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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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「拉致」デマを検証する 第1回
 東村山市議、朝木明代の万引きを苦にした自殺をめぐっては、直接的に「犯人」に結びつく可能性のある「不審者の目撃談」(「現場ビルで複数の男が明代を担いでいくのを見た」など)なるものが複数出回っている。もちろんこれはいずれも、明代の万引き事件でアリバイ工作を共謀した矢野穂積と明代の長女、朝木直子(いずれも東村山市議)が主張する「他殺説」を後押ししようとするものである。

 ただ当然だが、これまで出てきた「目撃談」で事実の証明がなされた例は1つもない。それどころか平成20年、「行動する保守」Aが街宣まで行って主張した「内部告発」話(以下に改めて詳述する)は、それから2年後に「内部告発」は「伝聞の伝聞」だったことを「行動する保守」A自身が認めたことで、これもまた出所不明、救いようのない与太話だったことが明らかになった。

 ところが最近になって、香川大学教育学部の高倉良一という人物が自身のブログで新たな拉致説を主張している。はたして高倉教授が主張する拉致説にどこまで信憑性があるのだろうか。これまでの「拉致説」とともに検証してみようと思う。

注目集めた「内部告発」

 最近「複数の男が明代を拉致した」とする「目撃談」なるものが最も注目されたのは、平成20年7月29日、「行動する保守」Aが八王子駅前で次のような演説を行ったことによる。「行動する保守」Aは次のように演説した。



(「行動する保守」Aの演説内容)

 私がなぜこの問題を今回取り上げるか。その最大の理由はですね、これは現職の警察官が私に内部告発をしたからであります。これは今日、初めて明らかにします。現職の警察官は、「自分たちは犯人を特定した」と。「3名であった」と。「しかし、検察側からの圧力があって捜査を断念せざるを得なかった」と、そういうふうにはっきりと述べました。



「行動する保守」Aは意気も高々に「警察官が犯人は3名であることを特定していた」という。「ほぼ犯人を把握していた」ではなく「特定していた」というのだから、当然、裏も取っていたということなのだろう。もちろん「犯人」とは、明代をビルから突き落とした犯人を意味する。この「内部告発」の内容が事実なら、かつて重大な犯罪の隠蔽が行われていたことになる。

 しかしこの日の演説を聞く限り、「行動する保守」Aが聞いたという「内部告発」の内容を冷静にみれば、誰が、いつ、どんな形でその「3名」を「犯人」と「特定」したのか、あるいは「特定」された犯人がいかにして明代をビルから落としたのか、また人相や服装など具体的な情報はいっさいない。演説ですべてを明らかにすることはないにしても、「行動する保守」Aの口からは具体的な裏付けがあることをうかがわせる説明もなかった。

 それでも「行動する保守」の重鎮が「内部告発」として主張した影響力はとりわけ「行動する保守」一行内部に対してはきわめて大きいものがあった。この演説を境に「行動する保守」らは確証もないまま相次いで「朝木明代謀殺事件の真相究明」活動に参入したのだった。

きわめて冷淡な反応

 なお明代の死後、一貫して「他殺説」を主張している矢野と朝木も「行動する保守」一行による「真相究明活動」に協力することになるが、彼らは「行動する保守」Aのいう「内部告発」にはいっさい興味を示さなかった。むしろ「内部告発」の内容が事実なら、この情報は本来、矢野と朝木の元に届けられるべきであるとも思えた。そこで平成20年8月7日、その点について私は直接矢野に聞いた。

――「内部告発」があったそうですが。

矢野  なに焦ってんの。

――先生のところには内部告発なかったの? 「行動する保守」Aのところにあって先生のところにないのはおかしいですね。

矢野  お前には用がないんだよ。

 矢野はそういって話を打ち切ったが、矢野にも「内部告発」があったのならあったと答えればよかろう。要するに右翼の耳には入っても、「真相究明」の中心人物であるはずの矢野には「内部告発」はもたらされなかったということと理解できた。これは不思議なことではあるまいか。

関心も示さなかった矢野

 仮にたまたま矢野よりも先に「行動する保守」Aに情報がもたらされたのだとしても、矢野がこの「内部告発」に関心を示した形跡がないことはもっと不可解だった。なぜなら、平成8年の時点で矢野は『週刊宝石』(平成8年4月18日付)で次のようにコメントしていたからである。

「『朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た』『消えたはずの靴は、直後に6階の空き部屋で発見されていた』など、こちらには新たな話が集まっています」

 矢野がいう拉致話も出所を明らかにしないが、複数の人間による犯行であるという点で「行動する保守」Aのいう「内部告発」に共通している。矢野は平成8年に「拉致犯」に関するコメントを残したまま、その後続報はまったくない。それが12年後、とんでもない方向から「内部告発」というかたちで「拉致」の具体的な情報が出てきたのである。

 平成15年に発行した『東村山の闇』には矢野が『週刊宝石』でコメントした内容はなぜかいっさい記載されていない。矢野が得た情報が第三者からのものであるとすれば、矢野はこの情報を信用しなかったものとみられる。しかし矢野の元には「拉致」との不穏な関連を想起させる情報も入っていたという。『東村山の闇』には『週刊宝石』でのコメントとは異なる次のような記載がある。



(『東村の闇』における記載)

 午後9時30分ごろ、事件現場の裏の駐車場で不審な車があり、見慣れない人間が2、3人で話しているのをビルのすぐ近くに住む住民が目撃している。これは聞き込みにきた刑事に話したが、この事実は東村山警察の発表からスッポリと抜け落ちている。



 明代が転落死を遂げたのは平成7年9月1日午後10時ころである。「見慣れない」というだけで不審者と決めつけられるのか、また話の内容を確認したのかという問題があり、矢野はその「見慣れない」人物を不審者と決めつける根拠をいっさい示さないものの、駐車場の目撃情報を重要視していた。仮に第三者が明代を拉致し転落死させたのだとすれば、午後9時30分ごろ、隣の駐車場で見慣れない人物が2、3人いたという情報は無視できまい。

 この駐車場の「不審者」情報は「行動する保守」Aのいう「内部告発」の内容とも共通点がある。矢野とすれば当然「行動する保守」Aに詳細を聞き、裏付けをとる努力をしても何もおかしくはあるまい。ところが「行動する保守」Aがこれほどアピールしたにもかかわらず、矢野と朝木が「内部告発」に関心を示した形跡すらなかった。

 あれほど「朝木明代殺害事件の真相究明を」と訴えてきた矢野が、「行動する保守」Aが聞いたという「内部告発」をいっさい無視したのはなぜなのだろう。矢野はこの「内部告発」が平成8年に自分がコメントしたものと出所は同じであること、しかもそれが根拠など立証できないデマであることを知っていたからであるとしか考えられなかった。

(つづく)
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