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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「重要容疑者」事件 第1回
消滅した「事務所からの拉致」説

 東村山市議だった草の根市民クラブの朝木明代が平成7年9月1日、万引きの果てに自殺を遂げた事件にはいまだ解明されていない部分がある。平成7年9月1日の自殺当日、とりわけ自殺直前の明代の足どりである。

 その点について明代の万引きから自殺に至る経過をつぶさに知る東村山市議の矢野穂積は「当日午後7時過ぎに事務所で別れてから会っていない」とし、午後9時過ぎに事務所に帰ってきたときの事務所内の様子をマスコミに対して大要次のように説明している。

〈事務所のドアには鍵がかかっていたが、事務所内の照明とエアコンはついたままで、デスクの上にはワープロが文書作成中の状態で電源が入ったままだった。またデスクの上には明代がいつも持ち歩く黒のショルダーバッグが置いたままだった。バッグの中には財布も入っていた――。その後、21時19分に自宅にいた明代から「ちょっと気分が悪いので休んで行きます」との電話がかかっている。〉

 この矢野の説明のうち、客観的な裏付けがあるのは、①矢野が事務所に帰った際、明代が不在だったこと②その後、明代から電話がかかってきたこと――の2点のみである。矢野が詳細に説明するそれ以外の事務所内の状況が事実だったのかどうかについて客観的な証拠はない(自殺当夜、明代のバッグが事務所にあったのは客観的事実だが、矢野が事務所に帰った時点であったとしている点については客観的な裏付けがない)。

 注意すべきは、矢野が夕方7時以降、明代と会っていないとしていることを含め、これらの説明はすべて明代の転落死が明らかになったあとのことで、「他殺」であるとする矢野の主張と矛盾せず、むしろ「他殺」であるとする主張に沿うものであるということである。とりわけ事務所の蛍光灯とエアコン、ワープロがつけっ放し、バッグを置いたままという状況説明は、矢野が当初主張していた「事務所からの拉致説」を想定させる有力な材料として説明されていた。

 途中から矢野と朝木直子(同じく東村山市議)は「事務所からの拉致説」を事実上撤回し、今度は「自宅から拉致された」と主張するようになる(しかしこの「自宅からの拉致説」も、「家の中はふだんと変わらなかった」という朝木直子自身の供述によって否定されている)。当初、「事務所内の状況」が「事務所からの拉致説」の根拠として主張され、いつの間にか「事務所からの拉致説」自体が消えていった経過からみても、矢野の説明する「事務所の状況」を客観的事実として信用することは困難である。

バッグはいつからあったのか

 ただ、矢野の説明のうち1点だけ、ごまかしのきかないものがある。「帰ってきたときに事務所にあった」と矢野が説明する明代のバッグである。照明やエアコン、ワープロは矢野が電源を入れることができても、明代のバッグだけは明代にしか置いていけない。あるいは、明代にしか持って来られない。問題は、明代のバッグがいつから事務所にあったのかということである。

 当初、矢野が主張していたように明代は事務所から拉致されていたのではなく、自らの意思で自宅に帰っていた。すると、事務所に帰った矢野が「(明代は)ちょっとそこまで出た感じだった」という矢野の「主観的」説明とは根本的に状況が異なろう。

 しかも明代は、平成7年9月1日午後9時すぎ、東村山駅前方向から事務所方向に1人で歩いているのが目撃されている。つまり明代は、事務所からまっすぐ自宅に帰ったのではなく、東村山駅方向に行ったのちに自宅に向かった可能性が高い。するとその時点で、明代がいつも持ち歩いていたショルダーバッグを事務所に置いたままにしていたとはよけいに考えにくい。明代が自宅に帰った際、バッグを持っていたとみるのが自然なのではあるまいか。

 乙骨正生の『怪死』(教育史料出版会)には当日の明代のバッグの状況について、矢野への取材に基づいて次のように記載されている。



〈外出のとき常に持ち歩くカバンは事務所に置かれたまま。中には、翌日、高知に行くための普段より多めの現金が入った財布も残されたままだった。〉



 乙骨によればそのバッグは、明代が「外出のとき常に持ち歩く」もので、「普段より多めの現金が入った財布」も入っていたらしい。ならばなおのこと、自らの意思で自宅に帰っていた明代がバッグを置き忘れたとは考えにくい。

 すると矢野が9時過ぎに事務所に帰ったとき、明代のバッグが残されていたとする説明には疑問があると考えざるを得ない。その上、明代は矢野に電話して「休んでから事務所に行きます」といっていた。するとやはり明代はその後事務所に行き、バッグもその際に明代が持っていったとみるのが自然であるように思えてならない。

バッグの中身を覗いた理由

 矢野は事務所に帰ってきた時点で、明代の身に少なくとも自殺に走るような異変が起きているとは感じていない。ではその時点で矢野はなぜ、他人の妻である明代のバッグの中だけでなく、財布の中身まで覗いたのか。何かよほどの異状を自覚したからこそ矢野は他人のバッグの中を覗くという異常な行為に及んだ、そうみるのが自然なのではあるまいか。

 こう考えると、明代のバッグが事務所に置かれたのはやはり、9時過ぎに矢野が事務所に帰る前ではなく、明代から「少し休んで行きます」という電話があったあとであるとみるのが最も自然であるといえないだろうか。つまり、自宅から矢野に電話したあと明代は「草の根」事務所に行った。事務所から転落現場までは100メートル足らずである。矢野はその後、明代のバッグの中身を覗く(財布の中の金額まで確認しているということは、たんに「覗いた」というだけではない可能性もあろう)必要を感じるほどの異常事態を察知したということではないかと私は考えている。

 そう考えなければ、何の異状も自覚していなかった矢野が、明代のバッグの中身を覗く必要があった理由が説明できない。しかし矢野は、電話のあとで明代が事務所に行った事実を否定している。

 事実はどうだったのか。自殺直前の明代の行動は、明代の自殺から間もなく丸16年になろうとする今も謎に包まれている。その点に関わる初めての裁判として注目されていたのが、矢野がジャーナリストの柳原滋雄を提訴した「重要容疑者」裁判である。

(つづく)
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