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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第6回
「忙しい」と聴取を断る

 朝木はNの取材に対して東村山署の対応についてもきわめて具体的にコメントしている。その中にはとうてい本人でなければ知り得ない内容が含まれていた。


 
(『週刊現代』の取材に対する朝木のコメント③)

 高知行きの話でも、既に航空券やホテルを偽名で予約するくらい警戒していたんですよ。これで自殺だって信じられますか。

 創価学会は、オウムと同じですよ。手口としては、まず、汚名を着せてレッテルを貼る。そして、社会的評価を落とすのです。その後その対象となる人物が、精神的に追い込まれて自殺したふりをして殺すのです。今回で学会のやり方がよくわかりました。

 警察にしても嘘っぱちですよ。事件に関しても、協力などまるでありません。現実、警察から家には、連絡が全くなかったのですよ。矢野さんには連絡をして、何故こちら遺族には連絡をしないのでしょうか。今日(6日)になって初めて、東村山署の○○課長代理から連絡があって「お母さんの当日の様子を聞きたいので署まで来てくれ」というのです。おかしいんじゃないですか。今ごろですよ。何故もっと早く連絡をくれなかったのでしょうか。

 2日の午前2時50分頃に、矢野さんの方に、母が亡くなったと連絡が来て、父、妹、弟とともに署に向かいました。署に到着して、母に会いたいと思っていたのですが、刑事課の刑事が、検死が終わるまで会わせてくれないのです。遺族なんだから会わせて下さいとお願いしても「ダメなんだから、ダメなんです」と受け付けてくれませんでした。

 やっと会えたのが、検死後の午前5時頃ですよ。既に母は柩に入っていて、顔しか確認できませんでした。死に顔は般若顔、怒ってる顔でした。



 上記コメントには、警察から連絡があった日やその内容、亡くなった母親と対面したときの状況など朝木にしかわからない内容が多く含まれている。たとえば東村山署が事情聴取の要請をするために朝木宅に電話をかけた日付は記録と合致している。この点だけをみても、このコメントが朝木のものであることは証明されよう。

 なお朝木は東村山署からの連絡が9月6日だったことについて「何故もっと早く連絡をくれなかったのでしょうか」と、連絡をくれればすぐにでも聴取に応じたのにといわんばかりである。しかし記録によれば、朝木はそのとき東村山署の課長代理に対して「今、忙しいので検討して電話する」旨の回答をした。

 警察から連絡があれば何を置いても事情聴取を優先するような口ぶりであるにもかかわらず、また実の母親の死に関する聴取であるにもかかわらず、現実の回答が「今は忙しい」「検討して連絡する」だったとはどういうことなのか。仮にそのとき手の離せない事情があったとしても、何時間もその状態が続くということはあるまい。また事情(事実)を話すのに何を「検討する」必要があったのだろうか。矢野と口裏を合わせる必要、ということだろうか。

 いずれにしても判決文に記載された取材の記録によれば、朝木はNに対し警察から連絡を受けたのが6日だったことに不満を訴えた一方、すぐには行っていないことは伝えていないようである。そのことを朝木はなぜ『週刊現代』の記者に伝えなかったのだろうか。

調べに応じなかった理由

 さて、課長代理は朝木が「すぐに行きます」ともいわず、事情聴取に行く日も明確にしないので自席の電話番号を伝え、朝木からの連絡を待った。しかしその後何日待っても朝木から連絡はなかった。

 現場検証後の9月2日に自殺現場で明代の関係者が介在したとしか思えないかたちで発見された明代の鍵束に関する捜査が終わり、9月11日、課長代理は再び朝木に電話した。今度は「明代さんのものと思われる鍵が発見されたので確認に来てほしい」というものである。当時朝木と矢野は、自殺現場に「靴がない」「鍵がない」と騒いでいた。その鍵が見つかった可能性が高いのだから、これも緊急の用件のはずである。

 ところがその際も朝木はすぐには確認に行かず、翌9月12日に電話をかけてきて、鍵の発見状況等についてなぜかヒステリックに質問するとともに「14日夕方に弁護士を連れて取りに行く」と回答してきたのだった。どうしたのだろうか。母親の鍵を確認するのに弁護士を連れて行く必要があるとは思えない。

 9月6日に事情聴取を要請され、朝木は課長代理に対して「連絡する」といったにもかかわらず何の連絡もせず、9月14日には弁護士(もちろん矢野も)を同伴して来た。一連の状況をみると、朝木には警察から何かを聞かれることを警戒していたという側面もあったのではないかという気がしてならない。「連絡がない」と不満を訴えている朝木がその後警察に連絡しなかったことには何か格別の事情があったことをうかがわせる。

 9月14日、朝木が弁護士と矢野を同伴して鍵を取りにやって来た。ついでだから、東村山署は朝木の事情聴取を行った。しかし朝木は今回も多忙を極めていたのか、事情聴取には30分しか応じられないという。弁護士を連れてきた効果ということかもしれない。課長代理はやむを得ず、日を改めて事情を聞かせてくれるよう重ねて要請した。これに対して朝木は「後日また来る」と約束したが、その約束が果たされることはついになかったのである。このため大統と弟の調書はあるが、朝木の調書はない。

 朝木は『週刊現代』記者に対して「警察は連絡してくれない」と不満を訴えた。朝木のこの主張だけを聞けば「警察の対応はやはりおかしい」と記者が考えても不思議はなかろう。しかしその後の朝木の行動を見るかぎり、朝木には最初から聴取に応じる気はなかったことがうかがえる。

 その一方で朝木は、メディアとりわけ『週刊現代』の取材にはきわめて好意的に応じていた。この取材記録自体がその事実を証明していよう。「多忙」の中でメディアの取材には好意的に応じる一方、警察の事情聴取には応じないというのは、遺族の対応としては違和感がある。

 東京地検に対しても同様だった。朝木は同年11月になって東京地検の呼び出しに応じた。しかしその日はなぜか「大声でわめいて」調べにならず、5日後に再度出頭を求めたが、朝木はもう出頭しなかった。

 やはり朝木は何か、「警察には知られたくない何かを知っていた」ということなのではないか――そう考える以外に、朝木が東村山署や東京地検の事情聴取に頑として応じなかった理由は思い当たらない。

(つづく)
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