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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第6回
 平成7年9月1日午後10時ごろ、当時東村山市議会議員だった朝木明代(「草の根市民クラブ」)は東村山駅前のビルから転落死を遂げた。当時、明代は窃盗(万引き)容疑で書類送検されており、東京地検から同僚の矢野穂積とともに呼び出しを受けていた。

 矢野によればその夜、明代は午後7時に矢野と事務所で別れたあと、矢野とは1度も会っていないという。しかしそのことを客観的に証明するものはない。むしろ午後9時19分、明代は自宅から事務所にいた矢野に「ちょっと、気分が悪いので、休んで行きます」という電話をかけていること、自宅から転落現場に至る経路の途中には「草の根」事務所があることなどを総合すると、明代が転落現場に行く前に事務所に立ち寄っていた可能性もないとはいいきれない。

 その夜、矢野は午後9時10分ごろ、事務所に帰ってきた。その後明代から「ちょっと、気分が悪いので、休んで行きます」という電話があった。矢野はその電話から、遅からず明代が事務所に戻ってくると受け止めたようである。矢野が思ったとおり、明代は2、30分後、「草の根」事務所に行ったのではないのか。

 その可能性を物語るのが事務所に残されていた明代のショルダーバッグである。明代のバッグが置かれたのは本当に矢野が事務所に戻る前だったのか、それとも明代が電話をかけたあとだったのか。

バッグを置いた時間

 表現に微妙な違いはあるものの、『怪死』と『東村山の闇』に共通しているのは、矢野が事務所に帰ってきたとき「事務所にはショルダーバッグがあった(しかし鍵束はバッグの中にはなかった)ことになっている」ということである。しかしそもそも、矢野が自治会長会議から帰ってきたとき、事務所に本当に明代のバッグがあったのかどうか。そのことを証明する客観的裏付けはない。

 前回までに述べたとおり、矢野が自治会長会議から事務所に帰ってきたとき、明代が事務所におらず、ドアに鍵がかかっていたことには信憑性がある。しかし、矢野が帰ってきたときの事務所の状況に関して『東村山の闇』や『怪死』、あるいはこれまで矢野が主張してきたその他の部分についてはたんに矢野がそう主張しているにすぎず、客観的な裏付けはない。

 とりわけ重要なのは、明代のバッグは事件後、確かに事務所にあったが、そのバッグが置かれたのが「矢野が事務所に戻る前だったこと」について客観的な証明がないことである。矢野は当初、「明代は何者かによって事務所から誘い出され拉致された」などと主張していた。しかし裁判でその点を聞かれた矢野は、「それはイメージにすぎない(=客観的根拠のあるものではない)」と自白してあっさり「事務所からの拉致説」を事実上撤回した。

 明代は「事務所から誘い出されて拉致された」という前提ならまだ「電気やクーラー、ワープロはつけっ放しで、明代はバッグを残して事務所を出ていた」という説明に合理性を感じさせないではない。しかし「事務所からの拉致説」が消えてしまった今、矢野が説明する「事務所の状況」よりも、むしろ9時19分に明代がかけてきた「ちょっと休んで行きます」という電話の内容の方が事実を語っているのではないだろうか。

 逆にいえば、矢野が自治会長会議から帰ってきたときの事務所の状況についての説明は「事務所からの拉致説」を前提にしたものではなかったかという疑いがある。明代がたんに自宅に帰っただけなら、鍵束をバッグに入れたまま、バッグごと持って帰ったとみる方が自然なのである。

「事務所からの拉致説」を自ら否定せざるを得ない状況に追い込まれた矢野は、今度は「自宅からの拉致説」を主張している。しかし「自宅からの拉致説」もすでに同時期に朝木が事実上否定している。平成7年9月1日午後10時ごろ、弟と父親らをレストランに残して独りで帰宅した際の家の中の様子を聞かれ、朝木は「そんなにきれいにはしていないが、家の中はいつもと変わりがなかった」と供述している。

 朝木は「きれいにしていないから、誰かが侵入してもわからないかもしれない」という含みを残したかったようである。しかしそれがかえって、どうしても何かが起きたと思わせようとする作為性をうかがわせただけだった。

 矢野と朝木は「事務所からの拉致」を自ら否定する事態に追い込まれたからといってなぜ明確な根拠も示さないまま、今度は「自宅からの拉致」を主張するのか。これではますます稚拙な出まかせと思われるだけではあるまいか。言い換えれば、矢野にとってそれほど朝木が事務所に立ち寄っていては困る事情があったということではなかったか。

 要するに自宅でも、何も起きてはいなかった。9時19分に明代が事務所に電話をかけたことの次に確認されている事実は、午後10時に東村山駅東口駅前のビルから明代が転落した事実である。すると明代はやはり、事務所にいた矢野に電話をかけたあと、独りで自宅を出たことになる。自宅から転落したビルへ向かう経路には事務所がある。

バッグを持って歩いていた明代

 乙骨正生の『怪死』には、自殺当日の明代の行動を記した一節に次のような記載がある。



(『怪死』における朝木明代の自殺当夜の目撃情報)

(午後=筆者)7時15分から20分頃、自宅西側の線路沿いを自宅方面に向かって歩いている朝木さんを支持者の婦人が目撃、挨拶をかわす。そのときはカバンを持っている。

 8時30分頃、自宅から「草の根」事務所方面に向かう朝木さんの姿を秋津薬品店主が目撃。



 午後7時15分過ぎに持っていた「カバン」と事務所に置いていたバッグは同一のものと考えていいだろう。また、7時15分過ぎに自宅方面に向かって歩いているのを目撃された明代はそのまま自宅で約1時間過ごし、それから事務所方面に向かったと考えるのが自然だろう。

『怪死』の記述は「8時30分」の目撃談からすぐに、



 9時10分ごろ、矢野氏が「草の根」事務所に戻る。事務所の電気、クーラー、ワープロがつけっぱなし、外出のとき常に持ち歩くカバンは事務所に置かれたまま。



 と続いている。ジャーナリストの乙骨が、8時30分に目撃された明代が「カバン」を持っていたかどうかになんらこだわることなく、9時10ごろ事務所に「カバン」があったと記載しているところをみると、8時30分の時点で明代が「カバン」を持っていたことを自明の事実とみていたことがうかがえる。この点に限っては私も異論はない。

 乙骨と千葉の見方が異なるのはそれから先である。乙骨は8時30分に目撃された明代がそのまま矢野が戻る前に事務所に立ち寄ったと考えている。これに対して千葉は、明代が事務所に行ったのはもっとあとのことだと考えていた。千葉にはそう考えるだけの事実の裏付けがあった。

 それが午後9時10分ごろ、明代が「東村山駅方面から事務所(自宅)方面に向かって独りで歩いているのを見た」という最後の目撃者による証言である。

(つづく)
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