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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第15回
朝木を信用していた講談社

 担当者の陳述書によれば、朝木が平成8年に『聖教新聞』を提訴した訴状で「『週刊現代』の取材はいっさい受けていない」と主張するまで、朝木が『週刊現代』に対してそのような主張をしたことはいっさいなかった。平成7年10月17日に東村山で初会合を行って以後も、担当者は数回にわたって朝木側と打ち合わせを行っている。しかしその際にも、朝木は「取材はいっさい受けていない」と主張するどころか、「いい弁護士を紹介してくれませんか。元特捜部長の河上和雄先生(=当時、講談社の顧問弁護士)はどうでしょうか」と相談をもちかけるなどしたという。

 コメントを捏造され、提訴までされる原因を作った相手とは利益の相反する敵である。その敵に対して弁護士を斡旋してもらおうとすることは、普通はあり得まい。担当者のこの証言は具体的で、信用性があると評価できるのではあるまいか。

 担当者によれば、平成8年1月25日には東京弁護士会館で双方の代理人が同席して打ち合わせを行ったが、その際にも記事に対する抗議はなかった。この日、講談社代理人は講談社が提出する準備書面の原案(以下=原案)を朝木側にも渡していた。内容に齟齬があってはいけないし、応訴方針との関係で主張内容を調整する必要があるかもしれないと考えたのだろう。

 朝木はこの日に講談社側から原案を渡された事実を否定しておらず、この事実を動かすことはできない。仮にそれ以前に朝木が講談社側に対して「取材はいっさい受けておらず、コメントもしていない」と主張していたとすれば、講談社側が朝木に対して事前に原案を見せることも、意見を聞くなどということもあり得まい。

 すなわち、この打ち合わせにおいて講談社側が朝木側に対して原案を見せたこと自体が、朝木が講談社に対して「取材はいっさい受けていない」などと伝えた事実はないことを裏付けていよう。最初の会合で朝木側が「言った言わないの話にはならない」と言明したことで、講談社側は朝木を信頼していたのである。

 だから、講談社側は原案でコメントの事実について次のように認否していた。

「被告朝木大統、直子が週刊現代編集部の取材に際して記事中で引用されている各発言を行った事実は認めるが……」

 講談社は問題のコメントがあった事実を認める一方で、朝木が講談社に対して「取材はいっさい受けておらず、コメントもしていない」と主張しているなどとはいっさい記載していない。当然ながら、この事実からは、講談社は朝木のコメントがあったことを前提に裁判を闘おうとしていたことがうかがえる。

朝木側の応訴方針に違和感

 もちろん講談社としてはコメントの事実を否定することは自ら記事の信憑性を否定することになるから、コメントの事実を認めないということはあり得ない。だから問題となったコメントの事実を認めた上で、真実性・相当性ではなく、「遺族の声を伝えることは『自由な言論』である」という形で裁判を争おうとしていた。真実性・相当性が立証できないのなら「報道の正当性」で争うしかなかったのだろう。

 しかし、朝木側の方針は講談社側からみてかなり理解に苦しむものだった。講談社代理人によれば、講談社の応訴方針に対して朝木側は、「(コメントを前提とした)『自由な言論』というような本質に入らないで、当事者問題とか手続き問題でやりたい」と答えたという。朝木の代理人がこの日の打ち合わせで述べたのは以下のような内容だった(朝木に対する尋問での発言)。



(朝木代理人の発言要旨=講談社代理人による)

①「発言内容の公表は企図したわけではなく、『動揺した親族の言葉』である」

②「発言内容を否定するものではないが、正面突破する真実性(「明代は創価学会に殺された」)についてはこの土俵では争わない」

③「創価学会の法人格について争う」



 朝木代理人の上記説明のうち、③は「創価学会は日蓮正宗から破門されたから、宗教法人ではない」という主張らしかったが、本件とどう関係するのか担当者にも代理人にも理解できなかったという。

 本件で問題となっている朝木の発言(「明代は創価学会に殺された」)に直接関係するのは①と②である。

 ①は、「動揺したために思わず出た言葉にすぎない」という趣旨であると理解できる。「動揺すれば、誰だって不穏当な発言をすることもある。状況によっては、ある程度の過激な発言も容認されるべきだ」ということだろうが、要するにコメント内容の真実性・相当性が立証できないがゆえの言い逃れである。

 ②は「真実性は争わない」という意味で③とも関連性があるが、「創価学会に殺された」と断定した本件コメントの真実性などとうてい立証できるはずがないから「この土俵では真実性は争わない」といっているにすぎない。

認否に関する要請

 上記の朝木代理人の発言の中でむしろ重要なのは、①の「動揺した遺族の言葉」および②の「発言内容は否定しない」という発言を総合すると、代理人は問題のコメントの存在自体は認めていると理解できることである(コメントの存在を認めていなければ、講談社代理人に対してストレートにそう伝えるはずである)。この事実は、それまでに講談社側に対して「取材はいっさい受けておらず、コメントもしていない」と伝えていたとする朝木の主張と矛盾する。

 当時、朝木代理人がコメントの事実を否定しなかったことは講談社にとって特別なことではない。ただ講談社側代理人によれば、なぜか朝木側は、「被告朝木大統、直子が週刊現代編集部の取材に際して記事中で引用されている各発言を行った事実は認める」とした認否の部分を外してほしいとその場で要請したのである。

 これに対して講談社代理人は認否をしないで争うことはできないと答えたが、まだ最終的な主張を提出すべき局面でもなかったから、その準備書面では認否から外すことを了承したのだった。もちろんその時点で講談社代理人は、準備書面から認否を外したことが将来どういう主張に使われるかなど、想像さえしなかった。

(つづく)
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