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『週刊現代』事件 第7回
解剖をめぐる攻防

(事情聴取には応じなかったにもかかわらず)「私にはいつまでたっても連絡してこなかった」と警察に対する不満を述べた朝木のコメントは、さらに捜査に対する不信感へとエスカレートする。



(『週刊現代』の取材に対する朝木のコメント④)

 その後の解剖にしても、警察はさらさらやるつもりはなかったですよ。母と面会後、午前6時頃だと思うのですが、○○課長代理が、「行政解剖をすることになりました」と言うのです。おかしいと思って、何故ですかと聞くと、「解剖に関しては検事が決めることになっている。司法解剖は事件性の高いものでないとできない。朝木さんの場合は行政解剖になった」というのです。加えて、病院も指定できないとね。彼らはこの事件に関して、事件性はなく、自殺であると決めているわけですよ。

 その後、それでは、こちらは任意で病理解剖をしますと話しました。こちらが何かいうたびに、○○課長代理は、上の階へ行って、誰かと話をしていたようですが、こちらがやると話した病理解剖に関しても、「金がかかりますよ」と気に入らなかったようです。何度か彼は席を外して、結果として「司法解剖となりました」と答えました。なぜ変わったのですかといくら聞いても「こちらでは申し上げられない」と何も答えませんでした。



 ここでは、明代の解剖をめぐり警察の方針に遺族が異を唱えたこと、それに対する課長代理の発言や対応の様子が詳細かつ具体的に述べられている。現場にいて経験した者でなければ話せない内容であると思われる一方、『週刊現代』の記者がここまで具体的な話を捏造するとは考えにくい。

 千葉によれば、課長代理の言動に対する朝木の評価はともかく司法解剖が決定されるまでの経緯はおおむねこのとおりであるという。したがってコメント④もまた、朝木自身が記者の取材に応じて述べたものとみていいのではあるまいか。

 初動捜査を終えた東村山署は事件性はないと判断し、東京地検の検事と協議の上、行政解剖を行う方針だった。一方、「他殺」を主張する矢野と朝木は「事件性がないこと」を認めたくないために行政解剖を受け入れなかった(司法解剖は事件性が疑われる場合に行われ、行政解剖は事件性がない場合に行われる)。

 行政解剖だろうと司法解剖だろうと法的位置づけが異なるだけで、死因を追及するという目的は同じである。ただ、司法解剖は強制力があって原則として遺族の了解を得る必要はないが、行政解剖の場合には遺族の同意が必要となる。朝木は行政解剖を拒否し、司法解剖しないなら任意で病理解剖すると迫ったのだった。司法解剖したということになれば、形式的には「事件性がある」ということにもなるのである。

 千葉によれば、東村山署が当初の予定だった行政解剖を司法解剖に変えた理由の1つは、遺族が任意の解剖を行い、「他殺の証拠があった」と主張した場合には面倒なことになると判断したためであるという。

ただの内出血を「他殺の証拠」と主張

 司法解剖の結果、矢野や朝木らが主張していた「他殺」が疑われる所見はなかった。しかし矢野と朝木は、明代の遺体の上腕内側部に皮下出血があったとする記載から、それが他人に掴まれた痕であり、「他殺」の根拠であると主張した。しかも裁判で矢野は、司法解剖鑑定書に添付された鮮明な重要部分の写真を、内出血の位置や形状が判別できないようにすべて不鮮明に加巧して提出したのである。通常のコピー作業では起こり得ない粗悪なコピーだった。

 司法解剖鑑定書は朝木が明代の救助活動を行った救急隊員と東京都を提訴した裁判で、東京都が証拠として提出した。その原本を確認すると、鑑定書に添付された写真はいずれも鮮明なものだった。

