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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第27回
担当者の本音

 一審の東京地裁は朝木が『週刊現代』の取材に応じ問題のコメントをした事実を認めたが、不法行為の成立は認めず、講談社に対してのみ200万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じる判決を言い渡した。朝木に対する思いも含め、この判決について講談社はどう考えていたのか。判決後、講談社は広報室名で次のようなコメントを発表している。



講談社の公式コメント

 判決内容は遺憾である。判決は当社が主張した中立報道の原則を一般論ではあるが初めて認め、朝木父子取材の適格性をそのまま認定したものであり、この点は評価に値する。しかしながら、朝木父子の声を読者に伝えることの重要性について理解がなされていない。社会的に注目を集めた死亡事件に関して遺族の声の伝達が許されないとするこの結論は、報道に対する重大な脅威ではないか。控訴を検討したい。



 裁判所が朝木のコメントの存在を認定したことを評価する一方で、いまだ「遺族の声の伝達」が無条件に許されるとする主張を繰り返すこのコメントからは、有名週刊誌のプライドと朝木に対する深い恨みのようなものを私は感じた。ただ判決内容は、朝木の責任を認めなかった点を除き、見直される要素があるとは思えなかった。講談社は「控訴を検討」するというが、本音のところはどうだったのか。

 そこで私は講談社に今後の方針を含めて直接聞いてみることにした。私が講談社に電話したのは判決から2週間後である。対応してくれたのは広報部でも編集部でもなく、法務部だった。私はまず控訴理由を聞いた。



(講談社法務部の回答 1)

――具体的な控訴理由は何か。

法務担当者  謝罪広告命令は異例であり、しかもスペースが大きすぎる。謝罪広告はよほどのことがなければ、そのような命令が出るものではない。謝罪広告というのは、出版社にとっては大きな意味がある。謝罪広告の中身も原告の要求をほぼ満たしている(講談社として容認できる内容ではない)。

 また賠償金額200万円というのも、通常の名誉毀損裁判の額とは1ケタ違うほどの額で、とうてい承服できない。



 控訴の具体的理由を聞いた質問に対する答えが謝罪広告の内容や大きさ、金額であるとは争う方向からしてすでにおかしくなっていた。これでは原判決よりも謝罪広告のスペースや金額の減縮を目的とした控訴で、つまり記事そのものに非があることは認めているものと受け取られかねない。



(講談社法務部の回答 2)

――記事に非があったことは認めるということなのか?

担当者  そうではない。スペースや金額はあくまで感想としていったまでで、たんに遺族のコメントを伝えただけの記事であり、表現行為そのものに違法はないというのが基本的な主張だ。私の感想もその延長線上のものだ。



 法務担当者はムキになることもなく、冷静な調子でこう答えた。しかし法務担当として、記事に違法性がないと考えているなら、最初に謝罪広告のスペースや賠償額が口をついて出てくることはなおさら矛盾していよう。担当者としてもそのことは十分承知しているようにも聞こえる。法務担当者として「非は認めるが、控訴もしないのでは世間的にも恰好がつかないから控訴するのだ」とはいえるはずもないのだった。

 私が反論を控えて聞いていると、担当者は続けた。



(講談社法務部の回答 3)

担当者
  『週刊現代』の取材はあったと認定した部分は評価する。控訴審では、「取材はあった」とするところを基本に争われることになると思う。しかし、記事の内容を争うのは困難だろう。



 担当者がここでいう「記事の内容」とは「『明代は創価学会に殺された』とする事実」そのものである。朝木のコメントが存在したことはともかく、その発言およびその内容を肯定的に記載した記事の内容について、担当者が「争うのは困難」とまで明確に発言するとはよほどのことではあるまいか。「記事の内容を争うのは困難」とは、記事内容を自ら否定したに等しいと私は感じた。朝木に対する不信は行き着くところまで行っている、と。

不毛な裁判

 そこで私は朝木に対する思いを聞いた。



(講談社法務部の回答 4)

――コメントを出した朝木らに対しては不法行為が認められず、講談社だけが責任を負わされたことについてどう考えるか。また、朝木父娘に対して裏切られたという思いはないか。

担当者  当初から信頼していた朝木父娘に裏切られたという思いはある。また、講談社が不法責任を問われるならば、コメントを出した側も当然そうではないか。しかしこの点に関しては、原告創価学会が控訴しているので、あちらがやるだろう。当方としては、あくまで正当な表現行為だったということを主張していくつもりです。



 講談社ほどの規模の出版社が部外者に対してここまで内情をさらけ出すことは珍しかろう。会社の不明を自ら認めることにほかならないからである。それも、見ず知らずの取材者に対して担当者がここまで率直に述べること自体が朝木に対する「裏切られた」という思いの強さを物語っている。

 担当者の姿勢は、同じく矢野のデマに騙されて賠償金を支払うハメになった「行動する保守」Aや右翼Mとは比べものにならないほど率直で、潔いと私は思う。しかしそれでも、相被告の立場である以上、講談社が朝木の不法行為を主張することはできないのである。朝木については敵であるはずの創価学会に期待していたのだろう。

 控訴審について担当者は「正当な表現行為」を主張するという。しかし講談社はすでに内心では非を認めており、あえて控訴審で期待するとすれば、謝罪広告の取り消しぐらいだったのではないかと思われた。

 朝木がコメントの事実を認め、共闘態勢を組んで正面から真実性・相当性を争うというのなら、結果は別にしてもまだ一応の闘い甲斐もあろう。しかしもはや講談社にとってこの裁判は、どういう負け方をするかというだけの不毛な闘いとなっていた。その意味において、関係者の怒りと徒労感は察するに余りある。

 その一方で、『週刊現代』を利用した矢野は、「朝木の責任が認められなくて残念だったな」とせせら笑っていたのである。

(つづく)
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