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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第4回
鍵を入手できた人物

 明代の鍵を転落現場に置いていった人物は、矢野もいうように、警察による現場検証のあと「捜索」に加わっていた者の中にいたと考えるのが自然である。「捜索」に加わっていた者の中でも鍵を置くことができたのは、当然だが、明代の鍵を入手することができた人物である。では、明代の鍵を入手できる可能性があったのは誰なのか。

 通常、鍵は外出時には身につけているものである。ポケットの中か、あるいは携行するバッグの中に入れることもあろう。すると当時、明代の鍵を入手することができたのは、明代に直接会うか、鍵の入った明代のバッグに触ることのできた人物ということになる。

 では平成7年9月1日夜、明代が会う可能性のあった人物は誰なのか。当夜の明代の足取りを確認しておこう。

細かすぎる室内描写

 平成7年9月1日、朝木明代が東村山駅前のビルから転落死を遂げた当夜の9時過ぎ、自治会長会議に出席していた矢野が事務所に帰ってきた。そのときの状況を矢野は平成15年に出版した『東村山の闇』で次のように述べている。



(矢野が事務所に戻ってきたときの状況――『東村山の闇』)

 9時過ぎて、私は、予定より少し遅くはなったが、その「自治会長会議」から「事務所」に戻ってきた。駐輪場に自転車を置き、「事務所」の前まで来ると明かりが点いている。彼女、原稿に奮闘中だな、と思って、ドアを開けようとしたが、開かない。カギが閉まっているので鍵を使ってドアを開けた。

 エアコンはついている。手前のテーブルをみると、彼女の大きいショルダーバッグが口を少しあけたまま置いてある。ワープロも開いたままだ。傍によって、覗き込むと、電源が入っていて、画面には、あさっての「創価学会問題シンポジウム」の「レジュメ」が打ち込み中のまま、黒く四角い「カーソル」が手持ち無沙汰気味に、その主の帰りを待っていた。

 しかし、これまで、彼女が、エアコンをつけたまま、10分以上事務所を開けるようなことは一度もなかったし、私の戻る時刻は知っている。それに、あさっての「創価学会シンポジウム」の原稿も「半徹夜」覚悟なのは、お互いわかっていることだから、遅かれ早かれ戻ってくるだろう、と思いなおし、あまり気に留めないことにした。



 事務所内の様子など、まだ仕事が残っているにしては細かい点に気がつき過ぎるのではないかと思わせる描写である。明代が自殺した当時、矢野は「事務所からの拉致」を匂わせていた。

 矢野が説明する事務所内の様子は、乙骨正生の『怪死』でもほぼ一致している。ついたままの電気とエアコン、作業しかけのワープロ、事務所に残したバッグといった状況には客観的な裏付けはない。しかしすべては「事務所からの拉致」説に信憑性を持たせるための仕掛けだったと考えれば納得もいく。

「事務所から拉致」の「イメージ」

 実際に矢野は、『週刊文春』〈反創価学会女性市議の「怪死」〉(平成7年9月14日号)でも次のようにコメントしている。



(『週刊文春』における矢野のコメント)

「まさにちょっと出掛けてくる、という感じでした」

「誰かにうまく連れ出され、どこかの家に連れ込まれたんじゃないか、そうとしか思えないんです」



 少なくとも矢野はこのコメントによって、明代は「事務所から誘い出され、拉致された」ことにしようとしたことがうかがえる。つまり、「明代は矢野が事務所に帰ってくる以前に鍵を所持したまま事務所を出て、以後は事務所には来ていない(だから自分はその後、明代とは会っていない」といいたいのである。

 同じころ矢野は、自殺の翌々日に行く予定だった高知の「ヤイロ鳥」事務局長との電話の中で上記コメントをさらに具体的に述べている。



矢野  消えてんですから、事務所の中から、本当に消えてんですから。よくね、ここから駅まで往復2分なんですよ。

大崎  あっ、そんなに近いところなんですか。

矢野  ええ。東村山の駅までね。だからね、駅に誰か来てですね、交番が直ぐあるんですか、交番の側にはボックスがあって、そこから電話かけてきて、どう行けばいいかって、聞かれるでしょ。そうすると、じゃあ待ってて、迎えに行ってあげるからって調子で、全部置いて、鍵だけかけて、迎えに行って帰ってくると2分。その状態で消えているんです。イメージは。

大崎  ふ~ん。

矢野  だから、「消えてる」しかないんですね。言い方としては。

筆者注=矢野自身の反訳による)



「イメージは」と矢野は一応の留保をつける。駅前交番横の電話ボックスから電話で誘い出されたという話には具体的な裏付けがあるわけではない、自分のイメージにすぎないという留保である。

 しかしそれにしても、「ついたままの電気とエアコン、作業しかけのワープロ、残されたバッグ」という事務所内の様子からこれだけ具体的状況を「イメージ」してしまうとは、普通の人間にはできるものではない。「事務所から拉致された」ことにしようとする意思があったがゆえに、駅前の電話ボックスから電話で誘い出したなどという口からでまかせをしゃべることができたのである。

 このでまかせは法廷で追及された。すると矢野は法廷でも「イメージにすぎない」と供述し、電話で誘い出されたなどという話にはなんらの客観的根拠もないことを認めた。以後、矢野は「事務所からの拉致説」を主張しなくなったのである。矢野と朝木はその代わりに「自宅からの拉致説」を主張し始めた。要するに、いずれもなんら具体的根拠はないということにほかならない。

 ただ矢野は、事務所の様子が普通とはちょっと違うとは感じたものの、『東村山の闇』で「(その時点では)あまり気に留めないことにした」と書いているとおり、事務所に帰ってきた時点では、明代の身に特に何か「事件」が起きたとまでは考えなかったようである。

 すると矢野が高知の市民団体事務局長に語って聞かせた「イメージ」は、いつの時点かはわからないものの、少なくとも矢野が事務所に帰ってきた時点よりもあとにその必要が生じ、作られたものであると理解できるのではあるまいか。

(つづく)
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