 鑑定書に添付された写真は鑑定医が死因を特定するにあたって重要と判断した部位で、仮に矢野と朝木の主張する「上腕内側部」に人が掴んだ痕があったとすれば鑑定医が見逃すはずはなく、司法解剖鑑定書にも添付されたはずである。しかし添付写真の中に矢野と朝木が「他殺の証拠」と主張する「上腕内側部」は含まれていなかった。

 つまり上腕内側部に内出血の痕が存在したことは鑑定書の記載から事実だが、鑑定医はそれが「他殺」はもちろん死因の特定に関わる重要な部分とはみなさなかったということだった。しかしそれでも矢野は司法解剖鑑定書の添付写真という重要な証拠を加巧することで事実を判別しにくくした上で、その内出血の痕を「他人から掴まれた痕」であると主張したのである。

 仮に捜査当局が司法解剖へと方針を変更せず、朝木が任意の解剖を行っていたとすればどうなったか。平成7年9月2日早朝の東村山署は、矢野や朝木が口々に「殺人事件だ」と騒ぎ立て、彼らに同情的な、あるいは反創価学会メディアを含むマスコミが続々と集まってくるという騒然とした状況にあった。矢野と朝木は「行政解剖」を拒否し、それなら任意での病理解剖を行うと息巻いた。そんな状況にあっても浮足立つことなく、矢野や朝木の態度をみて冷静に司法解剖に切り換えた捜査幹部の判断は的確だったと思う。

心を占めていた出頭日

 朝木の警察に対する不信を訴えるコメントは続く。なにか警察に対して個人的なわだかまりでもあるのかと思えるほどである。



(『週刊現代』の取材に対する朝木のコメント⑤)

 本当に何から何までおかしいんですよ。身元の確認もさせないまま、ずっと待たされたし、救急車が来て、その後、3時間ほど生きていたにもかかわらず、なぜ私たちを呼ばないのでしょうか。しかも防衛医大では、○○係長が母であることを確認しているんですよ。

 生前、母は「私ぐらいの市民グループレベルの人間だとやりやすいわよね」と学会に殺されるかもしれないということは言っていました。

 当然、反学会キャンペーンをやっていて、高知のシンポジウムに出席しようとした前日にあのようなことになったのですから、そこから推測される事実はひとつだと思います。



 通常、不審死の場合には検死が終わるまでは外部の者に会わせることはない。何があるかわからないからで、検死後に遺族が身元確認をして初めてその遺体の身元が正式に確認されたことになるのである。 

 したがって、他人である刑事が確認したということになればその方がよほど問題になる。しかし万引き事件で明代の顔を知っていた刑事が防衛医大で「朝木のようだ」と漏らしたという話も、「東村山署は殺人事件であるにもかかわらず真相を隠蔽した」というストーリーにおおいに利用されたのである。

 続く「高知のシンポジウム」と関連づけたコメントも憶測にすぎない。このコメントの当時、朝木は知らされていなかった可能性もないとはいえないが、明代がビルから飛び降りる3日前の平成7年8月29日、万引き事件の件で明代は東京地検から取り調べのための呼び出しを受けていた。通告された取り調べ予定日は高知から帰京する日の翌日だった。

 ジャーナリストの乙骨正生によれば、地検からの呼び出しがまだ来ていない同年8月25日ごろ、明代は高知に同行する乙骨に対して「高知には楽しく行きましょうね」と話していたという。書類送検されたものの、地検からの呼び出しを受けていない明代にはまだ切迫感がなかったのかもしれない。しかし9月1日の時点で、すでに明代を取り巻く状況は1週間前とは天と地ほどの違いがあった。そのとき、明代の意識を占めていたのは「高知シンポジウム」などではなく、帰京後に迫った東京地検の取り調べだったのではないだろうか。

 そのことを知らされていない『週刊現代』記者にとって「シンポジウム」の話もそれなりの説得力を持ち得たのかもしれない。

 以上が、『週刊現代』記者が取材し、裁判所が事実を認定した朝木のコメントだった。

(つづく)
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