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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第10回
地検への出頭を知っていた朝木

 東京都代理人の次の質問に対しても朝木は、明代が市長車にはねられそうになったことを聞かれた際と同様あるいはそれ以上の過敏な反応をみせた。続く尋問をみよう。



東京都代理人  それでは、明代さんが(平成7年)9月5日に東京地検の地方検察庁の方に出頭を要請されていたと、9月5日に出頭するようにということを、あなたは知っていましたか。

朝木  5日かどうかは覚えておりませんけども、地検でも当然書類送検をしたあとに取り調べがあるということは聞いておりましたけれども、なにせ私は住まいが別だったもので、そういう活動自体の中に入っておりませんでしたので、ちょっとそういう市内とか活動の面の細かいことについてはちょっと聞かれても、はっきりと答えかねます。



 東京都代理人がここで明代の東村山での活動のことなどを聞いたわけでないことは誰がみても明らかである。「市内とか活動の面の細かいことを聞かれても」などという朝木の供述は質問の趣旨からかなりずれている。朝木は転落死当時に明代が置かれていた状況の核心を突かれて動揺し、必死にはぐらかそうとしたのではあるまいか。

「5日かどうかは覚えておりませんけども」と供述したということは、朝木は明代が東京地検から呼び出しを受けた事実、およびその日時を聞いていたということである。母親の最終的な処分に直結する重要な取り調べの日にちを忘れるはずがないと思うが、朝木はあくまで地検の取り調べを苦にしてはいなかったように取り繕いたかったのではあるまいか。

 朝木の供述によれば、当然、それを聞いたのは明代が死亡する以前のことで、わずか数日前のことである(朝木は東京地検での取り調べがあることを聞いたのが明代の生前であることを前提に述べていることが明らかである)。つまり朝木は9月1日の時点で、明代がきわめて厳しい状況にあることを十分に認識していたということになる。

 これまでの尋問で朝木は、母親が当時、万引きで追い詰められた状況であると認識していた様子をあまり表に出さなかった。しかし尋問から4年後の平成15年11月に出版した『東村山の闇』における記述は尋問での供述とはやや趣がことなる。理由は別にして、『東村山の闇』には平成7年9月1日、松戸から東村山に向かったときの朝木の心境がかなり詳細に記録されている。たとえばこんな記述がある。



(松戸を出発して)さてどこで食事をしようかということになったとき、なにか薄ら寒い胸騒ぎが下の方からジワジワと湧き上がり、打ち消しても打ち消してもからだ全体に広がっていった。



 平成11年の尋問では父親と弟らをレストランに残して1人で自宅に帰った理由について朝木は「虫の知らせ」と表現したが、『東村山の闇』では「胸騒ぎ」となっている。千葉は「『胸騒ぎ』とは具体的な理由があってのもの」と推測している。

すでに始まっていた「胸騒ぎ」

 では朝木の覚えた「胸騒ぎ」の具体的な理由とは何だったのか。それを知る手がかりは『東村山の闇』における上記記載の中にある。平成11年の尋問の時点では、明代が事務所にも家にもいないことがわかって「すぐに家に帰らなくてはとものすごく不安な気持ち」になったと朝木は供述している。ところが『東村山の闇』では、事務所に電話する前から朝木がすでに「胸騒ぎ」を覚えていたことを明確に述べている。

『東村山の闇』によれば平成7年8月下旬に次のような「殺害予告」があり、それが「胸騒ぎ」の原因となったと朝木は主張しているようである。『東村山の闇』の記載をみよう。



「放火」事件の後は、しばらくの間「ポケベル」のカウントアップがなかった。母に電話を架けて「そのこと」を話し、「4・4・4……」もたいしたことはなかったわね。その程度の嫌がらせしかできない程度の思考力の連中なのよ、と話したら、途端に1時間後から、また「カウントアップ」が始まった。

 それは時計が八月三一日の深夜一二時をまわった翌朝まで、つまり事件の日の早朝まで続き、事件後はピタリと止んだ。



 その数行後には、〈その会話(筆者注=朝木が9月1日に明代と電話で交わした会話)が盗聴されていたのだろうか。〉という一文もある。ちなみに朝木がここでいう「放火」事件とは、もうとっくに陽の上がった時間帯に門柱の上で新聞紙が燃え、発見者の明代は110番はしたが消火はしなかったという興味深い行動をとったという事件であり、当然、犯人はいまだ判明していない。

 朝木のポケベルに打ち込まれたという「4・4・4」も「カウントアップ」も第三者によるものとはいまだ客観的に証明されていない。そもそも朝木のポケベルの番号を無関係の第三者がどうやって知り得たのかという根本的な疑問がぬぐえない。

 さらに「その会話が盗聴されていたのだろうか」と疑問を呈するに及んでは、いささか冷静さを欠いた荒唐無稽な憶測ではないかとさえ思える。つまり朝木は『東村山の闇』において「胸騒ぎ」の理由について何一つ説明していないに等しかろう。すると朝木が感じていた「胸騒ぎ」の本当の理由は、実際にはほかにあるとみていいのではあるまいか。

 朝木の「胸騒ぎ」の理由が、明代の周辺で続いていたとする嫌がらせなどにあったのなら、朝木はなぜ東村山署に出頭し、具体的に被害を訴えなかったのだろう。東村山署は朝木に対して再三事情を聞かせてくれるよう要請したものの、朝木はついに姿をみせなかった。父親や弟が素直に聴取に応じているのに、「ポケベルのカウントアップ」や「44444……」という数字の打ち込みといった「被害」を直接知っているはずで、さまざまなメディアを通じて「他殺」を主張していた朝木が警察の事情聴取に最後まで応じなかったのはどうみても不可解なのだった。

(つづく)
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