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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第21回
亀井との親密さ

 この『東村山市民新聞』第72号には朝木直子名義のリポートも掲載されていて、亀井とのやりとりがより具体的に記載されている。

〈自民党本部では、亀井組織広報本部長が、開口一番「お母さんの仇を取らないとね。許せない話だ。」と私を激励。〉

 亀井が〈開口一番「お母さんの仇を取らないとね」〉といったというのだから、矢野・朝木と亀井との間にはすでにそれなりの親密な関係ができていたことをうかがわせる。だから「仇を取らないとね」などと、明代が「(創価学会から)殺された」ということを前提とする発言がすんなり出て来もするのだろう。いずれにしてもこの日、自民党本部では特異な議員たちが一堂に会し、現実からかけ離れた異常な会話を交わしていたことがわかる。

 記事には、警視庁が「自殺」と結論付けたことについて亀井が警察庁長官に対して確認したところ、「『自殺と断定したものではない』という回答を得た」とする趣旨の記載もあった。

 警視庁は「犯罪性はない」と発表したが、文言だけをみれば「自殺と断定したものではない」ともいえる。しかしそれは表現上の問題にすぎず、警視庁の判断が「自殺」であることに何も変わりはなかった。

 したがって、明代の自殺をめぐりかつて亀井から「これを自殺として片づける度胸があるか」と脅された経験を持つ警察庁長官が、改めて亀井から警視庁発表の真意をただされ、「自殺と断定したものではない」と穏便な回答をしたとしても、これはなんら特別の意味をなすものではなく、ましてマスメディアの「自殺」とする報道が誤りであるという意味などではなかった。「自殺」を否定したい矢野としては、亀井と警察庁長官のやり取りが何か大きな意味を持つものであるかのように取り上げる必要があったのである。

 亀井は平成8年10月に予定されている天下分け目の衆院選まで徹底した創価学会攻撃を継続していく腹であり、「朝木明代転落死事件」はとりわけ重要な材料だった。だから矢野との面会にも応じた。したがって、矢野が亀井と面談した事実を自分の政治宣伝ビラで伝えることは衆院選に向けて間接的に自民党を支援することでもあったと理解できよう。

 自分たちの保身をはかるためであることはもちろん、そんな亀井との関係からも、矢野と朝木は「明代は創価学会に殺された」とするコメントが客観的根拠に基づくものではないことを意味する「動揺した親族の言葉」であるなどという方針を受け入れることはできなかったのだろう。朝木が代理人の当初の方針を反故にし、「コメントはしていない」と誰もが予想できなかった主張をするに至った理由は真実性・相当性を証明できないということだけでなく、コメントには客観的根拠がなかったと自ら認めることになるという点にあったのではあるまいか。

 それまでの打ち合わせで知らされていた講談社の方針にずるずる歩調を合わせれば、ますます「コメントはしていない」とはいいにくい状況になろう。朝木と矢野が『聖教新聞』を提訴し、「コメントはしていない」と主張したのは平成8年8月7日、衆院選まで2カ月というタイミングだった。

消えない汚名

 仮に朝木のコメントを「動揺した親族の言葉」とした結果、運よく裁判で不法行為責任を免れられたとしても、矢野と朝木にとって支援者との関係や別件裁判など、コメントには根拠がなかったと認めることのマイナスは将来的にみても計り知れない。講談社も朝木らを信用したことについて軽率のそしりを免れないだろうが、それも一時の辛抱にすぎまい。しかし、朝木と矢野はそうはいかない。

 コメントに客観的な根拠はなかったと認めるということは自殺と万引きを否定できないということである。矢野はともかく実の娘である朝木直子はなおのこと、一生、「万引き犯の娘」という屈辱から解放されることはないのだった。

 被害者に対して明代の万引きの事実を認め、これまでの非道を謝罪すればまた別の人生もあり得ようが、矢野と朝木にその可能性を考慮する余地はない(それどころか彼らは、被害者に嫌がらせをするよう「行動する保守」一行を煽動した)。その意味でも朝木は「動揺した親族の言葉」などという主張は断じて容認できなかったものと思われる。

常人の発想を超えた虚言

『週刊現代』の複数の記者が矢野、朝木とカラオケやスナックで関係を深めたのは「創価学会に殺された」と主張する矢野らをたんにおだてる意図ではなかっただろう。仮に『週刊現代』が当時から朝木のコメントには客観的根拠はないと確信していたとすれば、それこそ人心を惑わすきわめて悪質な記事ということになる。『週刊現代』は矢野と朝木の主張に一定の理解と今後の展開に期待を抱いていたがゆえに、彼らとの親密な関係を築こうとしたのである。そのことは次の号で、刑事告訴した創価学会に対する反論記事を掲載したことからも明らかだろう。

 その講談社は真実性・相当性の主張をあきらめ、朝木らのコメントを引用しただけで『週刊現代』に落ち度はないと主張し、しかも朝木らのコメントは客観性のない「遺族の嘆」として片づけようとしていた。朝木にとって講談社は、売るだけ売っておいて、訴えられれば今度は自分たちだけに都合よく裁判を進めようとしているという思いが強まったとしても不思議はない。

 いずれにしても講談社と朝木の主張は、意図的な捏造話を何の裏付けも取らないまま活字にしてしまったジャーナリズムと、取材とコメントの存在自体を否定した特異な人物による責任のなすり合いにすぎない。ただあえていえば、やはり朝木の虚言は常人のレベルを超えていよう。

(つづく)
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