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『週刊現代』事件 第2回
その後も取材に協力

 朝木直子は『聖教新聞』に対する訴状で「『週刊現代』の取材はいっさい受けていない」、つまり「明代は創価学会に殺された」などとするコメントはすべて捏造だと主張していた。しかしその一方、『週刊現代』は平成7年9月23日号に続いて同9月30日号(〈東村山市議変死事件の深まる謎と創価学会の言論弾圧〉)、同10月28日号(〈連続追及 東村山女性市議・朝木明代さん変死事件 これでも創価学会は中傷・嫌がらせはなかったというのか〉)と相次いで創価学会の関与が疑われるかのような記事を掲載している。

 この2本の記事はそれぞれ創価学会から刑事告訴され(同9月12日)、民事で提訴された(同10月6日)あとに出されたもので、創価学会の法的措置に対抗する意味合いもあった。9月30日号には告訴状に対する反論として次のような朝木直子と大統のコメントも掲載されている。



(告訴された後のコメント)

〈高知の講演会(反創価学会のシンポジウム)について「講師(朝木明代氏)の命の保証はない」などと創価学会関係者が主催者を脅迫した後、今回の事件が起こった。これらの事実を『週刊現代』を含むマスコミのみなさんに平等にお話ししたにすぎません。

 創価学会は事実を公表されてうろたえているのではと思います〉



 創価学会の朝木に対する告訴は、朝木父娘が『週刊現代』の取材に応じて「明代は創価学会に殺された」とする趣旨のコメントをしたという事実が前提である。すると朝木らが「『週刊現代』の取材はいっさい受けていない」のなら、朝木は『週刊現代』からコメントを捏造されたことによって多大な迷惑をこうむっていることになる。

 いわば朝木も報道被害者で「創価学会はうろたえている」などとコメントしている場合ではない。「『週刊現代』の取材はいっさい受けていない」のなら、まずそう反論するのが普通の感覚ではあるまいか。「創価学会がうろたえている」云々はそれから先でよかろう。

 それどころか、コメントを捏造するような週刊誌には2度と近づかせないようにするのが普通の感覚だろう。ところが朝木はコメントを捏造されてもなお、その後の『週刊現代』の取材に応じて丁寧にコメントしている一方、朝木が「『週刊現代』の取材はいっさい受けていない」と主張している事実は1行たりとも書かれていない。これではやはり、「『週刊現代』の取材はいっさい受けていない」とする朝木の主張には信憑性がないと判断されてもやむをえないのではあるまいか。

きわめて好意的な対応

 むしろ担当者の陳述書によれば、少なくとも『週刊現代』が連続して創価学会疑惑記事を掲載していた当時、問題のコメントをしていないどころか、『週刊現代』に対して朝木と矢野らがきわめて好意的に取材に応じていた様子が浮かび上がる。

 担当者の陳述書によれば、『週刊現代』は9月2日に取材を開始、4日になって編集長から正式に取材の指示が出た。現場の取材チームは5日の時点で3名となり、そのうちの1名は同日、朝木宅に大統を訪ねている。大統は門の前まで出てきて取材に応じ、創価学会を激しく批判するとともに「妻が自殺するはずがありません。創価学会に殺されたんですよ」などと述べた。

 別の記者は9月5日から「草の根」事務所で取材を続けたが、5日は「矢野ばかりが発言していて、直子がしゃべろうとすると矢野がさえぎるので困る」という状況だったが、原稿締切日である9月6日になって朝木本人から話を聞くことができた。朝木はその際、「母は殺されたんだと思います」「今回で学会のやり方がよくわかりました」などと述べた。

 この2日間の大統と朝木のコメントが問題の記事に掲載されたコメントである。朝木のコメントについては原稿作成の段階であらためて本人に電話連絡し、その内容で間違いないかどうか確認を取ったという。こうして〈夫と娘が激白!「明代は創価学会に殺された」〉と題する記事が出来上がった。

 問題の記事を掲載した平成7年9月23日付『週刊現代』は同年9月11日に発売された。担当者によれば同日夜、担当者は「草の根」事務所を訪ねて矢野、朝木と初めて面会している。担当者はその際に、「朝木氏と矢野氏は私に対してきわめて好意的で、警察から返却されたばかりの明代氏の遺品(血がついたストッキングなど)をみせてくれた。また今後の全面的な取材協力の約束を取りつけた」という(実際にその後に発行された2本の関連記事において矢野と朝木は取材に協力している)。

「よくあそこまで書いてくれましたね」

 また講談社代理人は朝木に対する尋問の際、朝木は担当者に対して「よくあそこまで書いてくれましたね」という趣旨の発言をしたとも述べている(朝木は否定)。事実なら、もちろんこれは謝辞で、『週刊現代』を責めるものではない。

 朝木の陳述書によれば、朝木は同年9月11日に全国紙朝刊に掲載された広告によって問題の『週刊現代』が発売されることを知ったという。広告には〈夫と娘が激白!「明代は創価学会に殺された」〉との文言があった。朝木は「疑惑についてはともかく、私も父もこのような発言は一切していなかったので驚いた。そこで矢野議員に知らせるとともに、すぐにこの『週刊現代』を買って読んでみた」(要旨)という。したがって当然、『週刊現代』の担当者が事務所に来た時点で朝木も矢野も記事内容を知っていたし、しかもコメント部分については少なくとも納得はしていない雰囲気である。

 その朝木が、『週刊現代』の発売当日に初めて会った担当者に対して、まず身に覚えのないコメントが掲載されている事情について質問したのならわかるが、「よくあそこまで書いてくれましたね」と謝辞を述べるとは奇妙だった。しかも担当者はその夜、明代の遺品まで見せてもらったという。

 担当者は陳述書で「返してもらったばかりの遺品」と記載している。東村山署が明代の遺品を返却したのは9月3日だから「返してもらったばかり」というのはやや正確さを欠いている。しかし、見せてもらった遺品の中でも「乾いた血がべっとりとついたやぶれたストッキング」がとりわけ印象に残っていると記載している点は具体的で作り話とは思えない。やはり朝木は『週刊現代』の取材に応じており、挨拶に訪れた担当者にきわめて好意的に接したとみるのが素直な見方というべきではあるまいか。

(つづく)
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