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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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万引き被害者威迫事件 第26回
結審間際の矢野の反論

 パート店員と被害者の証言、パート店員の記憶の正しさを裏付ける不動産屋の社長の証言、さらには2日後の明代の行動と矢野からかかってきた電話の内容は、いずれも明代の最初の取り調べ当日、矢野が被害者に対する脅し文句を残していったとされる事実を否定するものではない。それどころか、矢野と明代が被害者に対する行動と平行して行っていたアリバイ工作の事実もまた明代の万引きを裏付けるものであり、これらの事実は被害店への訪問が「取材」であるとする矢野の主張をむしろ否定するものにほかならなかった。

 とすれば、矢野が裁判所に提出した「会話記録」はどういう位置づけになるのか。パート店員も被害者も、3回目は矢野だけが店に入ってきて脅し文句を残し、その間、明代は外で待っていたという。一方、矢野が提出した「会話記録」にはいずれも明代の発言が含まれており、矢野1人が入ってきた記録は存在しない。するとやはり、矢野が提出した「会話記録」は1回分が削除されているということになろう。

 ところが平成16年1月16日の提訴から1年半、それも判決言い渡し期日が近づいた平成17年6月7日、それまでほとんど具体的な反論をしてこなかった矢野が初めて、それも15ページにわたる準備書面を提出、私の主張に対する反論を提出したのである。その中から「録音テープの存在」と題する最後の部分を紹介しよう。

――すでに、2件の調書(『聖教新聞』裁判と『東村山市民新聞裁判』の被害者調書)として存在する訴外○○(被害者の実名)の上記供述(矢野が来たのは2回だったとする供述)によって被告ら(宇留嶋ら)による不法行為は成立しているのは明らかである。

 したがって、訴外○○自身がその洋品店に1995年6月30日に原告ら(矢野と明代)が2回訪れた際の店員とのやりとりの内容が原告の反訳した録音テープにそのまま録音されているのは明らかであって、2回しか訪問していないにもかかわらず、3回目の訪問が録音されていないなどということ自体が、まさにいいがかりでしかない。

 被告らは、1995年6月30日に原告らが○○(被害者)の洋品店を3回訪れたと何の根拠もなく思い込み、あたかも原告らが脅迫したかのように強調したいあまり、次のように主張する。

「裁判所に提出した『○○洋品店・女性店員との会話録音(反訳)』に記録されていたのは2回分だけであり、3度目の来訪時に残した脅し文句は記録されていなかった」

 しかし、「『脅し』た事実を隠そうとすれば、テープから削除するしかない」というように、推論の上に推論を築いていくという低質な自称「記者」の論法はそれ自体が名誉毀損行為というべきであって、録音テープの聴取しにくい箇所について判然としないことから反訳対象としなかったにすぎない部分(明代の「おかしな人たちですね」という発言)をことさら故意に削除したかのように被告らは思い込んで決め付けているが、聴取しにくい箇所はあるが全体として、原告らが訴外○○(被害者)の店を2回訪問した際の店員とのやり取りは記録されているのであって、改ざんの余地はない。――

 またこの準備書面で矢野は、次のような独自の論理を展開してパート店員の証言を否定していた。被害者が最初の証言でパート店員から報告された話として供述した矢野の文言は、

①「訴えられるぞみたいな感じ」

 である。一方、私がビラで記載した矢野の発言は、

②「人を訴えると罪になると伝えてください」

 というものだった。矢野によれば、この2つの発言には「重大な食い違いがある」という。どこに「食い違いがある」というのか。確かに文言そのものを取り上げれば①と②は大きく異なるとはいえるが、その趣旨に変わりはない。矢野はどこに「重大な食い違いがある」といっているのか。ここからが矢野の真骨頂だった。

 矢野の論理はこうである。①の「訴えられる」は「被害者側」が「訴えられる」というものだが、②の「人を訴えると罪になると伝えてください」は「被害者側」が「訴える」側へと、「発言内容が全く逆向きになっている」。したがって、パート店員が被害者に伝えたと称する内容は客観的な事実ではなく、「自分が受け止めた主観的な印象」を被害者に「矢野の発言として伝えたものでしかなく、パート店員の想像の域を出ないものにすぎない」――。これがたんに②の発言の中から「人を訴える」という部分だけを取り出して「発言内容が全く逆向き」としているにすぎず、発言全体をみればやはり被害者が「訴えられる」という趣旨であることは誰がみても明らかと思えるが、矢野の理解の中では「全く逆向き」ということになるらしかった。

 いずれにしても最終書面における矢野の主張は、威迫発言の不存在を自分自身の材料に基づいて自発的に主張・立証しようとするものではなく、私の主張やパート店員、被害者の証言の、悪くいえば揚げ足を取りながら反論することによって自らの主張を正当化させようとするものにほかならなかった。このことは、訪問回数が「2回」であるという主張にしても、被害者の供述をその重要な根拠の1つとしていることからも明らかである。矢野の具体的な反論が提訴から1年半後となったのは、自らに正当な根拠がなく、相手の出方を見ながら、そのスキをついて反論していくしか有効な手段がなかったからのように思えてならない。

 こうして、矢野と明代が最初の取り調べ当日に被害店を訪問した際の矢野の威迫発言の有無をめぐり、矢野が私と『東村山通信クラブ』発行人を提訴した裁判は平成17年6月7日、結審した。


(第27回へつづく)
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テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

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