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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第31回
人生を左右する重大事

 明代が「東村山署に行く」ということは、明代が「私は万引きをしていました」と認めるということである。では、明代が罪を認めることは、矢野にとってどういうことを意味するのか。
 
 矢野はそもそも明代の万引きとは無関係である。しかし平成7年6月30日、明代が東村山署から呼び出しを受けたあと、明代とアリバイ工作を共謀し、あるいはその日のうちに2人で万引き被害者の店に行き、「証拠もないのに人を訴えると罪になる」などと脅したことで当事者となった。対マスコミという点でも、明代のアリバイを証言していたから、ニセのアリバイ主張を行ったという点でもすでにりっぱな当事者だった。

 したがって、明代が東村山署に行くということは、矢野が明代に協力して嘘をついていたことがバレるということであり、場合によっては矢野自身が証拠隠滅罪に問われる可能性さえ出てくる。朝木に議席を譲らせてようやく市議の椅子を手に入れたのに、アリバイ工作と被害者に対する威迫の事実が明らかになれば身の破滅である。

 それを矢野が簡単に容認するだろうか。また明代の万引きを「創価・公明の政治的謀略」と宣伝したことで彼らの周囲にさまざまな形で集まっていた反創価学会勢力との関係も御破算となろう。

 矢野は、書類送検後もメニューを変更することで依然としてアリバイを主張していたし、明代の自殺当日も弁護士との打ち合わせを行っている。助かりたいと思わなければ弁護士と会う必要もあるまい。矢野は明代を助けるだけでなく自分が助かるためにも弁護士に会う必要があった。

 明代が自殺を遂げたあとも冤罪を主張している点からも、矢野があくまで否認を貫くつもりだったことは明らかである。すると矢野にとって、明代が東村山署に行くことは矢野の意思に反するものということになる。その後に予想される事態を考えれば、明代が東村山署に行くということは矢野の意思に反するというだけでなく、矢野にとって人生を大きく左右する重大事でもあったといえるのではあるまいか。

弁護士とは会っていなかった明代

 明代がアリバイ主張をあきらめかけていたのではないかと思わせる出来事が自殺の前日と当日に起きていた。自殺当日の平成7年9月1日午後、矢野の説明によれば、東京地検の取り調べに備えて矢野は明代とともに都内で弁護士と打ち合わせを行ったことになっている。しかし新たな証言によれば、明代は同日午後2時から3時ころ、万引き現場のワゴンの前でじっと佇んでいた。

 また朝木の弟の東村山署における供述からも、矢野が弁護士と打ち合わせしたという時間帯に明代が自宅にいた可能性が浮かび上がる。NTTの発信記録によれば、9月1日14時50分から15時19分までの29分の間に、朝木宅から6回の発信記録がある。では、この時間帯は矢野と朝木によれば明代は都内にいる時間帯だから、この6回の電話はすべて弟がかけたものなのだろうか。しかし弟は東村山署における事情聴取でこう供述しているのだった。

「その日、私が自宅から電話をかけたのは、松戸に出発する前の1度だけでした」

 弟が松戸に出発したのは15時19分以後とみられるが、出発したのがいつだったにせよ、14時50分から15時19分までの29分の間の6回の発信記録のうち、少なくとも5回は弟以外の人物が電話をかけたということになる。当然、その人物とは明代以外にはいない。

 平成7年9月1日、明代は弁護士との打ち合わせには同席しておらず、東村山にいた。14時50分から15時19分までの29分の間に明代が自宅から少なくとも5回の電話をかけていた事実は、午後2時から3時の間に万引き現場にやって来たという証言とも矛盾しない。

 では矢野も朝木も、明代が弁護士との打ち合わせに同席していない事実をなぜ隠すのだろう。9月1日は金曜日で、地検の取り調べは週明け早々に迫っている。そのための打ち合わせであることは明らかだった。明代が暑中見舞いに書いたように、起訴されても、「徹底的に闘う」気持ちがあったとすれば、弁護士に会わないという選択肢は常識的にあり得ない。

 しかし東京地検の呼び出しがあって以後、明代が対外的にも弱気をみせるようになり、闘う気持ちが薄れていたとすれば、明代が弁護士に会わなかったことも納得できよう。あるいは明代が弱気になっていることを察知した矢野があえて同席させなかったとしてもなんら不思議ではない。

 明代の当時の精神状態は、8月31日にアリバイ工作に利用したファミリーレストランに青白い顔で現れたこと、市長の公用車にひかれそうになったこと、万引き後に逃げ込んだイトーヨーカドーの前から洋品店を「般若のような顔で」(証言者)見つめていたこと、9月1日の午後に万引き現場に現れて佇んでいたこと――などに表れていよう。さらに松戸で明代と電話で会話を交わした朝木は、「胸騒ぎ」だけでなく「虫の知らせ」まで感じて明代の身を案じていた。

「胸騒ぎ」「虫の知らせ」とはいうまでもなく母親の命に関わるものである。しかしいかに血のつながった親子でも、母親が危機的状況にあることを「胸騒ぎ」や「虫の知らせ」で感じたという説明で納得せよというのは無理がある。やはり朝木は9月1日の電話での会話でなんらかの形で明代の本心を知らされていた――そう考える以外に朝木の母親に対する「胸騒ぎ」「虫の知らせ」は説明できない。

(つづく)
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