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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第5回
幼少時代を語った朝木

『週刊現代』の記事をめぐり朝木直子が「取材を受けていない」と主張し、発売当日の「夕方以降」(だったと思うと朝木は供述している)に編集部に電話し、担当者に対して「コメントはしていない」旨を伝えたと主張している点については、担当者の証言やその後も朝木が『週刊現代』の取材に応じていたことなどからするときわめて信用性が低いといわざるを得ない。裁判所でも一審、二審とも事実として認定されていない。朝木の主張は信用できないと判断されたということである。

 朝木が「『週刊現代』の取材はいっさい受けていない」と主張した点については、編集部に抗議の電話をしたと主張した以外に『週刊現代』が法廷で証言した取材そのものの状況についても真っ向から対立する主張を展開している。

 朝木直子の取材を行っていたN記者の証言によれば、Nが「草の根」事務所において朝木の取材を行ったのは平成7年9月5日から6日にかけて。「当時、草の根事務所は、テレビ、新聞、雑誌等の記者らが集まっていて、非常に混雑した状態」だった。Nは事務所内だけでなく、朝木がコンビニに出かけたときに同行するなどして取材したという。その間に朝木が述べた内容は概要、以下のとおりだった(東京地裁も東京高裁も事実を認定している)。



(『週刊現代』の取材に対する朝木のコメント①)

 1日の午後10時半頃に、母の様子を見に行きました。家にはいませんでした。事務所も誰もいなくて、ワープロの電源がついたままでした。電灯やクーラーもつけっぱなしですし、おまけに母のバッグが、中身も全て置いてあるのを見つけて、正直にいうと、もう会えないのかな、まるで坂本事件のようだなと思いました。

 自殺などではありません。……母のような人を自殺に追い込むことはできないと思います。支持者の方々も皆そう言ってますよ。それに、もし自殺するために、あのビルから飛び降りたのなら、もっと前に落ちていたはずです。あの位置は真下ですからね。

 母は、議員でいるときは、闘士と書かれる事が多いですが、議員でない時の母は、子供好きな、本当に優しい人でした。器用な人で、私が小さな頃、洋服は手作りでしたし、おやつも手作りでいつも作ってくれました。

 私が小学生の頃から、母はボランティア活動を始めたのです。老人ホームへの訪問や、昼食会、子供会やPTAでも活動していたと思います。

 弱い者いじめだけはやめなさい。そしいう人たちを守ってあげる勇気を持てるようになりなさいと、事あるごとに聞かされました。

 母の場合も、私の場合も、特に政治の世界に入るつもりはなかったのですが、あくまでも市民活動のひとつとして、その必要性があったのです。

 創価学会による政教一致を常に批判し続け、学会による被害者を支援してきた母の死を無駄にしないように生きていきます。



『週刊現代』の記事をめぐり創価学会から告訴された朝木は〈高知の講演会(反創価学会のシンポジウム)について「講師(朝木明代氏)の命の保証はない」などと創価学会関係者が主催者を脅迫した後、今回の事件が起こった。これらの事実を『週刊現代』を含むマスコミのみなさんに平等にお話ししたにすぎません。〉と述べた。今から思えば、このときすでに朝木は〈『週刊現代』に対して個別に「明代は創価学会に殺された」などのコメントはしていない〉と主張する伏線を準備していたのかもしれない。実際に裁判でも朝木は『週刊現代』の個別取材は受けていないと主張した。

 しかしNが記録したここまでの朝木のコメントでは転落死以外にも明代が母親として洋服やおやつを作ってくれたこと、弱者を守ってあげるようにと聞かされたことなどにも触れられており、取材しないで作出されたものとは考えにくい。

具体的な想定

 続くコメントをみよう。



(『週刊現代』の取材に対する朝木のコメント②)
 
 母が死んだという一報がきたとき、私は家の前に不審車がいたので、外に出ました。妹の悲鳴で気がついたのです。すぐに、母は殺されたんだと思いました。当然ですよ。都議選の後ぐらいから、尾行されたり、いたずら電話や、ポケベルに4の文字が並んでいたり、放火の件や、矢野さんへの暴行、そして万引きの件もありました。

 特に万引きの事件後は、自分の身辺に気をつけ始めました。カバンの中に、何かを入れられたら、万引きしたというレッテルを貼られますからね。家の鍵や、夜中に1人で出歩かないようにするなど、警戒はしていたのです。



 ここで朝木が「不審車」といっている車が停まっていたのは朝木宅の前ではなく、正確には朝木宅につながる路地から東村山駅方面に向かう道に出て左折し、20メートル先をさらに右折した地点である。したがってその「不審車」を見たというだけで「すぐに、母は殺されたんだと思いました」とはとうてい考えることはできず、実際に何の関係もなかったことが判明している。

 朝木は「妹の悲鳴で気がついた」というが、車を見ただけで悲鳴を上げたとすれば朝木の妹こそまともではないということになろうか。ちなみに東村山署の事情聴取に応じた弟はこの車について、なんらの異状も感じられなかったと供述している。朝木が主張するそれ以外の「事件」についても、矢野が犯人と名指しした少年が無実だったり(少年冤罪事件)、裁判所からその存在自体が不明確などと認定されたものばかりである。

 さて、コメント②の中で注目されるのは〈特に万引きの事件後は、自分の身辺に気をつけ始めました。カバンの中に、何かを入れられたら、万引きしたというレッテルを貼られますからね。〉というコメントである。どのメディアにも出ていないコメントで、これもまた朝木が『週刊現代』の単独取材に応じていたことをうかがわせる。

 そのこととは別に、朝木が〈カバンの中に、何かを入れられたら、万引きしたというレッテルを貼られますからね。〉という万引きが疑われるケースを具体的に想定して述べていることは興味深い。素人では具体的なケースをよどみなく例示することは難しいのではないか。朝木の周辺ではそんな話が出ていたのだろうか。

 私は反射的に、乙骨が『怪死』(教育史料出版会)で〈朝木さんに対しても、「万引き常習者」だの「家族揃って万引きをしている」などと、それこそ根も葉もない誹謗中傷が執拗に加えられている〉と記載していたのを思い出した。

(つづく)
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