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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第20回
「遺族の嘆」が意味するもの

 講談社側は最終準備書面において朝木らのコメントを「遺族の嘆」ないし「遺族の声」と位置付けたが、この方針が示されたのは最終準備書面の時点ではなかった。また講談社代理人による朝木に対する反対尋問における発言からは、平成8年1月25日に行われた最初の打ち合わせの段階では朝木代理人も同様の方針だったことがうかがえた。朝木代理人が説明した内容について講談社代理人は次のように述べている。



講談社代理人  中田さん(筆者注=朝木代理人)はこういったの。公表は企図したわけではないと。動揺した親族の言葉だと。それから発言内容を否定するものではないと。真実性はどうですかと聞いたら、正面突破する真実性はこの土俵では争わないと。……



「コメントはしていない」とする朝木に対して、講談社代理人は朝木側が当初はコメントの存在を認めていた事実を突きつけようとしたのである。朝木はそのとき抜け目なく中田弁護士の説明があったこと自体を否定した。しかし、これまで検討してきたコメントの存在をめぐる事実関係を総合すると、やはり朝木の供述を信用することは難しかろう。

 講談社代理人の上記説明からうかがえるのは、朝木側代理人もまた当初はコメントの存在を否定しておらず、コメントについて「動揺した親族の言葉」であり、「公表を企図したわけではない」ものとして争おうとしていたということである。この打ち合わせ後に作成した講談社側の平成8年2月5日付け準備書面の主張も「遺族の声を公正中立に引用したもので違法性はない」という趣旨だった。つまり当時、双方の代理人の間で応訴方針に決定的な食い違いはなかったようにみえる。

 ただ平成8年1月25日の時点で、矢野と朝木が「明代は創価学会に殺された」とするコメントについて、本当に中田弁護士のいうように「動揺した親族の言葉」、「公表を企図したわけではない」などと主張するというしおらしい方針に納得していたのかどうかは疑問である。「動揺した言葉」だったからといって、「創価学会に殺された」と断定する発言をし、それが不特定多数に向けられたものになった以上、真実性・相当性の立証を要求されないという保証はないのだった。その場合、「明代は創価学会に殺された」ことを立証することなどできるはずがないことを最も誰よりも知っているのは矢野と朝木自身だった。

 また「動揺した親族の言葉」と主張することはすなわち、「明代は創価学会に殺された」とするコメントが客観的な根拠に基づくものではないと自ら認めることであると、矢野と朝木が気づいていなかったとも思えない。講談社側も最終準備書面で「遺族の嘆」の中身について〈はなはだしく唐突で感情に流されたものと受け止めざるをえないものにすぎない〉とまで述べて、それが客観的根拠に基づくものではないことを認めている。講談社からいわれるまでもなく、矢野と朝木も内心でそう考えていたのではあるまいか。

一方で亀井静香と面会

 現実的にも平成8年1月25日、あるいはその日の打ち合わせに基づいて講談社側が準備書面を作成した同年2月5日の時点で、矢野と朝木には問題のコメントを簡単に「動揺した親族の言葉」などという上品な表現で片づけるわけにはいかない事情が生じていたことをうかがわせる事実も明らかになっていた。朝木側が講談社側と打ち合わせを行った日の約1週間前(同年1月19日)、矢野と朝木は衆議院議員会館で亀井静香と面会し、「明代は創価学会に殺された」ことを前提に闘っていくことについて激励を受けたというのである。

 矢野は面会時の状況について平成8年2月21日付『東村山市民新聞』第72号に次のように書いている。


〈1月19日、永田町の自民党本部に、取材をかねて朝木直子副編集長と、亀井静香組織広報本部長を訪ねました。

 政治的立場は違いますが、朝木議員殺害事件を国会で2度にわたって追及し、機関紙『自由新報』で2度、事件を特集されたことに敬意を表す目的もあります。

 この日の午前は他の政党の国会議員の方にもお会いし、アドバイスをうけ激励されました。「創価学会党」の新進党を除く与野党から超党派での応援です。

 事件のフタをしようとしている東村山警察幹部や疑惑の的になっている創価学会と徹底的に斗っていく決意をあらたにしました。〉

 上記記載のうち〈国会で2度にわたって追及〉とは、警視庁が「自殺」とする発表を行う前の平成7年11月、衆議院において自民党の保坂三蔵と熊代昭彦がそれぞれ「朝木明代の転落死は他殺の可能性があり、創価学会の関与が疑われる」とする趣旨の質問を行ったこと指している。

 また〈機関紙『自由新報』で2度、事件を特集〉とは、平成7年11月28日、同12月5日付で『自由新報』が明代の「事件」をそれぞれ〈背後に創価学会の影〉〈坂本事件とそっくり……状況証拠は“真っ黒”〉(11月28日付)、〈創価学会の犯罪追及〉(12月5日付)などと、矢野の意向通りに取り上げたことを指していた。

 常識的にみて、矢野・朝木と亀井静香の間に特別の関係がなければ、一介の市会議員が当時、政権政党自民党の中でも大きな権力を持っていた亀井に会い、直接「敬意を表す」などできることではあるまい。しかも、国会質問を行ったのは亀井ではないにもかかわらず訪問先が亀井だったということは、2名の国会質問を差配したのは亀井で、矢野はそのことを承知していたということと理解できる。

 亀井は矢野からの情報によって「朝木明代転落死事件」を政争の具として利用し、自民党が明代の死を反創価学会キャンペーンに使うことによって矢野と朝木にしても明代の万引きと自殺という事実から世間の目をそらせることができる――亀井と矢野はこのような持ちつ持たれつの関係にあったことが推察できた。

(つづく)
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