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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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西村・細川事件 第13回
変わり始めた人間関係

 裁判の進行とは別に、西村周辺の人間関係も注目された。第1回口頭弁論が開かれた平成22年12月10日、西村の支援に訪れた「行動する保守」一行の主要メンバーは右翼Mと「行動する保守」Aの弟子だけだった。弟子は一応「行動する保守」Aの名代とみなすことができよう。朝木事件をめぐりかつては西村や右翼Mとともに街宣に参加していた浦安の行政書士の姿はなかった。

 右翼Mは平成21年6月14日に行政書士と街宣車を使用して行った東村山街宣をめぐって創価学会から提訴され(以下=「東村山街宣事件」)、平成22年7月30日、行政書士と連帯して110万円の支払いを命じる判決を言い渡されていた(一審。この裁判で右翼Mは、裁判長の訴訟指揮を不服として裁判官の壇上に駆け上がり、裁判官専用のドアのノブに手をかけガチャガチャ開けようとするという珍しい事件を引き起こしている)。そのひと月後、右翼Mは矢野・朝木の政治的主張については相容れるものではないなどと、あえて必要もないと思われる主張をし、また相被告である行政書士についてもその活動姿勢に対する批判とも取れる記事を掲載している。

 当時、「行動する保守」一行の中で最も矢野・朝木と関係が深いとみられていたのが行政書士だった。110万円の支払いを命じられた東村山街宣に際しても矢野がなんらかのアドバイスをした形跡があった。本来なら最も信頼しなければならないはずの矢野・朝木と行政書士に対して右翼Mがこれほどあからさまに嫌悪感を表明するとはやはり一審判決後、彼らの関係、あるいは右翼Mの心境に何か重大な変化があったとみられた。

 右翼Mが矢野・朝木と行政書士への嫌悪を露にした原因は判然としないが、街宣をめぐる裁判で行政書士が右翼Mにすべての責任を押しつけるような主張をしたことと無関係ではないように思えた。つまり、本件裁判の第1回口頭弁論に行政書士が来なかったのはたんにスケジュール上の問題ではなく、右翼Mとの関係が悪化したことで「行動する保守」一行との関係も変わりつつあることを意味していたのかもしれなかった。

 その原因をたどれば、矢野と朝木が主張する「万引き冤罪説」と「他殺説」が裁判所に通用せず、彼らの主張と「行動する保守」Aが主張した「内部告発」を信じた「行動する保守」一行が相次いで損害賠償という形の現実的な責任を取らされる事態に陥ったという事実に行き着こう。

最初に消えた団体

 朝木明代の転落死事件をめぐる「行動する保守」一行の「真相究明活動」への現実的な行動および関与の度合いと団体間の関係性を計る上で参考になるのが、街宣のたびに彼らが掲げてきた横断幕(〈創価学会の「疑惑」に沈黙するな! 東村山女性市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底究明〉と記されたもの)に記載された賛同団体の変遷である。

 平成20年9月1日に行われた東村山駅前街宣の際の協賛団体は「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」「主権回復を目指す会」「在日特権を許さない市民の会」「NPO外国人犯罪追放運動」の4団体だった。その後、平成21年2月4日の時点では上記4団体に「日本を護る市民の会」が加わり、期待でもされたのか、新参者でありながら筆頭の位置に記載されている。

 私が確認した限りにおいて、その後変化がみられるのは東村山街宣事件の一審判決後である。西村が千葉から提訴されていた最初の裁判の控訴審判決が言い渡された平成22年10月28日、西村は東京高裁前で街宣を行った。その際に掲示された横断幕からは行政書士を代表とする「日本を護る市民の会」が消えていた。

 行政書士は「行動する保守」一行の中では矢野・朝木と最も関係が深いとみられている。その人物が代表を務める団体の名前が運動を象徴する横断幕から最初に消えるというのも興味深い現象だった。街宣の主催者がなんらかの理由で横断幕にこの団体の名前があるのは不適切であると判断して一方的に削除した可能性もあるが、西村と元側近が提訴された裁判に行政書士が姿を見せなかったのは少なくともたんにスケジュール上の理由ではなかったということのようである。

