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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第31回
的中した「予言」

『聖教新聞』裁判でコメントの存在を認定された上、敗訴した矢野は、はたして控訴審で逆転勝訴できると本気で考えていたのかどうか。当事者(『週刊現代』裁判)である朝木はともかく、矢野は「『聖教新聞』裁判の判決は他の関連裁判に直結する」と断言していたほどだし、まして東京地裁は判決で「朝木父娘のコメントは創価学会に対する名誉毀損行為である」とまで言及していたのだから。

『週刊現代』裁判の控訴審判決が言い渡されたのは大統の尋問から3カ月後の平成13年5月15日である。一審で損害賠償責任を免れた朝木父娘は控訴審でも一審判決が維持されることを期待しただろう。しかし判決は矢野が「『聖教新聞』裁判の判決は他の関連裁判に直結する」と予言したとおりの結果となった。東京高裁は一審判決のうち朝木父娘に対する判断を変更し、「各自200万円」の支払いとともに謝罪広告の掲載を命じる判決を言い渡したのである。

 通常は講談社と「連帯して200万円を支払え」というところと思うが、この朝木父娘に対する命令は、「各自」という文言を使うことによって、この損害賠償200万円については講談社だけでなく朝木父娘にも同等に支払う責任があることを明確にしたもののように思われる。あるいは東京高裁も、講談社と朝木父娘に対して「連帯して」というのも非現実的過ぎると考えたのかもしれない。

欄外の広告にまで言及

 判決で東京高裁はまず『週刊現代』の記事について、〈一審原告(筆者注=創価学会)の名誉を毀損するものであり不法行為を構成するもの〉と認定した上で、その理由について一審判決の説示に加えて次のように述べている。

〈本件大見出しは、死亡した朝木市議の夫と娘の言い分という形がとられてはいるものの、「明代は創価学会に殺された」との部分が、そのうちで最も大きな字で記載されていて、……読者に朝木市議が一審原稿関係者に殺された旨の印象を強く与えるものとなっているというべきである。〉

 さらに東京地裁は、本件記事が当時発生していたオウム事件とイメージを重ね合わせるかたちで読者に訴えようとしていたことがうかがえる点に言及して次のように述べた。

〈「オウムのような犯行の手口」との小見出しがその(筆者注=前記大見出しの)直下に配されており、本誌発行の約半年前に起きたオウム真理教によるいわゆる地下鉄サリン事件をきっかけに次々明らかとなった坂本弁護士一家殺害事件をはじめとする同教団による組織的犯罪が発覚したことにより、当時宗教団体一般に対する不信感が醸成されていたことを背景に、一審被告朝木らの主張を強く印象づけるものとしている(ちなみに、本件記事の欄外の広告も、一審被告講談社発行の「実行犯がすべて語った!! 坂本弁護士一家殺害事件」なる書籍のものにあてられている。)〉

「欄外の広告」は〈「明代は創価学会に殺された」〉という衝撃的なタイトルのある見開きページの左端に配置されており、見開きの右ページには〈「オウムのような犯行の手口」〉とする小見出しもある。確かに東京高裁が述べるとおり、この広告を配置したこともまた朝木明代の「転落死」がオウム事件に似た背景を持つものであるかのように印象づける効果を狙ったものとみるのが自然である。

 オウム事件と同列に並べた矢野、朝木と『週刊現代』の戦略によって、オウム事件と朝木明代の自殺は「宗教団体による殺人事件」として多くの読者や市民の記憶の中にいったん1つの共通するイメージとしてまとめて収められた可能性は高い。その影響が今も根強く残っていることは、平成20年に東村山に乗り込んで「朝木明代は創価学会に殺された」とする街宣を行った右翼らがさかんに「オウムのような」という文言を利用したことからもうかがえよう。

 今年、東村山の知人から届いた1枚の年賀状には、「市外から引っ越してきた方の中にはまだ『朝木明代は創価学会に殺された』と思い込んでいる人がたくさんいます」と書かれていて、いまさらながら、「東村山デマ」の根深さに驚かされた。いったん正しい情報として刷り込まれたイメージは、それがデマであると認識を改めさせることは簡単ではないということなのだろう。

「紛争報道」を否定

 さて、東京高裁は記事が朝木らの主張の紹介に偏っている点についても言及している。

〈警察においては朝木市議の死因は自殺であるとしていて、一応の公の判断が下されているのであるから、その判断の根拠について掲載することによって、記事内容のバランスを保つことが可能であると考えられるにもかかわらず、……本件記事では全く触れておらず、かえって、「いい加減な警察の初動捜査」の小見出しの下で、捜査に不備があると一審被告朝木らが主張する点ばかりが指摘されているのであり、……被告らの主張を補強し、これを支持するものと読者において理解するような内容となっている。〉

 東京高裁はこう述べた上で、記事は公平な報道とはいい難く、〈紛争報道として名誉毀損を構成しないものと解することは到底できないといわざるを得ない〉と結論付けた。

 当時、『週刊現代』は別件ですでに警視庁から取材を拒否されており、明代の件でも東村山署には取材していない。しかし東村山署が「自殺」と判断をしていたことは新聞等で報じられており、『週刊現代』が東村山署の判断を知り得なかったということはあり得ない。

 通常の判断なら東村山署の判断を知った時点で「創価学会に殺された」とする矢野と朝木の主張を全面的に採用することには慎重になるところだろう。ところが『週刊現代』は何をどう錯誤したのか矢野らの説明と主張のみに基づき、結論だけでなく捜査のあり方にまで踏み込んで東村山署を一方的に非難したのである。これを「公平な報道とはいい難い」と断定した東京高裁の判断は一審にもまして厳しいもののように思えた。

(つづく)
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