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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「重要容疑者」事件 第4回
抜け落ちた「事務所の状況」

 千葉が提出した陳述書に反論するかたちで矢野も陳述書を提出している。主要な論点について矢野の主張を確認しておこう。



(矢野陳述書――朝木直子から「警察に電話してほしい」と連絡を受けるまで)

 私は、会議が終わって9時ころ事務所に戻りましたが、カギがかかっていたので、自分のカギで開けて中に入りました。が、朝木明代議員はいませんでした。

 しばらくして、9時20分少し前、朝木明代議員から電話があり、「気分が悪いので休んで行きます」ということでした。私は、その直前に、議会事務局から、翌週の月曜日が9月議会の質問通告の〆切日だとの連絡の電話があったので、……質問通告書を急いで作成しなければならず、その作業にかかりっきりでした。

 そして、午後10時すぎに、松戸から東村山に向かっていた朝木明代議員の長女朝木直子さんから携帯電話が私にかかってきたので、お母さんは気分が悪いので家で休んでいるはずと伝えると、「自宅に電話したけど、誰も出ないので、父と弟を置いて先に自宅に戻ってみる」ということでした。

 私が、まだ完成しない質問通告書に取り組んでいると、10時半ころ、自宅に戻った朝木直子さんから事務所の私に、再び「誰もいない。心配なので、警察に連絡をとってほしい」という電話がありましたので、私はすぐに東村山警察署の大木刑事に「93-0110」で電話を架け「朝木明代議員が『行方不明状態』なので情報が入ったら教えてほしい」と伝えました。……時刻は10時30分過ぎでした。……



 その上で「諍い」について矢野は次のように結論づけている。



(「諍い」について)

 以上の経過から明らかなように、朝木明代議員から9月1日午後9時20分少しまえに、事務所に電話が架かってから、朝木明代議員は行方不明になったままでしたから、事務所にいて質問通告書を作成していた私は、朝木明代議員と「諍い」を起こすはずがありません。



 9時19分に明代が事務所の矢野に電話をかけて以降、矢野と会っていたのかどうかという問題とは直接関係はないが、この陳述書では矢野が事務所に帰ってきたときの状況がきわめて淡白に書かれているのは不可解である。明代の自殺直後、矢野は明代が事務所から「拉致された」と主張し、その有力な根拠として事務所内の状況を詳細に説明していたものである。たとえば矢野が「聖教新聞」事件で提出した平成11年5月31日付陳述書(筆者注=関連裁判で矢野が提出した最初の陳述書である)では次のように記載している。



(平成11年5月31日付陳述書で記載された「事務所内の様子」)

 会議終了が遅れて、私が事務所に戻ったのは午後9時10分前後だったと思います。事務所は外から見ると明かりがついているのに、ドアには鍵が掛かっていたので、カギをあけて室内に入ると、エアコンもついたままで、ワープロもスイッチが入ったまま、画面も打ち掛けのままでした。おまけに、朝木議員のバッグも置いたままです。

 朝木議員は几帳面な人で、数分で戻る時を除いて、事務所を出掛けるときは、必ず電気やエアコンを消して、付け放しにするようなことは一度もありませんでしたので、変だとは思いましたが、戻るまでにそんなには掛からないだろうと思い、……



「聖教新聞」事件で陳述書を提出した時点で矢野はすでに「事務所からの拉致説」を事実上否定していた。したがって陳述書で「事務所からの拉致説」を主張するとおかしくなる。かといって事件直後から説明していた「事務所内の様子」を否定することもできない。その結果、「事務所からの拉致説」は霧消したが当初矢野が説明していた「事務所内の様子」だけがデマの残骸として残ったという事情と察することができた。ちなみに「事務所からの拉致説」を放棄した証拠に、矢野は同陳述書で次のように記載している。



(「事務所からの拉致説」を放棄した証拠)

 朝木議員は午後7時半ころ1度徒歩で自宅に戻ったことが、知人の証言でわかり、そのあと午後8時半ころ、今度は自宅から事務所へ歩いて行ったことも近隣の方の証言でわかりました。そして、そのあと、再び、事務所に明かりやエアコンやワープロを付け放しにしたまま、もう1度自宅に戻っていたのです。



 なお矢野は「午後8時半ころ、今度は自宅から事務所へ歩いて行ったことも近隣の方の証言でわかりました。」と記載しているが、正確には「事務所方面に向かって歩いている姿を目撃された」というだけで、明代がそのまま事務所に入ったかどうかは確認されていない。他の目撃情報を総合すれば、明代は事務所前を素通りし、東村山駅あるいは万引き現場方向まで歩いて行った可能性が高い。明代は午後9時すぎに自殺現場付近を東村山駅方向から事務所方向(=自宅方向でもある)に歩いているのを目撃されていたのである。

 事務所内の状況説明が淡白であるという以上に、読者は最近矢野が妙に力を入れて主張している「なくなった鍵」にも関連する明代のバッグが事務所に置いたままだったという話さえいっさい出ていないことに気づかれるだろう。バッグの中だけでなく、「ふだんより多め」だったという財布の中身まで確認したことを矢野はなぜ話さないのか。

 矢野は明代のバッグがあったことを自ら明らかにすることによって、では明代はいつ事務所に立ち寄ったのかという疑問をあらためて裁判官に与える危険性を察知したもののように思えてならない。要するに、バッグが事務所にあったという事実は矢野にとって都合の悪い事実となったということではあるまいか。

(つづく)
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