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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「重要容疑者」事件 第7回
 平成23年7月19日に開かれた控訴審第1回口頭弁論で、東京高裁は「重要容疑者」という文言は具体的な「容疑」を指摘していないとして、矢野に対し、それ以外に矢野の名誉を毀損する記述があれば指摘するよう言い渡した。一審の東京地裁は「重要容疑者」とする文言は矢野穂積の社会的地位を低下させるものであると認定していたから、東京高裁の見解は一審とはだいぶ異なるようだった。

一審判決の正当性を主張

 これに対して矢野が準備書面を提出したのは8月31日である。しかしその内容は、新たな名誉毀損箇所を提示するというものではなかった。矢野は準備書面で一審の判断がいかに正当なものであるかを繰り返し主張していた。

 たとえば矢野は一審判決について次のように述べている。



(準備書面における矢野の主張①) ※○数字は筆者が便宜的に付したもので、準備書面における矢野の主張の順番ではない=以下同

 前記①乃至⑤の各記述(かなりの思い込みがあると思える原判決の評価に基づく本件記事の各記述の要旨)がなされていることから、一般の読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、「この件ではむしろ矢野は重要容疑者の一人」という本件記述を含む本件記事は、朝木明代議員の転落死は「単なる自殺」ではなく、前記「争い」の内容自体が、被控訴人(筆者注=矢野)が朝木議員に対し自殺の教示、強要等といった自殺幇助罪に相当し得る犯罪行為を行い、「捜査機関によって自殺幇助罪の嫌疑をかけられている者」であるとの「被控訴人に関する特定の事項」たる客観的事実を摘示したものとした原判決の認定は、その範囲において極めて適切である。



 結審間際になって新たな名誉毀損箇所を提示するということ自体それまでの主張を放棄するに等しい。したがって、矢野が一審の判断にこだわったのも無理からぬところだったようにも思える。

無関係の「新証拠」

 ただ矢野は、一審判断の正当性を主張するだけでは不十分と考えた。矢野もまた、第1回口頭弁論における裁判長の見解を自分にとって芳しいものとは受け止めていなかったのである。

 そこで矢野は本件記事における「重要容疑者」との文言がいかなる意図のもとに使用されたかを立証するとして、柳原が一審判決(平成23年4月25日)直前に同ブログに掲載した記事を証拠として提出した。「別の名誉毀損箇所があれば示してください」という裁判長の指示をこれによって果たそうとしたわけではあるまいが、一審判決の正当性をただ主張するだけでは弱いと考えたということもあったのだろう。

 矢野が書証として提出したのは平成23年4月15日付〈条件闘争で勝負するしかない人びと〉と題する記事で、矢野が強調しようとしたのは次の一節である。



実際は矢野が朝木明代を自殺に追い込んだ張本人であるにもかかわらず、そうした責任を免れる目的で、ためらい自殺事件を殺人事件にでっち上げたと見られること。……中略……逆にいえば矢野本人にとって、これほど不名誉な指摘もないと思われる。

筆者注=「中略」の部分も矢野が記載した通り。なお、「中略」部分には「矢野が保身のためなら手段を選ばない人物であること」「朝木母娘との特異な関係」「矢野の特異性」などについて柳原の論評が述べられており、「私はこれらの事柄を、裏づけをもって記述してきたつもりだが、(逆にいえば矢野本人にとって)」と続く)



 ここで柳原がいう「矢野が朝木明代を自殺に追い込んだ張本人」であるという論評については私もまったく同感である。ただしこの論評は、明代の万引き発覚後に矢野と明代が共謀したアリバイ工作、万引き被害者に対する威迫行為をはじめとする一連の隠蔽工作全体を念頭に置いた抽象的な表現で、矢野が「明代を自殺に追い込んだ」ということによって具体的なある1つの行為、事実を指しているわけではない。

 ところが矢野は準備書面で、「真実性の証明は事実摘示の時点だけに限定しない」(趣旨)とした最高裁判例を根拠に次のように主張していた。



(準備書面における矢野の主張②)

(柳原は)本件「コラム日記」のその後の記事中で、「実際は矢野が朝木明代を自殺に追い込んだ張本人」であり、このように指摘されることは「矢野本人にとってこれほど不名誉なこともない」と記述しているのであるから、「被控訴人が実際は朝木明代を自殺に追い込んだ張本人」だと指摘することによって、すでに本件記事中の「この件ではむしろ矢野は重要容疑者の一人」という本件記述の真意が「実際は朝木明代を自殺に追い込んだ張本人」であるとの事実を記載したものであるというその認識を明らかにしているのである。



 つまり矢野はここで、「事実」と「認識」を混同して不法行為が成立すると主張しているように思える。最高裁判例が述べるのはあくまで客観的事実についてであり、真実性については事実摘示に関わる真実性を立証する事実が事後に明らかになった場合でも証拠として成立するという趣旨である。

 読者は表現によってなんらかの印象を持つのであって、認識に対してではないし、事後にその認識が「立証」されたとしても、過去の読者の印象に影響を与える道理もない。裁判での立証という点において、本件記事とその後の記事は無関係というほかなかろう。

 また当然だが、何かに対する名誉毀損が問われるのは「表現」のみであって、表面に現れない筆者の「認識」や「思い」が不法行為に問われることはない。したがって、苦心の跡は十分にうかがえるものの、事後の記事を持ち出した矢野の主張が採用されるのは難しいのではないかと思われた。

(つづく)
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