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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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太田述正事件 第7回

プライドを示した和解提案

 太田は千葉元副署長から提訴されたことを自身のブログで公表したが、読者からのアドバイスに基づいて援用したと思われるのが「④『判例学説』」(第5回)のうちの「判例」だった。太田が答弁書で引用した判例は次のようなものである。

〈意見ないし論評が他人の著作物に関するものである場合には、右著作物の内容自体が意見ないし論評の前提となっている事実に当たるから、当該意見ないし論評における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ、前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないと解すべきである。〉

 したがって、コラムで紹介した『東村山の闇』の要約紹介は「副署長は創価学会員」とした部分以外は全体として正確なものだから、違法性はないと太田は主張したかったようである。

 しかし、太田のコラムが『東村山の闇』に関する意見ないし論評ではなく、むしろその内容を無批判に信じ込み、創価学会・公明党批判という結論につなげているのがこのコラムであることは明らかだった。また太田が自信満々に援用したこの判例自体、ある著作物に対する批判が違法行為に当たるか否かが争われたもので、引用の正確性を欠かなければいかなる場合にも違法行為とはならないという趣旨ではない。太田のコラムが仮に正確な引用だったとしても、それをその著作物以外のものに対する論評の前提として使用している以上、太田自身が引用の内容を事実とみなしているということにほかならない。

 するとやはり、太田のいう要約・紹介はその正確さではなくその真実性・相当性が問題になるということになろう。千葉はまったく的外れな判例の引用で意味がなく、真実性・相当性の主張をすべきであると反論した。しかし、太田は最後まで「コラムにおける著作の引用紹介が全体として正確性を欠くか否かだけが名誉毀損としての違法性の有無の認定基準となる」として譲らず、準備書面ではこうも主張した。

〈著作の内容が名誉毀損にあたると考えた者は、その著作の引用紹介者ではなく、その著作に対して裁判を提起すれば足りるからである。すなわち、原告が著作の引用紹介者に対して裁判を提起したことは筋違いも甚だしいのであって、この点だけからも訴権の濫用であると考える。〉

 要するに太田は、訴えるなら著者を訴えればいいじゃないか、と言いたかったのかもしれない。しかし、虚偽の著作を無批判に利用し、その記載事実を不特定多数の読者の閲覧に供すれば名誉毀損の被害を拡大させることになるというのが判例であり、千葉の提訴が「筋違い」であるとはいえまい。

 太田の主張する「⑤『私は原告の社会的評価を低下させていない』」の項は、千葉がすでに『東村山の闇』だけでなくインターネット上でも同じ論調の記事や書き込みによって社会的評価を低下させられており、太田のコラムによって新たな名誉毀損が生じることはないという趣旨である。しかし当然、太田のコラムによって被害が拡大したことは否定できないし、太田コラムによって『東村山の闇』の内容を初めて知った読者もいたはずで、その場合にはやはり新たな被害が生じたということになる。

 むしろおよそ筋違いなのは太田の主張と思えてならないが、ブログのコラムで多数の読者を持つ太田は「⑥『よって訴えの棄却を求める』」の項ではこう主張した。

〈そもそも、言論に対しては言論で対抗すべきであり、原告は、私のホームページ上の掲示板に匿名または実名で当該コラムに対する反論を投稿する等の手段をまず講じるべきであった。
 また、訴えの提起は最終手段であって、原告が、私に対して書状やメールを送ること、或いは私と面談すること等によって問題の解決を図ろうとせず、いきなり訴状を提起したのはいかがなものかと思う。〉

 もちろんこれが太田の一方的な言い分にすぎないことはいうまでもないが、太田は答弁書の最後で「原告が、賠償請求を取り下げるのであれば、私は和解に応じる用意がある」として次のような提案を行った。

〈原告が、実名を明記して自分に「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」作為不作為はなかった旨の主張を記し、これを私のホームページの掲示板に投稿した場合、これを削除することはしない。
 また、原告が上記主張を、実名を明記して、私のコラムの一環として配信するとともに、私のホームページに掲載することを希望するのであれば、これを受け入れる。
 なお、原告が上記を匿名で行うことを希望する場合は、原告の執筆であることが私には分かる形であれば、これを受け入れる。
 ……私が当該コラムで原告を創価学会員と誤って記述した点について、原告が私に対し、私のコラム上での謝罪を要求する場合は、創価学会員であることが、なにゆえ「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせ」るのか、……についての原告の見解を同時に私のコラム上に掲載するという条件を原告が受け入れた場合に限り、謝罪を行うことを受け入れる。〉

 太田自ら、自分のホームページに紛争の相手方の主張を掲載してくれるという寛容な申し出だが、この提案には「自分は間違ったことはしていない」「希望するなら掲載してやってもよい」という元エリート官僚らしいプライドが見え透いている。もちろん、これによって損害賠償は負担しないという虫のいい話だった。非を認めてそれなりの和解金の支払いを約束し、その上で言い分を掲載しましょうというのならまだ検討の余地もあろう。千葉がこの提案を無視したのは当然である。

 だがこのエリートは、自分の提案がいかに傲慢なものであるかについてまったく気がついていなかった。千葉が和解提案を拒否すると、太田は次の準備書面で再びこう述べたのである。

〈原告が反論文掲載請求を行っていないにもかかわらず、しかも私自身は名誉毀損が成立しないと主張しているにもかかわらず、私が原告に対し、私のホームページへの原告による反論文掲載を認める、という破格の和解提案を行っていることについて、原告が一顧だに与えていないことは、私には到底理解できない。
 私としては、この提案を原告が多とし、名誉回復を図る絶好の機会を与えられたと受け止め、提案を受け入れた上で、反論文掲載を試みることを強く促したい。〉

 こう述べたあと、このエリート官僚は元副署長に対して、反論文の中身についてアドバイスまでしてくれた。

〈この反論文において、原告は、私が執筆した評論(コラム)における著作の引用紹介(要約紹介)、が「全体として正確性を欠く」という主張を行うこともできるが、より重要なのは、原告が自分に職務怠慢はなかったという主張を(具体的な根拠を挙げて)行うことだ。〉

 自分はただ『東村山の闇』をほぼ正確に引用・紹介しただけだから立証の責任などないが、お前がそれを虚偽だと主張するなら、お前が立証することが重要だと、このエリートは助言しているらしい。通常、立証責任は被告の側にあるが、もともと提訴そのものが不当と考えているらしいこのエリートには、原告に立証しろという言い分が常識に反するものであるという認識がないようだった。

 最後に太田はこうつけ加えた。

〈もとより、原告のかかる主張が、私や第三者による批判に晒される可能性はあるが、真実は議論によってしか究明されえないことにかんがみ、原告は、本当に自分の職務怠慢疑惑が事実無根であると信じ、名誉回復を図りたいというのであれば、私の提案を受け入れ、臆することなく反論文掲載を試みるべきであろう。(批判に対する原告による再々反論等も歓迎する。)〉

 太田は議論によってのみ真実が究明されるという。なんらの独自調査もしないまま矢野と朝木の主張を鵜呑みにした理由も理解できる気がするが、このような偏った考え方を持つ者のホームページに反論を投稿したところで大きな成果が期待できるとは考えにくかった。


(第8回へつづく)


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