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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第14回
恣意的私見を「公的文書」扱い

 矢野と朝木は答弁書で本件記事には名誉毀損性がないなどと主張するとともに、朝木明代の転落死は「自殺」ではないとして彼らなりの一応の根拠らしきものを提示した。その1つが明代の司法解剖鑑定書に記載された上腕内側部の皮下出血の痕に関する法医学者の「鑑定」結果である。矢野は答弁書で次のように記載している。



(答弁書の記載)

 ……東村山警察署長の捜査終結発表、また東京地検による不起訴処分の発表の段階では、司法解剖鑑定書が作成されていなかった。このため、執刀後4年半たって初めて、同司法解剖鑑定書が公表された後に、法医学の専門家(山形大学名誉教授鈴木庸夫氏)から、同司法解剖鑑定書の記載内容に基づき、朝木明代議員は殺害された可能性が高いとの鑑定意見(以下=「鈴木鑑定書」)が提出されている。



 いっさい予備知識のない者がこの記載を素直に読むと、「鈴木鑑定書」は司法解剖鑑定書の作成が本来作成すべき時期から4年半も遅れたために特別に作成されたもので、あたかも同教授の鑑定が公正性、公平性において一応の信頼性を備えた結論であるかのように錯覚してもおかしくない書き方である。矢野の説明が事実なら、「鈴木鑑定書」は「自殺」という捜査機関の結論を覆すものと言い換えてもよかろう。

 矢野は捜査機関が「自殺」とする結論を出した時点ではまだ司法解剖鑑定書が作成されていなかった、だから捜査機関の結論は客観的根拠に基づくものであるとはいえない、または裏付けが不十分だったといいたいようである。しかし現実には、「鈴木鑑定書」によって捜査機関の結論が覆ったという事実はないし、揺らいでさえいない。

 司法解剖には千葉の部下も立ち会っており、解剖医から直接所見を聞き、司法解剖立会い報告書として東京地検に送致した。報告書の内容は当然「事件性がない」というものであり、司法解剖鑑定書の見解と一致している。

 したがって、司法解剖鑑定書の作成が地検の結論よりもあとだったとしても、「自殺」の結論が客観的根拠に基づかないものだったとはいえず、捜査が不十分だったなどということにもならない。司法解剖鑑定書の作成時期が捜査機関の結論に影響することはないのである。矢野は「鈴木鑑定書」によって捜査機関の結論が覆ったかのような印象を与えるために、司法解剖によって死因を特定する行為と、それに基づいて書類を作成する行為をあえて混同しているように思える。

矜持を捨てた法医学者

 そもそもここで矢野がいう「鈴木鑑定書」が作成されたことは捜査機関の捜査手続きとは何の関係もない。「鈴木鑑定書」が作成されるそもそものきっかけは矢野と朝木の著書『東村山の闇』の記述をめぐり千葉から提訴されたことだった。

 矢野と朝木は『東村山の闇』で、東京地検の「万引きを苦にした自殺」とする結論の後に作成された司法解剖鑑定書が明代の上腕内側部に皮下出血の痕があったと記載していた事実を「新証拠」であるとし、その皮下出血の痕は第三者によって掴まれた痕であり、すなわち明代の転落死は「自殺」ではなく「他殺」であると主張していた。つまり『東村山の闇』における矢野と朝木の主張はまさに、「新証拠」によって捜査機関の結論が覆されたとするものだった。これは同時に、東村山署と捜査責任者である千葉はまともな捜査をしていないと主張するものでもあった。

 千葉から提訴され、「上腕内側部の皮下出血の痕」が第三者から掴まれた痕であることを裏付ける必要があると考えた矢野と朝木は、彼らの主張を裏付けるために鈴木教授に司法解剖鑑定書に対する意見を依頼したのだった。こうして平成18年8月20日提出されたのが鈴木教授による「意見書」だった(この段階ではまだ「鑑定書」ではない)。

 矢野の答弁書の記載では鈴木教授も当初の司法解剖と同様の資料によって死因を追及したもののように聞こえるが、もちろん鈴木教授が実際に明代の遺体を直接見たことがあったわけではない。この時点で依頼した朝木が鈴木に与えたのは司法解剖鑑定書と警察医による死体検案書だけである。

 東京都が提出した司法解剖鑑定書には鮮明な遺体の写真が添付されていたが、矢野がこれを別件で裁判所に提出した際、明代の遺体の写真はなぜかきわめて不鮮明なものとなっていた。これには矢野なりの理由があるとみられるが、裁判所にだけ不鮮明なものを提出する理由は考えられないから当然、鈴木教授に与えたのも同じ不鮮明なものだったのだろう。
 
 つまり鈴木教授が最初に明代の死因に関する意見を求められた際、その判断基準となったのは、第三者の関与が疑われるなどとはいっさい記載されていない司法解剖鑑定書とそれに添付された内出血の状態や形状がどんなものか正確に判断できないようなきわめて不鮮明な写真のみだった。ところが鈴木教授は明代の「上腕内側部の内出血の痕」について、「救急隊員ではない第三者によって揉まれた可能性が高い」と結論付けたのだった。

 山形大学の名誉教授ともなると、遺体を直接解剖した法医学者がなんら言及していない点にまで踏み込むことができるのだろうか。あるいはいかなる理由によってか、この法医学者は科学者としての矜持を捨てたのだろうか。

相手にされなかった名誉教授

 これに対して東京地裁は、「上腕内側部の皮下出血の痕」について鈴木が「第三者に揉まれた可能性が高い」と結論付けたにもかかわらず、〈上記の皮下出血がいつ生じたかについては、これを正確に認定するに足りる証拠はなく〉と述べ、鈴木の意見に安易に同調しなかった。常識的かつ客観的な判断といえた。

 ところがこの東京地裁の認定は鈴木の山形大学名誉教授のプライドをいたく傷つけたらしかった。敗訴した朝木は鈴木に正式に鑑定を依頼する。今度は現場の写真や救急隊員の陳述書、防衛医大医師の陳述書なども鑑定資料として追加した。

 鈴木はこの要請を受諾し、明代の上腕内側部の皮下出血の痕について「第三者から掴まれたと判断するのが最も合理的」であると正式に「鑑定書」を作成したのである。名誉教授のプライドからも、鈴木が感じている依頼人の希望からも「意見書」と異なる結論はあり得なかったと思う。

 しかし東京高裁は、鈴木の皮下出血の痕についての「鑑定」結果には一言も触れず、わずかに一般論として上腕内側部に皮下出血があった場合には他人と争った可能性が疑われると述べた部分を採用したのみだった。

(つづく)
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