、千葉は横を通り過ぎようとする「行動する保守」Aの代理人に聞いた。

「Aさん、急病ですか?」(私には「仮病ですか」と聞こえたが、千葉はそれを否定した)

 すると代理人はこう応えた。

「お父さんが亡くなってから福島にいることが多いんですよ。今回は雪で来れなかったんです」

「行動する保守」Aが出廷しなかった理由について代理人は、雪のせいにするのが無難と判断したようである。

(つづく)
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