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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「朝木宅襲撃事件」 第14回
東京地検の結論

 では事件当日、朝木が東村山署に対して提出した被害届に対する東京地検の処分結果はどうだったのだろう。矢野と朝木は裁判が始まってまもない時期に東京地検八王子支部が朝木に対して平成19年8月24日付で交付した1通の「通知書」を証拠として提出した。朝木が提出した被害届に対する処分内容の通知である。「通知書」には次のように記載されている。



(「通知書」の記載)

 ○○(筆者注=被疑者名)に対する住居侵入事件(事件番号18-226)は、平成18年3月16日、不起訴処分(起訴猶予)としたので通知します。



 この短い通知の中には、東京地検が事件を「住居侵入事件」として処理し、「平成18年3月16日に不起訴処分」としたことが明記されている。朝木は被害届を提出した際、罪名欄には「確か器物破損とか脅迫みたいなことが書いてあったような気がするんですが」「住居侵入も入っていたような気がします」と曖昧な供述をしているが、この「通知書」の記載からすると、被害届に書いてあった罪名も「住居侵入」だったとみるのが自然である(通常は被害届と処分の罪名は一致している)。

 裁判で朝木は「事件」が「酔っ払いによる騒動」だったとは認めなかった。しかし、東京高裁も〈控訴人朝木も男が酔っ払っているように見えたと発言し〉と認定しているように、朝木はやはりその時点で男を「酔っ払い」と認識しており、「殺人未遂事件」であるとは考えていなかったというのが真相なのではないのだろうか。

 そう考えると、朝木が「釈放」の方針を知ったあとに被害届を提出したことには違和感を覚えるし、矢野とともに明代の自殺を「他殺」と印象付けるために騒動を利用しようとしたと考えることに合理性がないとはいえまい。いずれにしても、矢野は「多摩レイクサイドFM」「ニュースワイド多摩」では平成18年2月10日から同年3月10日まで朝木を狙った犯行であるかのような放送を行い、3月10日には「殺人未遂事件」と主張をエスカレートさせ、同年3月31日付『東村山市民新聞』でも同じ主張を行った。また同年5月以降にはインターネット「東村山市民新聞」「矢野ほづみ議員のページ」「創価問題新聞」でも同様の宣伝を行っている。

 東京地検が「不起訴処分」の決定を行ったのは平成18年3月16日である。すると3月10日まではまだ、朝木を狙った犯行であると主張し、捜査機関の結論が出ていないかのような放送を行ったとしてもやむを得ない部分もあるかもしれない。しかし少なくとも同年3月30日付『東村山市民新聞』でもまだ捜査機関の結論が出ていないかのような記載をしたことをどうみればいいのだろうか。

朝木が処分内容を知った時期

 東京地検から送付された「通知書」は平成19年8月24日付だが、「通知書」の日付が処分から1年半もあとになっているのは、後日朝木が処分内容を通知してくれるよう依頼したからであり、朝木が処分内容を知った時期ということではない。では、朝木が東京地検の処分結果を知ったのはいつだったのか。その点は本人尋問で私の代理人が朝木に聞いている。朝木の供述を紹介しよう。



(朝木が「東京地検の処分結果」を知った時期)

宇留嶋代理人  最終的には不起訴処分に終わったということを知ったのはいつですか。

朝木  (平成18年)3月の末、検察のほうに、処分がどうなったのかというふうな開示請求をして、検察からの処分通知で知りました。

代理人  これ(筆者注=上記「通知書」)は平成19年の8月だから翌年ですね。今お話しになった通知というのは、これとは違う。3月末ごろに知ったというふうにおっしゃったんですが。

朝木  ……そしたら、検察に電話をしたか、これはどうだったかな、もうちょっと早かったような気がしますけれども、19年ですよね。

代理人  事件が18年の2月で、処分は3月16日と中に書いてありますよね。

朝木  ……処分というか、これ(筆者注=上記「通知書」)は確か、どういう理由で不起訴処分の、起訴猶予なのか、例えば、嫌疑不十分なのか、そういう理由が知りたくて、これを確か開示請求をしたんだと思います。

代理人  そうすると、結果としては、不起訴処分であるということ自体はもっと前に分かっていて、それが(平成18年)3月の末ごろと。

朝木  確か開示請求をする前に、検察のほうに電話を1度してます。

代理人  それで結果を教えてもらった。

朝木  そうですね、確かそうだと思います。

代理人  それがいつごろ。

木  すみません、申し訳ない、覚えてないです。

……

代理人  ここに書かれた3月末ごろ、知ったというのは間違いないと。

朝木  はい。



 朝木は「独りでは夜も寝られず、しばらくは知人に泊まりにきてもらった」ほど怖かったというが、その割りには事件からひと月たっても捜査結果を聞かなかったという。結果的に捜査結果を知ったのは電話の問い合わせによるというのなら、なぜもっと早い時期に聞かなかったのだろうかという疑問が生じよう。

 いずれにしても朝木の供述によれば、朝木が東京地検の処分結果を知ったのは「平成18年の3月末ごろ」であるという。内容はともかく、「平成18年3月30日付東村山市民新聞」は捜査機関の結論がまだ出ていないことになっている点においてだけはかろうじて整合性が取れていることになろうか。しかしもちろん、その後矢野と朝木がインターネットに掲載した記事は東京地検の結論を隠し、あたかも「酔っ払い騒動」が朝木を狙った「殺人未遂事件」であると虚偽の宣伝をしていると批判されてもやむを得まい。
 
 朝木は尋問の際、「不起訴処分」の結論に納得しているわけではなく、対応を弁護士と相談しているとも述べた。しかしその後、朝木が捜査機関に対してなんらかのアクションを起こしたという情報はどこからも発信されていない。

(了)
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