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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第20回
「青いローヒールの靴」

 千葉は準備書面において、鍵を自殺現場に隠匿したのが矢野(あるいは朝木との連携)である可能性が濃厚であること以外にも、矢野と朝木の主張する「他殺の根拠」が彼ら自身によって作出された可能性があることについて述べている。

 その1つが、彼らが「鍵」とともに「なくなった」と騒いでいた「靴」である。千葉は次のように述べている。



事務所内にあった靴を片付けたのは被告らである

⑴ 警察の捜索で自殺現場及びその周辺から亡明代の靴を発見することはできなかった。しかし、9月2日の午前中に事務所内の亡明代の机の下に踵の低い女性用の靴が(被告矢野が警察で供述した特徴に似ている)脱ぎ散らかした状態になっていたのを目撃され、その日の午後にはなくなっていた。当時、事務所にいたのは被告らのみで、夫などの遺族がいた様子はないことから、被告らが片付けた可能性が高い。



 平成7年10月7日、矢野は朝木事件に関して東村山署で事情聴取を受けた。矢野はその際、明代が自殺当日履いていた靴の特徴として「底のぺったんこの靴」だったと供述している。ここで千葉がいう「矢野が警察で供述した特徴」とはそのことを指している。9月2日の午前中、「杖の下に踵の低い女性用の靴があった」との目撃情報の内容と似ていたということである。

 当日明代が履いていて事務所に置いていたと思われる靴の特徴については、朝木の弟も東村山署の事情聴取で「底の低い靴」と供述しており、さらに『週刊文春』〈反創価学会女性市議の「怪死」〉(7年9月14日号)には次のようなきわめて興味深い記載がある。



(『週刊文春』の記載)

 もうひとつの謎は、当日朝木さんが履いていた「青いローヒールの靴」が両足とも、また事務所を出るときに使ったはずの「カギ」がどこからも見つかっていないことだ。

「朝木さんが隠す理由がなく、第三者の関与が考えられる」

 という声が関係者から出るのも無理はない。



 この記事にある「青いローヒールの靴」は「ローヒール」であるという点で矢野と弟の供述とも一致しているだけでなく、より具体的で、かつ確信を持った記載である。記者は情報源としてかなり信頼できる(と記者が思う)事情に詳しい「関係者」から取材したことがうかがえる。この「関係者」が誰であるかはきわめて重要である。

 しかも靴に関する情報提供者と同一と思われるここに登場する「関係者」は、靴がなくなっていることについて「第三者の関与」まで匂わせている。この「関係者」とは誰なのか。

『週刊文春』に証言した人物

 この点に関しては朝木自身の供述という裏付けがある。平成10年11月9日に行われた『週刊現代』事件の尋問で朝木は当時の取材状況について次のように供述している。



朝木代理人  平成7年9月2日の未明にお母様である朝木明代さんが亡くなったということですけれども、そのことを知ったマスコミの取材が、直後から殺到したということがありましたね。

朝木  はい。

代理人  その取材の対応の窓口は、どなたにお任せしたんでしょうか。

朝木  母の同僚でありました矢野議員にお任せしておりました。

代理人  とすると、直子さん御自身は全く取材に応じなかったんですか。

朝木  私は遺族代表といたしまして、矢野さんと同席の上で取材をお受けいたしました。

代理人  そうすると直子さんは矢野さんと同席の上で取材に応じたことはあったけれども、独立して単独で取材に応じたことはなかった、ということでよろしいですか。

朝木  はい、間違いございません。



 朝木は当時の状況として、マスコミの取材対応はすべて矢野に任せていたと述べている。さらに平成11年11月15日、『聖教新聞』事件の本人尋問で朝木は「(事件に関しては父親の大統も)取材を受けているんじゃないですか?」と訊かれたのに対して次のように供述している。



朝木  ……事件に対する取材はいっさい、私、矢野さん以外は受けておりませんが。



 ここでも朝木は、事件に関する取材を受けていたのは矢野と朝木だけであると述べている。『週刊文春』の取材はいうまでもなく「事件に対する取材」である。すると朝木によれば、『週刊文春』が「明代が当日履いていたのは青いローヒールの靴だった」ことを取材した相手が矢野あるいは朝木以外の人物である余地はないということになる。ことに取材内容は「明代が当日履いていた靴」というきわめて私的な事実であり、確信をもって答えられる人物は矢野か朝木以外にはあり得ない。

『週刊文春』に記載された明代の靴の特徴は「机の下にあった」のを見た目撃者の証言、矢野の東村山署における供述、さらには弟の供述とも矛盾しない。こう考えると、当日朝木が履いていたのは「青いローヒールの靴」だったとみて間違いないということになるのではあるまいか。しかもその情報源が矢野あるいは朝木だったという事実はきわめて重要である。

詳細過ぎる記憶

 ところで一般に、人は他人の履いている靴の色のみならず、ヒールの高さについてまでこれほど詳細に記憶しているものだろうか。朝木も幸福の科学が発行した『リバティ』で次のように述べている。

〈(警察は)私の父とか弟に、執拗にどの靴がなくなっていたかというのを聞くんですよ。「わからない」といっているのに……わかるわけないんです。〉

 朝木もいうように、通常、人は他人がどんな靴を履いていたかなど記憶にないし、ましてヒールの高さなど覚えていないのではあるまいか。朝木の弟が明代の靴について覚えていたのは、弟が当時、明代と生活していたからだろう(弟が東村山署の事情聴取で明代の靴について供述したことは事実である)。

 しかし矢野はもちろん他人であり、朝木も当時、生活実体はなかったものの千葉県松戸に逃げていたから、自殺当日、明代がどんな靴を履いていたかを知る由はなかったはずである。すると矢野あるいは朝木は、明代が当日履いていた靴が「青いローヒールの靴」であるとなぜ『週刊文春』に証言できたのだろうか。また『週刊文春』に対してできた証言を東村山署に対してはなぜしないのか。

 矢野が『週刊文春』に対して「青いローヒールの靴」とまで証言したにもかかわらず、東村山署に対しては「底がぺったんこの靴」としか供述しなかったのは不自然である。被害を訴える遺族や関係者が捜査機関に対して取るべき態度ではない。しかし、何かを疑われることを警戒したとすれば、具体的な供述を避けたことも納得できる気がする。

 矢野は何を警戒したのだろうか。そこで重要になるのが、東村山署に寄せられた「午前中に見た靴が午後にはなくなっていた」という情報である。千葉は「なくなった靴」に関する情報を総合して以下のように推理する。

「通常、人は他人の靴を詳細には記憶していない。しかし、なんらか確固とした目的を持ち、意図的に靴を片付けた者なら、その特徴を記憶したとしてもおかしくない」と。

(つづく)
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