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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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第2次「行動する保守」事件 第15回
矢野とは会わない不思議

 ところで私には当初から、東村山市役所まで来たというのに、「行動する保守」Aは市会議員の矢野穂積、朝木直子とまったく連携していないのだろうかという疑問があった。平成20年8月以降、「行動する保守」Aと矢野、朝木は街宣だけでなくシンポジウムや追悼集会などを通じて関係を深めていた。「行動する保守」Aが議会の傍聴に来たこともあった。

 その「行動する保守」Aが市役所まで来るというのに、「真相究明活動」の中心であるべき矢野と朝木が「行動する保守」Aを無視するというのも不可解だし、「行動する保守」Aの側からしても、矢野、朝木とあえて連携しないのは不自然である。スケジュール上の問題だったとしても、何かメッセージでもあってもよさそうだが、それもいっさいない。

 明代の万引きを苦にした自殺をめぐり、西村が提訴された裁判では「自殺の動機がなかったとはいえない」とまで断定されるなどして矢野と朝木の主張が法廷ではまったく通用しないことが明らかになった。「行動する保守」A自身も「内部告発」が与太話にすぎなかったことを自白する事態に追い込まれた。「行動する保守」Aが矢野の宣伝がデマだったことに気づき、手を引いたことで矢野とは連携しなくなったというのならまだわかる。

 ところが事実はそうではなかった。「行動する保守」Aは再び東村山に乗り込んで「真相究明活動」を行うというのである。にもかかわらず矢野、朝木とは連携しないというのだから、私にはわかりにくい話だった。

「行動する保守」Aは「取材」があるといい、市役所に入って行った。そこで街宣の終了を待って「行動する保守」Aに聞いた。

――矢野さんには会われたんですか?

 これに対して「行動する保守」Aはこう答えた。

  あなたに答える必要はないよ。

「行動する保守」Aが平成20年に八王子で最初の街宣を行った際、矢野に共闘を持ちかけたものの断られていた。同様に、今回の街宣で矢野も朝木も姿を見せなかったということは、協力を得られなかったということと理解できよう。

 会話が成立しそうもないので、私は「『真相究明活動』をするのに矢野先生が協力しないのでは迫力に欠けますねえ」といい、市役所の方に行こうとした。すると、今まで演説をしていた女傑が私に向かってこういったのである。

「……覚えてろよ」

私が「行動する保守」Aに矢野のことを聞いたことが気に入らなかったのだろうか。具体的に何のことをいっているのか聞き取れなかったものの、「覚えてろよ」とは穏やかではない。主催者である「行動する保守」Aの弟子がいたので「参加者に人を脅すようなことをいわせるもんじゃない」というと、弟子はこの女傑について「よく知らない人」であると答えた。

 この程度ならまだいいとしても、仮に参加者の街宣内容が問題になった場合には、主催者として「よく知らない人だった」は通用しないのではあるまいか。

 弟子とそんなやり取りをしていると、さっきは回答を拒否した「行動する保守」Aが、どう気が変わったのか、取材目的をこう明かした。

「あなたのことで取材に行ったんだよ」

 何のことか見当もつかないものの、「行動する保守」Aは私に関する「取材に行った」と明かしたことで瞬間的にせよ優位に立ったような口ぶりだった。何か芳しい成果でもあったのだろうか。いずれにしても、矢野のこと以外なら話すことに差し支えはないということらしかった。

切実な申告を否定する行為

 その後、「行動する保守」A一行は徒歩で東村山駅方向に向かった。公安に続いてわれわれも後を追った。途中には万引き被害者の店がある。「行動する保守」A一行が再び襲撃する可能性がないとはいえなかった。千葉はまっすぐ洋品店に向かい、市民数人が千葉に続いた。警戒のために先回りしたのである。

 私は公安を挟んで「行動する保守」A一行について行った。すると一行は洋品店に近づくこともなく府中街道をまっすぐ北上し、東村山駅東口ロータリーに到着した。ただ一行がそのまま解散せず、駅前の喫茶店に入ったのはやや誤算だった。一行が東村山に止まっているうちは先に帰るわけにはいかなかった。しかし余計な時間を浪費させられたものの、彼らは最後まで洋品店には近づかなかった。

 ただそのことと、洋品店が矢野と明代の被害者であることを「行動する保守」Aをはじめとする一行がまともに理解したかどうかはまったく別の話のようだった。女傑は私に向かって自信満々に「早く目を覚ましてくださいね」と諭すようにいい、支持者の1人は「なぜそこまで洋品店を庇うのか?」と真顔で聞いた。いずれも洋品店が被害者であることを理解していれば出てくるはずのない発言であり疑問である。支持者の認識がそうであるということは、指導者である「行動する保守」Aの認識も同様だということと理解できよう。

 平成7年6月30日、万引きによる被害届を提出された朝木明代とそれを知った矢野穂積はすぐさま洋品店を訪れ、「証拠もないのに訴えると罪になる」と威迫した。矢野の行為の悪質さは、これがたんなるお礼参り=仕返しではなく、店主の切実な訴えを一方的に踏みにじり、意思を曲げさせようとしたところにある。

 矢野が「行動する保守」A主催の集会で述べたように、矢野と明代にとって普通の市民にすぎない洋品店は責めやすかったのだろう。矢野と明代はその後も同様の行為を繰り返し、心理的な揺さぶりをかけた。

 千葉には平成7年当時、矢野と明代が洋品店を脅すのを止められなかったという思いがあった。「行動する保守」Aらが洋品店に行くということは矢野のかつての不法行為を代行することにほかならない。だから千葉は、今も洋品店を守ろうとしているのである。洋品店襲撃事件の非を認めた者、多額の損害賠償を命じられて手を引いたとみられる者がいる一方で、「行動する保守」Aには何が真実なのかがいまだに理解できないようである。

 この日、「行動する保守」A一行は洋品店に近づくことなく、車で東村山を去って行った。千葉をはじめ多くの市民が警戒にあたっていたことも大きな理由だろう。多くの市民が心配してくれたことは心強い。しかし依然として「行動する保守」Aが東村山デマを妄信し、市民がなぜ洋品店を心配するのかを理解できない者までいる以上、彼らのうちの誰かが、再び洋品店襲撃を企てないという保証はない。

(つづく)
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