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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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少年冤罪事件 第3回
少年の身元にたどり着いた矢野

 この裁判は平成10年10月に始まり、8回の口頭弁論を経て平成12年2月16日に終結したが、結論からいえば、1年半におよんだこの裁判で、矢野は少年と犯行をつなげる証拠を何ひとつ提出することができなかった。にもかかわらず矢野は、その一方で終始一貫して「犯人はこの少年に間違いない」と主張し続けた。つまり矢野は、たんなる人違いではなく、矢野なりの確信あるいは根拠を持っていたということになる。それはいったい何だったのか。

 それを説明するのが、矢野のいう「犯行の動機」だった。かつて創価学会が、小平市にある日蓮正宗寺院僧侶の罷免を求める署名活動を行ったことがあった。その署名簿の中には少年の母親の名前があった。これが「動機」につながると矢野は主張していたのである。母親が創価学会の署名活動に協力していたことが「少年が暴行犯である」ということにどう関連すると矢野は主張していたのか。

 朝木明代が自殺を遂げた直後から、矢野と朝木直子は「明代は創価学会に殺された」と主張し、その根拠として様々な「事件」の存在を主張していた。創価学会批判を展開していた矢野と明代は創価学会にとって目の上のコブで、だからそれらの事件にはいずれも創価学会員が関与した疑いがあり、明代の転落死の背後にも創価学会の存在がある――矢野はこういいたかったのである。

 この暴行事件の犯人が(創価学会員である)少年なら、マスコミに対する矢野や明代の説明も確かに一定の説得力を持つことになるのかもしれない(もちろんそれでもなお、そのことがただちに「明代は創価学会に殺された」とする主張を裏付けることにはならない)。しかし一方、矢野のいう「様々な事件」、そしてこの暴行事件の「犯人」が少年ではなく、創価学会員でもなかったということになれば、逆に矢野の主張(創価学会関与説)は根拠のないものと判断されてもやむを得ないということになる。

 さて、創価学会の署名簿の中に少年の母親の名前があったことは事実である(あるいは、署名簿に署名した女性の息子が「犯人」と名指しされた少年だった、というべきだろうか)。裁判資料によれば、この署名簿を手がかりに少年の存在を割り出し、名前を確認したのは『週刊新潮』の当時のデスクだった門脇護であるという。さすがは当時、矢野の主張のみを「根拠」に「創価学会疑惑」報道の中心的役割を担っていた、「取材力」に定評のある『週刊新潮』というべきだろうか(同誌も矢野のいう「暴行事件」を「黒い帽子の男」の見出しで取り上げていた)。この過程で、東村山市出身の自称ジャーナリスト、乙骨某も少年の割り出しに一役買っていたのだろう(『週刊新潮』も乙骨某も有名な反創価学会ジャーナリズムであり、明代の転落死事件関連の取材でも矢野とは面識があった)。

 ただ、少年の身元の割り出しにあたって活躍した『週刊新潮』の門脇、あるいは自称ジャーナリストが、少年が確かに矢野の主張する暴行事件の犯人であるかどうかについて、客観的な裏付けにたどり着いたのでなければ、彼らはたんに少年のプライバシーを暴いただけということになる。彼らは少年の身元を矢野に伝えたのだろうが、少年の住所と氏名を知った矢野にしても、事件の当日、現場に駆けつけて「犯人を突き止めた」と矢野がいう若者グループからも確かな証言を得ていたのならともかく、少年の身元を知ったというだけでは少年を暴行事件の犯人と特定する客観的な証拠となり得ないことはいうまでもなかった。


(第4回へつづく)


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