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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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太田述正事件 第6回

ふてぶてしい訂正

③「部分的に不正確な要約紹介があった」
 この項では答弁書の中で唯一、コラムの誤りを認めている。「副署長は創価学会員だった」とした部分についてである。太田は答弁書で、〈再度、この本を読み返してみたところ、副署長(原告)と刑事課員が創価学会員であった旨の記述はなかった。〉と述べ、この部分が誤りだったことを認めた。太田は、「原告と創価学会との癒着を示唆する記述」として『東村山の闇』の他の部分の記述を数カ所例示し、〈このような記述から、私は、副署長は創価学会員であるとこの本に記してあると、誤解してしまったようだ。〉と述べている。

 ここまではまだ、これが判決にどう影響するかは別にして、素直に非を認めたという点で一応の評価はできよう。ただ、この事実誤認にも斟酌すべき理由があったとして長々と自己弁護を並べたのはどうかと思われた。太田はこう述べたのである。

〈この種の思い込み、勘違い、記憶違い、もしくはミスプリは、人間にはつきものであって、完全に排除することは不可能だ。

 本や雑誌の場合、時間的余裕があるので、何度も校正等を行うことによって、このようなミスを発見し是正することが相当程度できるし、新聞やTV・ラジオの場合なら、時間的余裕がなくても、複数の人間がチェックすることでこのような誤りを発見・是正することがある程度はできる。

 しかし、私のように、たった一人で、現在では毎日おおむね二篇弱のコラムを執筆・上梓し、当該コラム上梓当時でも既におおむね毎日一篇のコラムを執筆・上梓しているような場合、最低一度は読み直すものの、ミスを発見・是正することは容易ではない。

(もとより、ミスを読者から指摘されれば、ネット掲載文書の性質上すみやかに、遡って訂正したり、訂正文を上梓する形で対応することが可能であるし、実際そうしてきたところだ。しかし、当該コラムについては、上梓以来、二年半弱の間、創価学会員云々についてはもとより、いかなるミスの指摘もなく、読み返したことすら一度もなかった。)

 よって私のミスはやむをえない面があったと考えるものである。〉

 この主張については特に論評の必要もあるまいが、このエリートは「自分は毎日二篇もの(ありがたい)コラムを発表しているのだから特別扱いされるべきだ」といっているのだろうか。

 ところで、太田は答弁書で「副署長は創価学会員だった」とした部分について誤りだったことを認めたが、この点によって千葉の社会的評価を低下させたということはない。問題なのはコラムの〈彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったと思われます。〉という部分、すなわち「事実を曲げて明代に万引き犯の汚名を着せ『他殺』を『自殺』として処理した」とする趣旨の記述にほかならない。「副署長は創価学会員だった」という誤認は、読者に対してたんに問題部分の説得力を増すという役割を果たしているにすぎない。問題なのは、太田は誤認について認めた上で、続けて〈今にして思えば、(問題箇所は)は次のように記述されるべきだった〉としてあらためて次のように書き直したことである。

〈これは第一に、転落死事件を担当した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事が二人とも創価学会員であったところ、昭代(ママ)市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったからであり、第二に、この地検支部の捜査指揮を受ける立場の所轄の村山警察署(ママ)で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、村山市(ママ)の創価学会関係者への配慮や上記地検支部長及び担当検事への配慮を、公僕としての義務より優先させたからである、と思われます。〉

 千葉は訴状で「万引き事件を捏造し、殺人事件を隠蔽した事実は一切ない」と主張している。ところが太田は、独自の調査をいっさいしていないことを自認しているにもかかわらず、自らのコラムで示した見解を見直すべきかもしれないという考えはいささかも持ち合わせていないようだった。問題のコラムが仮にこう書かれていたとしてもやはり千葉の名誉を毀損するものであり、真実性・相当性の証明ができなければ違法性を問われかねないものであるとは考えなかったのだろうか。これはあくまで答弁書の記載ではあるが、太田がインターネットのコラムでこれを不特定多数の読者に公表すれば、読者は最初のコラムよりもさらに確信をもって書かれた内容と受け取る可能性があろう。

 禍根を残すことにならねばよいが、いったい太田に、矢野と直子の主張をここまで信じ込んでしまうどんな理由があるというのだろうか。エリートの考えることはわからない。


(第7回へつづく)


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