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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第29回
語るに落ちた東村山署への電話

 自殺当日の午後、明代は何のために万引き現場に行ったのだろう。さらにその前後に「びっくりドンキー」やイトーヨーカードー前で目撃された明代の心境はどんなものだったのだろう。それを類推させる矢野の発言があった。

 平成7年9月1日午後10時30分、自宅に明代がいないことを確認した朝木は事務所にいた矢野に電話し、東村山署に連絡してくれるよう依頼した。矢野はすぐに東村山署に電話したことにしているが、矢野が実際に電話したのは日付が変わった平成7年9月2日午前0時30分だった。矢野は当直の警察官にこう話した。



(平成7年9月2日午前0時30分ころ、矢野が東村山署にかけた電話の発言内容)

矢野  昨夜の10時過ぎから朝木明代さんが行方不明になっている。そちらに行っていないかと思って電話しました。



 矢野のこの発言には、朝木明代の転落死の真相を知る上できわめて重要な2つの事実が隠れている。

 1つは、9月1日午後10時30分に朝木から警察に連絡するよう頼まれた矢野が実際に警察に電話したのはその2時間後だったということである。日付が変わっていなければ9月1日午後10時のことを「昨夜」とはいわない。この点について矢野は「朝木から頼まれた直後に東村山署に電話した」と説明している。

 しかし矢野が自ら「昨夜の10時過ぎから」といった時点で語るに落ちていた。事実は、矢野が東村山署に電話したのはそれから2時間後だった。

 矢野が東村山署にすぐには電話せず、かつ電話したのが2時間後だったことをひた隠しにしようとするのはなぜなのか。矢野は明代の身に関する何か重大な事実を知っていた。だから東村山署にすぐには電話しなかったということではないのだろうか。

 平成7年9月1日午後10時ころに明代が自殺を遂げたあと、「草の根」事務所には明代の愛用のバッグが残されていた。明代はその直前の午後9時16分、自宅から事務所にいた矢野に電話をかけて「ちょっと休んで行きます」と伝えている。

 その直前の午後9時過ぎ、明代は東村山駅方面から事務所方面に1人で歩いているのが目撃されており、自宅から事務所に電話をかけた時刻から類推すれば、明代はそのまま自宅に帰ったとみられる。明代の愛用のバッグには財布も入っていたから、バッグは午後9時16分に矢野に電話したあと、明代自身が事務所に持って行ったと考えるのが最も合理的である。

 矢野は「この日は午後から朝木さんと行動をともにしていて、午後7時に事務所で別れたあと、朝木さんとは会っていない」と説明している。明代に会っていなければ、その夜、明代の身に異変が起きていたとしても、矢野には知り得ないという趣旨かもしれない。

 しかし明代が自殺を遂げたあと、事務所に明代の愛用のバッグが残されていた事実、さらに矢野は朝木直子から警察に連絡するよう依頼されたにもかかわらずすぐには電話せず、しかもその事実を偽った。これらの事実からは、実際には矢野は明代が自殺する直前に事務所で明代と会ったのではないかと推測できるのではあるまいか。そう考えれば、すべての辻褄が合うのである。

明代の心境を知っていた矢野

 東村山署に電話した際の矢野の発言に隠れているもう1つの重要な事実は、明代が東村山署に行く可能性があることを矢野が知っていたか(「そちらに行っていないかと思って」)、あるいは感じていたということである。矢野はそのことをなぜ知ったのか。明代には警察に行く可能性があることをうかがわせる言動があったということだろう。

 では、明代が警察に行くとすれば、その目的は何か。また明代が矢野の前で警察に行くといったのはいつのことなのか。

 明代が警察に行く目的があるとすれば、万引きの事実を認めること以外にはあり得ない。平成7年7月12日、3回目の事情聴取の際、明代は「アリバイはもう1度調べさせてください」といって取調室を出た。その後矢野は東京地検に対して「食べたのは『レギュラーランチ』ではなく『日替わりランチ』だった」とメニューを変更した。しかしその証拠を明代が東村山署に提出することはなかった。

 東村山署は「日替わりランチ」についても裏付け捜査を行い、矢野と明代が食事をしたと主張している時間帯には「日替わりランチ」はとっくに売り切れていて、注文さえできない状況にあったことを突き止めていた。明代がアリバイを立証することなどできるはずもなかった。

 現実には100%あり得ないが、万が一、明代がアリバイを立証する証拠を入手していたとすれば本当に大いばりで東村山署に出頭したはずである。もちろんニセのアリバイを崩された矢野も同行しただろう。しかし当然そのような事実はない。したがって、明代が東村山署に出向くということは、「私がやりました」と頭を下げること以外に目的はなかったことになる。

 自殺を遂げた当日の午後1時過ぎ、明代が万引き現場にじっと佇んでいたのも、被害者に謝罪したいという思いがあったということではなかっただろうか。その際、明代が被害者に抗議あるいは威迫するような素振りをみせなかったこと、矢野が東村山署に電話した際に「そちらに行っていないかと思って」といった事実を重ね合わせると、より明代の心中が推測できよう。

 虚偽のアリバイによる否認を重ねてさらに情状を悪くするよりも、早く罪を認めて楽になりたい――明代のような状況に追い込まれたなら、常人ならそう考える。東京地検での取り調べがひたひたと迫り、その思いは徐々に強まっていったのではあるまいか。明代が警察に行くしかないと思い詰めていることを矢野が知ったのは具体的にいつの時点だったのだろうか。

 ところで本件の和解成立からひと月半になるが、ウェブ版「東村山市民新聞」には依然として千葉の氏名が数カ所消されずに残されたままである。このまま削除しなければ面倒なことになるのではあるまいか。

(つづく)
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