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著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第28回
平穏だった命日

 朝木明代が自殺を遂げてから17年目となる平成24年9月1日、東村山駅東口周辺に、明らかに明代の追悼、あるいは万引き被害者に対する抗議を行おうとする者の姿は確認できなかった。去年に続き、平穏な9月1日だった。

 ひと月前の7月24日に「行動する保守」Aが「明代の転落死には創価学会が関与した疑惑がある」とする趣旨の街宣を行ったばかりだったから、本人ではなくても、影響、感化された者がなんらかの行動に移さないともかぎらない。そう考えた千葉と私は昼過ぎに東村山駅東口を訪れた。

 右翼Mが街宣を行った平成22年9月1日には、街宣よりもだいぶ前の時間帯に花束を持った若者が東村山駅方面から万引き被害者の店の前あたりまで来て引き返したという事実があった。街宣前に自殺現場のビルに行くと、隣の建物との間に花束が置かれていた。目撃証言から、私と千葉は若者が持っていた花束とこの花束が同一である可能性は高いと判断した。

 この若者が辿った順路は、平成20年9月1日に「行動する保守」一行が辿った「洋品店襲撃事件」から「追悼集会」という経路と同じである。この若者は少なくとも反感をもって万引き被害者の店に近づいたものと思われた。だから今年も、この若者のような者が現れる可能性は否定できないと考えていたのである。しかし、少なくともわれわれがいた数時間の間にはそれらしい者は現れず、現場には花束はなかった。

 それから私と千葉はもう1度、明代が飛び降りた5階に上った。5階と6階の間の踊り場から落下地点を見下ろすと、明代が激突したフェンスがほぼ真下に見える。手すりについていた指の跡からも、明代はぶら下がった状態で落下したとする判断の正しさを改めて実感した。

弁護士との面談を否定する目撃証言

 ところで17年前の9月1日、自殺当日の明代にはもう1つ、あの転落死が「他殺」ではなく自殺だったことをうかがわせる新たな事実があったことを千葉は準備書面で明らかにしていた。千葉は平成24年6月27日に提出した準備書面で次のように述べている。

〈転落当日の明代は、……洋品店前を1人で行ったり来たりした後で万引きした商品を陳列してあった場所の前に佇んでいた。〉

 目撃者によれば、その時間帯は午後1時過ぎだったという。明代は何をしに万引き現場に戻ったのか。明代に用件があるとすれば、矢野と同じように「証拠もないのに訴えると罪になる」などと脅すか、あるいは矢野の意に反して謝罪するかのどちらかしかあり得ない。しかし結局は、明代はしばらく現場に立っていただけでそのまま立ち去った。

 当時はすでに9月4日に東京地検で取り調べが行われることが決定していた。矢野はこの日、担当の弁護士に面会に行っている。その状況で、明代が単独で被害者を脅しに行くということは考えにくい。するとやはり、明代の内心では謝罪するしかないという思いが膨らんでいたのではないかという気がする。

 矢野と朝木直子によれば自殺当日の午後、明代は矢野とともに取り調べを控えた打ち合わせのために弁護士に会いに行ったことになっている。しかしこの目撃証言によれば、明代が弁護士との打ち合わせの席に同席するのは不可能だったということになる。

 その前日の平成7年8月31日には、明代の尋常ならざる精神状態を表しているとみられる2件の重要な目撃談があった。1つは、明代がアリバイ工作に使用したレシートを入手したレストランに1人で現れたことである。具体的な目的も何もないまま、ただ藁をも掴む思いで足が向いたのだろうか。

 食事を終え、レジの前に立っているのが2カ月前にレシートを取りに来た女性であることに店長は気がついた。その顔色は青白かったと店長は証言している。店長は「大丈夫ですか?」と声をかけそうになったから、そのときの状況をよく覚えていたのだった。その後の報道で、店長はその女性が朝木明代という市議会議員だったことを知るのである。

 もう1つは、明代が青果市場の近くで市長の公用車にはねられそうになっていたことである。刻々と迫り来る取り調べのことで頭の中が一杯だったのたろうか。

17年後の目撃証言

 さらに17年後の9月1日、当時の明代の心境を知る上で重要と思われる目撃情報が明らかになった。目撃現場はイトーヨーカドーの西側の入口ドアを出た階段の上である(すなわち、万引き直後に明代が逃げ込んだ入口。西側入口は公道から数段の階段を降りたところにドアがある)。目撃者によれば、明代は階段の前に立って洋品店の方向を凝視していた。「その顔は般若のようだった」と目撃者は語った。

 明代の表情に関する目撃者の表現はあくまで主観だから割り引く必要があろう。しかし少なくとも、それが普通の表情でなかったことは事実だろう。東京地検での取り調べが迫っていた明代には、普通の精神状態でなかったとしても不思議はない事情があったのである。この目撃証言の日付と時間帯は明確ではない。しかし自殺前のいくつかの尋常ならざる行動や出来事からすると、この目撃証言も東京地検から出頭要請があったあとである可能性が高い。

 これらの目撃証言による明代の自殺前の行動をどう評価すべきだろうか。矢野と朝木は、明代が「真相究明の為、徹底的に闘います」(平成7年8月14日付)とする暑中見舞いはがきを出していたから「自殺するはずがない」などと主張している。しかし自殺直前の朝木の目撃情報は、どうみても「徹底的に闘う」と決意していた人物のイメージとはほど遠いものだったのである。

(つづく)
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