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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「朝木宅襲撃事件」 第12回
ファミレスで待機していた矢野

『週刊新潮』と『週刊実話』を比較すると、朝木が被害届を提出したタイミングには東村山署が「犯人」を釈放したあとか前かという点において多少のズレがある。しかしいずれにしても動かないのは、朝木が被害届を提出したのは東村山署が「犯人」を釈放する方針であることを知ったあとであるということと、東村山署が「犯人」を「過去にも迷惑をかけたことのある常習の酔っ払い」と認定していて、実際に「犯人」を釈放したという事実である。すると、朝木が被害届を提出しなければ、この出来事は事件化されることもなく、ただの酔っ払い騒動として片付けられていたとみていいのではあるまいか。

 矢野が多摩レイクサイドFM「ニュースワイド多摩」で、〈犯人は「この野郎、ぶっ殺してやる」と叫んだ〉〈関係者は(「朝木明代殺害事件」に続いて)「また事件が起きた」と語っている〉〈雰囲気として生命の危険が予想できるような事態〉などと放送したのは平成18年2月10日のことである。「事件」発生からすでに5日も経過している。

 実は、この時点では私には知る由もないことだが、朝木からの連絡で現場に駆けつけた矢野は、そのまま朝木の車で東村山署に同行し、朝木が事情聴取を受けている間、向かいのジョナサンで待機していたことをのちに矢野自身が明らかにしている。矢野は同放送で「東村山署の今後の捜査を見守っていきたいと思います」と述べているが、矢野が「事件」発生から5日もたったこの時点で東村山署の犯人に対する認識と当初の方針を知らなかったことが考えられるだろうか。当然、事情聴取後に朝木も合流し、警察の認識と方針を矢野に伝えたはずである。

 しかし警察の方針とは別に、事件処理という事務的側面からみれば、朝木が被害届を提出したことで処理はまだ完了していないという状況になっていた。だから同年2月18日の時点で、矢野がラジオでことさら明代の転落死と関係があるかのように伝える一方で東村山署の見解を伝えなかったのはアンフェアであるものの、一応、「東村山署の今後の捜査を見守っていきたいと思います」と述べること自体には理由がなかったとはいえないということになるのかもしれない。

タイトル部分以外の争点

 さて、「朝木宅襲撃事件」をめぐって私が執筆し、月刊タイムス(平成18年5月号)に掲載した記事をめぐり、矢野と朝木が問題にしたのはタイトル部分だけではなかった。

 記事の趣旨は、「『朝木宅襲撃事件』とは実際にはたんなる『酔っ払い騒動』であったにもかかわらず、明代の自殺が『他殺』だったと世間に印象付けるために、あたかも朝木直子の殺害を狙った計画的犯行であるかのように主張したもの」というものである。私がその論拠の1つと考えたのが、朝木が被害届を提出したのは東村山署が男を「釈放」したこと(あるいはその方針であること)を知ったあとであると『週刊新潮』と『週刊実話』の両誌が記載しており、またその流れも特段不自然な点はないと判断できたからである。

 警察の判断は「常習の酔っ払いが引き起こした騒動」で、「いったん保護したのちに釈放する」というものだった。これでは法律的に「事件」とはいえず、明代の自殺は「他殺」であると主張する材料として使うことはできない。しかし被害者である朝木が被害届を提出すればどうだろうか。結果はどうあれ「騒動」は「事件」となる。

 これまで矢野と朝木はさまざまな「事件」を捏造して、世間に対して明代の自殺を「他殺」と思わせようとしてきた。だから朝木が被害届を提出した背景にも同様の思惑があったとしても不思議はなかった。

 私はこの点に言及して次のように記載した。

〈通常、この種の事件で警察が釈放する場合には一応、被害者(この場合は直子)の了承を得る。つまり、男が釈放されたということは、直子も警察が男を釈放することについていったんは納得していたということであり、その後、なんらかの理由で直子は態度を硬化させたものと理解できた。

 では直子はなぜ、いったんは釈放に応じたにもかかわらず、その後被害届を提出したのか。警察が被疑者を書類送検もせず釈放したことは、事件はその時点で終わったということである。しかし、被害者が被害届を提出すれば、事件として終結したことにはならない。警察の受け止め方はともかく、被害を訴える側からすれば、事件は解決していないと主張することはできる。直子がいったん釈放を了承し、その後に態度を変えた背景には、直子に翻意をそそのかした人物がいたと考えるのが自然である。その人物とは、事件の日、現場に駆けつけた矢野以外には考えられなかった。〉

 この部分についても争点となったが、矢野と朝木の主張は以下のようなものだった。

「①原告朝木直子は犯人の釈放に応じた、②原告朝木直子は犯人の釈放に応じた後に矢野にそそのかされて被害届を提出した、③警察は被疑者を書類送検すらせず釈放し、その時点で事件は終わった――などという事実はない。」(要旨)

 このうち③の「書類送検しなかった」とする記載は明らかな誤りだった。ただ書類送致はされたが、朝木が提出した被害届の罪名欄に「殺人未遂」とは書かれていなかったと朝木自身が供述したことはすでに述べたとおりである。すなわち男は「殺人未遂」容疑で書類送致されたわけではないということだった。

 なお「書類送検しなかった」とした私の誤りについて東京地裁はこう述べた。

〈男が「書類送検」されなかったことが事実ではなかったとしても、同摘示事実は、当該記述部分の重要な部分とはみられず、この事実摘示によって原告らの社会的評価が低下したと認めるのは困難である。〉

(つづく)
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