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『週刊現代』事件 第22回
創価学会の反論

 第一審口頭弁論終結までの被告側の主張をまとめると、朝木側は「取材は受けておらず、問題とされた発言は『週刊現代』の捏造で、そもそも名誉毀損を問われるいわれがない」いうものであり、講談社側は「朝木らが問題の発言をしたことは事実で、その発言を伝えることには社会的意義がある。記事は遺族の声を正確かつ公正に紹介したにすぎず、『創価学会が殺した』と断定するものでもないから、名誉毀損は成立しない」というものである。いずれの主張にも共通するのは、朝木側はもちろんのこと、講談社もまた「朝木明代は創価学会に殺された」とする事実について真実性・相当性の主張・立証をいっさいしなかったということだった。

 創価学会は2者の相被告が裁判の途中から敵対する状況になったため、それぞれに対して反論しなければならなくなった。もちろん「取材を受けていない」とする朝木の主張にも反論したが、ここでは創価学会の反論のうち、あくまで「遺族の声を中立的に紹介しただけ」であるとする講談社の主張に対する反論の一部を紹介しておこう。

 たとえば『週刊現代』は記事で〈「創価学会はオウムと同じ。まず汚名を着せてレッテルを貼り、社会的評価を落とす。そしてその人物が精神的に追い込まれて自殺したようにみせて殺すのです」〉との朝木のコメントに続いて〈もちろん、創価学会が朝木さんを殺したという証拠は何ひとつない。しかし、朝木さんの活動は創価学会にとってはかなり脅威だったようだ。〉と記載し、さらに〈朝木さんの夫・大統さんが「妻が自殺するはずがありません。この事件(筆者注=明代の万引き事件)は創価学会と警察によってデッチあげられたとしか思えない」と憤るのも無理はない。〉との見解を述べている。

「創価学会が明代を精神的に追い込まれたようにみせて殺した」という朝木のコメントをなんら否定せず、明代の万引きが「創価学会と警察によってデッチあげられたもの」という大統のコメントに合理的根拠も示さずに「無理はない」と納得してしまう『週刊現代』の姿勢はどうみても中立的立場を取ろうとしているとは思えない。少なくとも予断を持たずにこの記事を読めば、「『週刊現代』も朝木父娘の主張をもっともだとみている」と普通の読者は受け取るのではないかと思う。

 しかし講談社は、「いずれも朝木や大統のコメントにより信憑性を持たせることを目的に記載したものではなく、中立的な『意見言明』すなわち論評であり名誉毀損ではない」と主張していた。

 この点について創価学会は次のように反論している。



(講談社の主張に対する創価学会の反論)

 被告講談社らは、「明代は創価学会に殺された」という被告朝木らのコメントをそのまま大見出しに使用し、被告直子のコメント(筆者注=「創価学会はオウムと同じ。まず汚名を着せてレッテルを貼り、社会的評価を落とす。そしてその人物が精神的に追い込まれて自殺したようにみせて殺すのです」)についても、「朝木さんの活動は創価学会にとってはかなり脅威だったようだ。」と述べて肯定的な評価を示しているし、被告大統のコメント(筆者注=「妻が自殺するはずがありません。この事件は創価学会と警察によってデッチあげられたとしか思えない」)についても「と憤るのも無理はない」と述べて肯定的な評価を示している。

 本件記事のどこにも、被告講談社らが主張するような、本件発言について、……単なる憶測であり信用できないなどという否定的な記述は見当たらないのであり、本件記事は、被告朝木らの主張に全面的に同調する論調で一貫している。

 しかも、本件雑誌の翌週に発行された『週刊現代』(平成7年9月30日号)では、〈本誌の記事は、事件にまつわる疑問を事件の関係者や肉親に対する綿密な取材に基づいてレポートしており、肉親たちの発言も客観的に検証している。〉と述べて、本件発言が客観的事実に基づく記事であると表明しているのであって、被告講談社らの右主張とは全く矛盾しているのである。


 
 創価学会の主張は『週刊現代』が自ら発行した記事という争いようのない事実に基づくもので、記事に対する評価とそれに基づく主張も合理的であると思えた。

悪質な印象操作

 ところで『週刊現代』は問題の記事で、朝木父娘のコメントに理解を示しつつ、東村山警察署に対する不信感を隠していない。東村山署を信用できないがゆえに朝木の主張を信用したのだといっているようにも聞こえる。記事には上記の大統のコメントについて〈(大統が)憤るのも無理はない。〉とする記述に続いて、こんな記載がある。

〈実際、東村山署は本誌の取材に対してはいっさい拒否。こちらの質問に一言も答えようとしない。〉

 この記載によれば、明代の転落死という個別の案件について東村山署は『週刊現代』の取材をあえて拒否したように聞こえよう。そのような事実はあったのか。広報を担当していた副署長の千葉に事実を確認すると、千葉は次のように答えた。

「明代が転落死する以前から、オウム事件関連の報道が原因で警視庁は『週刊現代』の取材を受け付けない方針だった。したがって、明代の転落死についても警視庁の方針に従って取材を拒否した」と。

 東村山署が『週刊現代』の取材を受け付けなかった(『週刊現代』からすれば「拒否した」)のは事実だった。「取材拒否」も取材の一定の成果と判断できる場合もないわけではないが、東村山署は警視庁の方針に従っただけで、明代の案件だからということではない。にもかかわらず、『週刊現代』の記載ではあたかも東村山署が何か重要な事実を隠そうとしているかのように聞こえる。これは悪質な印象操作ではあるまいか。

『週刊現代』は〈こちらの質問に一言も答えようとしない。〉と、東村山署に対する恨みがましい一文を付け加えた。しかし東村山署が取材を拒否したことと明代の転落死には関係がなかったのだから、この一文は記事の重大な欠陥を披瀝したものとなる。「いっさいの取材を拒否された」とは、言い換えれば『週刊現代』は東村山署に対する取材をしていないということでもあった。

『週刊現代』は、人一人が亡くなり、警察が捜査した事件について、警察にいっさい取材しない(できない)まま、「創価学会が殺した」と読めるような記事を世に出した。『週刊現代』がみごとに矢野と朝木のワナに嵌まったことについては、それなりの理由があったということになろうか。

(つづく)
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