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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第19回
「ヒステリック」な質問

 矢野と朝木が「他殺の証拠」と騒いだ鍵束をおしぼりの間に隠した人物を矢野以外に想定するのは困難であるといわざるを得ない。明代の衣服などの遺留品がまだ返還されていない平成7年9月2日早朝の時点で彼らが「鍵がない、靴がない」と騒いでいた事実からすれば、鍵がなくなった(ことになった)本当の事情を朝木が知っていたとしてもおかしくない。鍵の隠匿に矢野が関与していた場合、マスコミ関係者などが入り乱れ、人がすれ違うのがやっとの現場ビルの階段で、人目を避けて鍵を隠匿したことについても朝木の協力があったとみた方が自然かもしれない。

 鍵束が隠匿された事情を朝木が知っていたのではないかと思わせる事実もあった。そのことについて千葉は準備書面で述べている。



被告らは発見された鍵の確認を渋った

 警察は、発見された鍵の所要の捜査を遂げた平成7年9月11日、鍵がないと騒いでいた被告直子に「鍵を確認するために警察に来るように」と(連絡)した。ところが、被告直子はヒステリックに喚き立て、すぐに確認しようとしなかった。担当の警察官からその旨の報告を受けた原告は、確認を催促するように指示した。被告直子は警察からの再三、再四の電話での催促に対し、「忙しい」との理由で確認に応じず、ようやく確認に応じたのは最初の連絡から3日も後の同月14日であった。



 矢野と朝木は当時すでに、鍵と靴が見つかっていないことが「他殺」の証拠であるかのように主張していた。またその後も、「鍵の捜査が不十分」「鍵を証拠品扱いしなかった」などとして東村山署の捜査を批判している。

 鍵束が「他殺」の証拠というなら、「確認してほしい」と連絡を受けた朝木は何をおいても真っ先に東村山署に出向かなければならなかったのではあるまいか。ところが朝木はすぐには行くとはいわず、鍵の発見状況などについて「ヒステリックに」質問したという。「ヒステリックに」とは担当者の主観もあろうが、少なくとも平静な対応ではなかったと理解していいかもしれない。

『東村山の闇』で消えた文言

 ところで朝木が東村山署から連絡を受けた際、「ヒステリックに質問」せざるを得ないような事情があったのだろうか。朝木はこのときの状況について乙骨には次のように説明したようである。



(『怪死』における朝木の説明)

「11日午前、東村山署の遺失物係から電話がかかってきて、『朝木さんの鍵が見つかった』というんです。『どうしてわかるんですか』と聞いたら、『いや、鍵を探していると聞いたので、確認に来てほしい』というのです。14日の午後に確認に行くと、母の鍵は、一週間分の遺失物の鍵と同じ箱にゴチャゴチャに入れられていました」



 この経緯について『東村山の闇』でも朝木自身が述べているが、状況説明は『怪死』とは細部においてやや異なっている。



(『東村山の闇』における朝木の説明)

(東村山署から「見つかった」という連絡を受けて)私は、なぜ、それが母の持っていた「鍵束」だとわかったのか、いつどこでみつかったのか、知りたくて質問した。……

「お宅のほうで鍵を探して騒いでいるようだから」

 なんという言い方だろう。「鍵の束」を探して事件を究明するのはそちらつまり東村山警察の仕事で、そちらこそが本来、必要なものなのではないか。



『怪死』と『東村山の闇』によれば、東村山署から連絡を受けた朝木が「ヒステリック」に質問した内容とは、「どうして明代の鍵とわかるのか」「いつ、どこでみつかったのか」の2点であるらしい。しかし、なぜその2点を聞くのに「ヒステリック」になる必要があったのかがわからない。私には、警察の側ではなく朝木自身の側にその理由はあったのではないかという気がしないでもない。

 さて『東村山の闇』における記載をみると、東村山署は朝木に対して確定的に「明代の鍵が発見された」と伝えたことになっており、東村山署が「確認」を求めたとする記載はない。私の取材では、東村山署は『怪死』で朝木自身の言葉として記載されているように「確認に来てほしい」と伝えたはずである。『怪死』では続いて「午後に確認に行くと」と述べている。

 朝木自身が書いているように、「鍵には名前など書いていない」。警察が裏付けもなしに「これは明代のものだ」と断定すると考えるのは無理があろう。東村山署が朝木に「確認してほしい」と申し入れたのは事実なのである。

不自然な対応を隠したかった朝木

 ところが『東村山の闇』では『怪死』には入っている「確認してほしい」という発言が消えてなくなっているだけでなく、(「確認」ではなく)「取りにきてほしいというだけだった」ということになっており、さらに「取りにきてほしい」と求めたことを逆に非難している。

「鍵がない」などと騒ぎ、それが「他殺の証拠」と主張するのなら、鍵を確認することは最重要事項のはずである。ところが千葉が準備書面で述べたように、朝木が鍵の確認に行ったのは、東村山署から連絡を受けてから3日もあとのことだった。「他殺」を主張する遺族がただちに確認に行かなかったことはきわめて不可解であり、不自然である。

 しかし東村山署が「鍵が明代のものであるか確認してほしい」と申し入れたのではなく、たんに取りに来るように伝えたのだとすれば、緊急性の度合いは弱まろう。朝木は『東村山の闇』で東村山署から連絡があった日付は記載しているが、確認に出向いた日付は記載していない。これも確認に出向いたのが3日も後だったことを隠すためだろう。その上で、鍵の発見から連絡に至る東村山署の一連の対応を非難することで、自分がすぐに確認に行かなかった不自然さから読者の目をそらせようとしているようにみえる。

 ではなぜ朝木はすぐに確認に行かなかったのだろう。その理由は3日後に確認に行った際、矢野だけでなく弁護士が付き添うという態勢をとったことに現れているように思える。通常、弁護士が警察に行くのは取り調べや捜査に対する抗議のためであることが多い。すると朝木の場合、鍵を確認するだけのために弁護士を必要とするとはどういうことなのか。

 理由は定かでないが、朝木は東村山署に出向いた際に事情聴取されることを予測したということではあるまいか。当時東村山署内では、「朝木は『自分が鍵を隠したと疑われている』と思っていたのではないか」という声も聞かれたという。確かにそれなら、警察に出向いたのが連絡から3日もあとだった理由も、弁護士を付き添わせた理由も理解できよう。

 本連載第18回で検討したように、明代が事務所にバッグを置いたのは平成7年9月1日午後9時19分に自宅から電話して以降であり、その時点で鍵はまだバッグの中にあった可能性が高い。ところが翌9月2日早朝、矢野と朝木は遺留品が返還される以前に「鍵がない」ことを知っていた。彼らはなぜその時点で、鍵がなくなったことを知り得たのだろう。なんらかの事情を知っていたからとみるのが自然である。

(つづく)
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