変遷遂げた賛同団体

 平成22年12月10日に行われた本件の第1回口頭弁論時点での協賛団体にはさらに変化がみられた。横断幕から「在日特権を許さない市民の会」と「NPO外国人犯罪追放運動」が消え、「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」と「主権回復を目指す会」の2団体だけになっていた。

「NPO外国人犯罪追放運動」は「行動する保守」Aと関係が深いからまだしも、桜井誠の「在日特権を許さない市民の会」も朝木事件から手を引いたもののようである。桜井は平成20年9月1日の東村山駅前街宣の際、万引き被害者の店の前で誹謗中傷を繰り返した。いわば洋品店襲撃事件の主役の1人である。「行動する保守」全般にいえることだが、彼らは都合が悪くなると、説明もなしに何事もなかったように口をつぐむ傾向にあるらしい。誤りは誤りと認め、社会に対してきちんと謝罪もできないようではとうていまともな団体と認められることはあるまい。

 さて、朝木事件に関するここまでの協賛団体の変遷を改めて整理すると次のようになる。



(賛同団体の変遷=記載順)

平成20年9月1日

「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」 「主権回復を目指す会」 「在日特権を許さない市民の会」 「NPO外国人犯罪追放運動」

平成21年2月4日

「日本を護る市民の会」 「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」 「主権回復を目指す会」「在日特権を許さない市民の会」 「NPO外国人犯罪追放運動」

平成22年10月28日

「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」 「主権回復を目指す会」 「在日特権を許さない市民の会」 「NPO外国人犯罪追放運動」

平成22年12月10日

「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」 「主権回復を目指す会」



 賛同団体の変遷は「行動する保守」一行の朝木事件に対するスタンスを一定程度映し出していよう。その意味で妙に正直であるとは思うが、平成22年5月7日に千葉から提訴されていた「行動する保守」Aが平成22年12月10日の時点でなお賛同の意思を示していたことはさすがというべきだろうか。「内部告発があった」と公表し、「行動する保守」一行を朝木明代転落死事件の「真相究明」活動に引きずり込んだ責任を「行動する保守」Aなりに感じていたのかもしれない。

 右翼Mも同年12月21日に提出した東村山街宣事件の控訴理由書に期待を込めて次のように記載していた。



(右翼Mが提出した控訴理由書の記載)

筆者注=平成20年9月1日に行われた東村山街宣の)主催者の訴外瀬戸弘幸は演説の中で、「創価学会の関与は疑いの余地がない。警察関係者からの内部告発があった」、と断言している。

 当時の事件に関わった警察関係者が創価学会の関与を知っているものであるから、この警察関係者が真実を証言すれば、創価学会が殺害事件に関与したことは明白となる。

 しかしながら現在はまだ、当の警察関係者が公に証言を行うことを躊躇しているものと思われる。警察関係者からの綿密且つ、正確な情報収集と証拠が提出できれば、事件の真相が解明されることは間違いない。

 今現在、関係者を通じて警察関係者との交渉で調査・聞き取りを継続している。



 右翼Mから「内部告発」について聞かれた「行動する保守」Aはこう説明したのだろう。「行動する保守」Aの内心はともかく、横断幕から「行動する保守」Aの名前が消える理由はなかった。

 ちなみに「内部告発」について東京高裁は〈瀬戸弘幸が述べたとされる内容は伝聞にすぎず、「警察関係者」なる者がいかなる人物であるかも明らかにされていないのであるから、これをたやすく採用することはできない。〉と述べるなどし、右翼Mの上記控訴を棄却した。平たくいえば、「内部告発」は裁判所から相手にされなかったということである。

 なお本件裁判のその後の口頭弁論に横断幕の賛同者である「行動する保守」Aが1度でも傍聴に来たかといえば、ついに1度も姿を見せることはなく、弟子も最初の口頭弁論に来ただけだった。

(つづく)
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