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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第30回
すでに『聖教新聞』裁判で敗訴

 平成13年2月1日に行われた本人尋問で朝木大統(以下=大統)は長女の朝木直子(以下=朝木)と口裏を合わせ、『週刊現代』の取材には応じておらず、朝木父娘のコメントを前提とする問題の記事は捏造であると主張した。その2年前、「取材を受けておらずコメントはしていない」と言い張った朝木の供述(平成11年2月15日)を、矢野は「いい証言だったろ」と称賛したものだった。

 しかし、朝木が証言台に立ったときと大統の尋問のときとでは状況は明らかに異なっていた。この裁判の一審判決で東京地裁は、朝木父娘の損害賠償責任は認めなかったものの、コメントの有無についてはその存在を認定している。

 それだけではなかった。『週刊現代』の記事などをめぐり矢野と朝木を批判した『聖教新聞』と創価学会だけでなく、明代の転落死について「(万引きを苦にした)自殺」と広報した千葉副署長、万引き被害者などをまとめて提訴していた裁判(『聖教新聞』裁判)で、矢野と朝木は大統に対する尋問の半年前(平成12年6月26日)にすでに敗訴していた。しかもその判決において東京地裁は、朝木父娘が『週刊現代』にコメントしていたものと認定した上で、彼らのコメントを掲載した同記事が〈創価学会の社会的評価を相当に低下させる名誉毀損行為であることは、その内容に照らして明らかである。〉とも認定していたのである。

『聖教新聞』裁判の判決から2カ月後の平成12年8月29日には、矢野と朝木の政治宣伝ビラである『東村山市民新聞』の記載をめぐり創価学会から提訴されていた裁判(「朝木明代の転落死には創価学会が関与している」とする趣旨の記事の掲載した同ビラの第68号~第72号に対して創価学会が提訴していた事件=『東村山市民新聞』事件)で、矢野の本人尋問が予定されていた。ところが当日、出廷したのは代理人だけで、代理人は裁判長に対して「矢野さんはめまいを起こして出廷できなくなった」として期日の変更を申請したという出来事もあった。裁判長はやむなく改めて尋問期日を設定し「次回はめまいにならないでくださいね」と申し渡した。ところが最終的に矢野は、裁判所が最大限の譲歩をして期日を指定した尋問にも出廷しなかったのである(この経緯の詳細は稿を改める)。

「他の関連裁判に直結する」

『聖教新聞』裁判の判決言い渡しの約半年前(平成11年11月)、東京地裁1階のエレベーター前ロビーで矢野は私に向かって自信満々にこういったことがある。

「この裁判(『聖教新聞』裁判)の判決は、他の関連裁判に直結する」

 と。『聖教新聞』裁判の判決が「関連裁判に直結する」だろうことについて大筋において異論はなかった。

 ただいうまでもなく、このときの矢野の様子からはその前提が「『聖教新聞』裁判で勝訴する」であることは明らかだった。だから『聖教新聞』裁判の敗訴によって矢野のもくろみは大きく崩れたのではないかと思われた。それが『東村山市民新聞』裁判で尋問に出廷しないという、朝木に対しても支援者にもとうてい顔向けできないような醜態につながったものと理解できよう。

「次回はめまいにならないで下さいね」という裁判官の言い方からは、裁判官は「めまい」が引き延ばしのための言い訳とみていたことがうかがえる。私も矢野は尋問から逃げたと考えているが、それには具体的な根拠があった。

 矢野が「めまい」を理由に尋問を欠席してからひと月後、私は東京地裁で矢野と会う機会があり、こんな会話を交わしたのである。



――めまいはもう大丈夫なんですか?

矢野  まだよくないんだよ。

――でも、3、40分しか尋問に耐えられないということはないんでしょう?

矢野  それは大統さんだよ。おれは今も1分も耐えられない状態なんだよ。ところでお前、まだ足がついてたのか。



 最後の一言は意味不明だが、脅しか何かだったのだろうか。それはともかく、ここで矢野は「めまい」の状況について「まだ1分も耐えられない状態だ」と述べている。ところがこの日矢野は、1時間近くかけて東村山から霞が関までやってきて、2件の裁判をこなしている。つまり「まだ1分も耐えられない状態だ」というのが嘘であることは矢野自身が目の前で証明しており、さらに「まだ」といっている以上、当初の尋問期日の状態も現在に含まれているから、その当時の矢野の「理由」も嘘だったということになる。

 確かに矢野が1年前にいったとおり、『聖教新聞』裁判の結果がまさしく「他の関連裁判に直結」したということなのだろうか。計算違いだったのは、『聖教新聞』裁判で「万引きの汚名を着せられて殺された」とする主張がことごとく排斥されて敗訴したことのようだった。

「失明状態」にあったとする朝木大統に対する尋問が行われたのは、そんな裁判状況の中だった。大統が『聖教新聞』裁判の判決でコメントの存在が認定されたことを知っていたかどうかはわからない。いずれにしても大統は、「失明していた」と主張することで「コメントはあった」と断定した一審の認定が覆る可能性があると考え、尋問の要請に応じたのだろう。

 しかし大統は、『東村山市民新聞』裁判で矢野が仮病を使って尋問から逃げていたことを、おそらく知る由もなかったにちがいない。大統の尋問からひと月もたたない平成13年2月27日、『東村山市民新聞』裁判で東京地裁は、矢野と朝木に対して200万円の支払いと、謝罪広告の掲載を命じる判決を言い渡した。

(つづく)
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