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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第17回
翻意を期待した担当者 

『聖教新聞』を提訴した訴状で朝木が「『週刊現代』の取材は受けておらず、コメントもしていない」と主張していることを担当者が知ったのは平成8年8月の下旬である。朝木は訴状で「コメントはしていないから、創価学会が『週刊現代』のコメントを前提に朝木らを非難したことは前提を欠いており、名誉毀損だ」と主張していた。

 担当者の陳述書によれば、平成8年に入り、朝木に対してなんとなく感じていた不信感は、これによって決定的なものになった。それでも担当者は、なんとか「妥協点を見つけられないか」と考え、その後も矢野、朝木と何度か面会したという。

 担当者は陳述書で、その話し合いの中で担当者が述べた講談社としての訴訟方針、それに対して矢野や朝木が述べた主張(趣旨)などを具体的に述べているので、その内容を紹介しようと思う。以下の、私の論評や感想を除く話し合いの内容はいずれも担当者の陳述書に基づくものである。

 担当者は誠意をもって話し合いを重ねれば、翻意してくるのではないかと期待したのだろう。しかし朝木はそのたびに「取材は受けていない」とする主張を繰り返し、状況が変わる兆しは見えてこなかった。朝木としては、講談社の顔を立てれば創価学会に対する訴状の主張に矛盾することになるのだから、主張が変わらないのはむしろ当然だったのではないかと私は思う。

 それでも担当者は、あえて黙って朝木の主張を聞いていた。ヘタに反論してよけいに問題をこじらせ、あるいは言質を取られることを警戒したのだった。しかし平成8年10月24日、担当者が東村山まで出向き、矢野、朝木と東村山駅前の喫茶店で話し合いを持った際、朝木らがこの日も強硬に取材の事実を否定する姿を見て、もはやこれ以上話し合う余地がないことを悟った。

変わらなかった主張

 陳述書によれば、それまで担当者がほとんど発言をしなかったため議論にはならなかったが、この日は担当者が矢野と朝木に対して「取材がなかったことはあり得ない」と主張したため、かなり突っ込んだやりとりがなされたという。担当者は朝木らに対して次のように述べた(趣旨)。

「朝木サイドのいうとおり、捏造の記事を私が作ったとしたら、私はこの職業をやめなければならない。あれだけ取材に協力してくれていたのに、いまさら発言を翻すのはどういうつもりなのか」

 担当者のこの疑問に直接答えるものではないが、この日、矢野らはこう述べたという。

「この記事はよくできている。事件の事実関係についてはまだわからないと明記してあるし、裁判でも大丈夫だろう。でも、こちらの発言は何の注釈もなく、このままでは裁判に負けてしまうかもしれない」(矢野)

「最初に記事の見出しを見たときはびっくりしたが、それでもよく書いてくれたと思った」(朝木)

 この発言をみるかぎり、矢野は問題のコメントについて裁判では負ける可能性が高いとみていたことがうかがえる。ただしもちろんこの発言は、コメントの存在を認めるものではない。そのことは大統の発言からも明らかだった。

 当時すでに失明状態にあったという大統も、この話し合いの席にわざわざ出向いたようである。大統は〈妻が万引きで逮捕されたことも、学会におとしいれられただけ。〉とするコメントの一部を取り上げてついて次のように述べた。

「明代氏が逮捕された、というくだりがあるが、これは逮捕ではなく送検である。これは私たちも最近気づいたんですよ」

 大統は「書類送検を逮捕と間違えているから、これは自分たちに取材をしていない証拠だ」といっているのだった。これに対して担当者は「それは確かにそうかもしれないが、取材を受けた、受けない、という問題とは関係がない」と述べた。

淡い期待

 ここまでのやり取りにおいて矢野と朝木は、問題の記事そのものについては評価する一方、自らのコメントの事実について認める様子はみえなかった。それでもなお担当者は朝木らに対して次のように述べた。 

「今でも2人は創価学会のせいで明代さんが死んだと確信しているでしょう。あるいは、今は事故死だと思っているのですか。あれだけ不可解な事件だったのだから、遺族が思わず『創価学会に殺された』と発言するのも無理はないと思います。ですから、きちんと発言したということを前提にして裁判で争っていきましょう」

 担当者の言い分はこれまで講談社代理人が説明してきたことの繰り返しである。担当者はそれまで矢野と朝木が主張してきた「創価学会を疑う根拠(=事実関係)」を信用しており、創価学会を疑うことももっともであると考えていたようである。

 だから「明代は創価学会に殺された」と発言したことにもそれなりの理由があると考えることができた。しかし、その情報を提供した本人である矢野と朝木はなぜかそうは考えなかったのかもしれない。

 担当者の説得に矢野は「大統さんはともかく直子は政治家だから、困った」などと述べた。「創価学会に殺された」とする発言の根拠あるいは相当性を立証する自信があるのなら、政治家だろうと問題はあるまい。人1人が死んでいるのだし、何より矢野と朝木は「明代が着せられた万引き犯の汚名を晴らす」と公言している。「冤罪」を暴くためにも、政治家だからという理由で遠慮する必要はどこにもあるまい。

 担当者はこの発言を、コメントの存在自体を認めるものと理解した。コメントをしていないのなら、反論は「コメントはしていない」の一言でいいのだし、「直子は政治家だから、困った」などという必要はない。担当者は矢野の上記の発言について、「一般人である大統は『遺族の感情として思わず出た言葉』で通るかもしれないが、直子は政治家を志しているから、感情のままに発言したといわれることは後々マイナスになる」といっているのだと受け止めたという。

 結局その日、矢野と朝木がコメントの存在を認めることはなかった。しかし朝木側は「もう1度弁護士と相談してみる」ということで別れたという。「取材も受けておらず、コメントもしていない」というのなら、弁護士と相談する余地もなかろう。だから担当者としては、この別れ際の言葉とコメントの存在を前提にしたものとも取れる上記の矢野の発言から、「自分としては、ある程度朝木サイドもわかってくれたのではないかと、少しだけ期待した」という。

 しかし、担当者の淡い期待は長くは続かなかった。その後しばらくして朝木が提出した準備書面には臆面もなく「『週刊現代』から取材は受けておらず、コメントはしていない」と記載されていたのである。担当者は陳述書でこう述べていた。

「あの打ち合わせは一体何だったのだろうか」と。

(つづく)
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