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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第8回
「市民の敵」に成長

 娘が娘なら、父親の朝木大統もまた掲載されたコメントについて、取材さえもいっさい受けていないと主張した。大統も『週刊現代』に掲載されたコメントは捏造だと主張していることになる。その根拠について大統は平成12年12月11日付陳述書で次のように述べた。



(朝木大統の陳述書における主張)

 私は、当時(筆者注=平成7年9月当時)から、太陽光のもとで明暗がわかる程度で失明しており、人と応対しても、それが誰であるのか全くわかりません。したがって、妻明代が殺害された直後、殺害に関するマスコミの取材が事務所に殺到したようですが、私たち遺族は、妻明代の同僚議員であった矢野穂積議員に取材の対応窓口になっていただいていました。

 また、私は失明しており、私の家の玄関から門扉まで、かなり厚みのある踏み石が並んでいて何度も転んだことがあり、1人で普通に真正面を向いて歩いていくことはできませんでした。また、出された名刺を受け取ってそれを見るということもできませんでした。



 踏み石につまずいて何度も転んだというのなら、さぞ相当なケガもしたことだろう。普通の家ならそんな危険極まりない踏み石は取り除いて平らにすると思うが、大統の陳述書によれば、朝木家では目の不自由な主人が何度も転んでも放置していたことになる。大統は家庭内で疎まれていたのだろうか。

 明代が死亡した時期に大統が「失明状態にあった」という話は、平成8年7月9日に行われた議席譲渡事件における朝木直子に対する尋問の中で初めて出てきた。平成7年4月に行われた東村山市議選で当選した朝木はその直後、住民票を東村山から千葉県松戸市に移動させた。その目的は、松戸に住民票を移動させることによって東村山にある自らの被選挙権を喪失させ、同時に自動的に当選も失効させ、次点で落選した矢野を繰り上げ当選させるためである――朝木はマスコミなどに対してこう説明していた。

 ところが1年後、朝木は法廷で「松戸に住所を移転したのは目の不自由な父親の介護のためだった」と供述したのだった。原告側の東村山市民も被告側の東京都も、もちろん傍聴席も一様に唖然としたのは当然である。1年前になぜそう説明しなかったのかと問われた朝木は「(議席譲渡が)目的ではなく、結果としてそうなっただけ」と平然と答え、矢野の薫陶の下で鍛えられたのか、みごとに誠実さのかけらもない、市民の敵へと成長した姿を見せつけた。

1人で出てきた大統

 では議席譲渡事件の当時から、大統の目は本当に「失明状態」にあり、『週刊現代』の取材にも応じていないのだろうか。東京地裁と東京高裁が事実認定した『週刊現代』記者の取材記録の中にそのような事実がうかがえるのかどうか、判決文に記載された認定事実をみよう。

 まず、記者が朝木の自宅を訪問した際の様子は以下のとおりだった。平成7年9月5日午後4時ごろである。



(『週刊現代』記者が朝木宅を訪ねた際の様子=要旨)

 記者が朝木宅の玄関の呼び出しを押して取材の申し入れをすると、長女の朝木ではない若い女性が出てきたので、記者は改めて訪問の趣旨を説明した。するとその女性は「私にはわかりませんので、ちょっとお待ちください」といって家の中に入って誰かを呼びに行った。

 その直後、大統が玄関から門のところまで出てきて「明代の夫の大統です」と述べた。記者は再度訪問の趣旨を述べ、名刺を手渡した。大統は名刺に目を向け、取材に応じ始めた。



 目が見えなければ相手の確認もできないから、まず最初に目の話が出てきてもおかしくないと思うが、ここまでの状況をみると、最初に応対した若い女性からも大統自身からも「目が不自由」という話は出ていないようである。それどころか大統は、記者が渡した名刺に目を向けたという。見えていなければ目を向けることはないのではあるまいか。

 いずれにしてもその際、記者は大統に対して15分程度の取材を行ったという。大統のコメントは概要以下のとおりだった。


 
(『週刊現代』の取材に対する朝木大統のコメント)

 自殺なんかじゃありません。殺されたんですよ。警察から私たちにそのことに対して何の聞き込みもありませんでした。しかも、当日妻は事件現場で鍵も靴も所持していなかったんですよ。おかしいじゃないですか。

 学会だと思うけど、事件当日に妻が青白い顔で歩いているのを見たとか、私と離婚していたとか、事実でない噂が流れているといいます。

 この事件は、創価学会と公明党と警察がつるんで、妻が万引き事件で悩み込み、それが原因となって死んだ、というシナリオを作ったのだと思いますよ。まるで、オウムがやっている一連の事件と同じことですよ。

 私は、妻がいなくなって、妻が管理していた銀行のカードや通帳が、いまだどこにおいてあるのかわかりません。

 松戸市に私の勤務先があるんですよ。不動産関係の仕事です。

 今、心労で体の調子が悪いのです。このへんで勘弁してください。



 東村山署が遺族から事情聴取するために朝木宅に最初に連絡したのは同年9月6日で、9月5日の時点で大統が「警察から私たちにそのことに対して何の聞き込みも(ない)」と訴えているのは事実としては合っており、大統にしかわからない情報である(警察は遺族の心情を配慮し、葬儀が終わるまで連絡しなかった)。また大統の会社の所在地やその業務内容も事実と一致しており、銀行カードの件も捏造とは考えにくい。したがって、このコメントについて裁判所が事実と認定した判断は妥当と思われた。

 その上で、「失明状態だったから取材は受けていない」とする主張とコメントの内容を照らし合わせると、まず「心労で体の調子が悪い」といいながら目の状態についてなんら話していないのは不自然で、少なくとも「失明状態」にあったというのは事実とは異なるのではないかとの疑いを抱かせる。さらに記者の法廷における証言は、その印象をより強くさせるものだった。記者は法廷で、このときの状況について次のように供述した。

「大統は介助なしに杖もつかず、普通に飛び石の上を真正面を向いて歩いて門のところまで出てきて、渡された名刺を見ていた」

 大統は「何度も転んだ」はずの飛び石の上を難なく歩いて門のところまで来たというのである。この記者の証言は、当時の大統の目が、少なくとも「失明状態」ではなかったことを裏付けていよう。

 また同年10月に東村山署の刑事が不明となっている明代の靴の調査のために朝木宅を訪問した際、対応したのは大統だった。大統は同じように門のところまで歩いて出てきたという。この事実もまた、大統が少なくとも「目が見えない」という状態ではなかったことを物語っていた。

 なおこのとき、刑事は靴の調査のために家の下駄箱をみせてほしいと申し出た。しかし、大統はこの要請を拒否した。大統はやはりコメントのとおり、「明代は万引き犯の汚名を着せられ、自殺とみせかけて殺された」と信じ込んでいたことがうかがえる。

 その1年後、大統は今度は目が見えなかったことになった。そもそもその目的が「朝木が松戸に住所を移転する理由」にするためだったのか、「『週刊現代』の取材は受けられなかった」ことにするためだったのかは定かではない。

(つづく)
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