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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第35回
主張が認められたかのような宣伝

『週刊現代』事件は、東京高裁が朝木父娘の「コメントはしていない」とする主張と50ページにも及ぶ「前提事実の真実性・相当性」などという詭弁を排斥し、最終的に講談社だけでなく朝木父娘に対しても各自200万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じて終結した。講談社は提訴されたとたんに自分たちだけは責任を逃れようとするような者たちに心を許し、利用されるだけ利用されたあげくにみごとにはしごを外されてしまうというメディアとしてこの上ない恥をさらすことになった。

 しかし朝木と矢野は、ただ裁判の上で責任を逃れようとしただけではなかった。一審判決後には、彼らは裁判の状況など知る由もない市民に対しては政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』で、『週刊現代』を裏切ったことを隠して「勝訴」(敗訴しなかっただけ)という結果のみを宣伝し、『週刊現代』の裁判対応についてはむしろ次のようにこき下ろしさえしたのである。



(平成11年9月1日付『東村山市民新聞』第107号の記載=一審判決後)

創価を連続撃破

(刑事告訴が不起訴処分になったことを記載したあと)7月19日に、同じ「週刊現代」の記事を創価本部が、名誉毀損裁判に訴えた事件で、東京地裁は、私と父に対する請求を棄却し、私達は続いて勝訴。

「週刊現代」側は、証拠を出して事実を証明する努力をしなかったため敗訴。

 しかも裁判所は「朝木市議の死亡と創価学会は何らの関係もない」との部分を認めず、創価本部にまた激震。



〈私達は続いて勝訴〉〈裁判所は「朝木市議の死亡と創価学会は何らの関係もない」との部分を認めず〉という部分を読むと、読者がまるで「明代は創価学会に殺された」という朝木の主張が認められたものと錯覚してもおかしくない書き方である。そう書く一方で、『週刊現代』は立証の努力をしなかったため敗訴したと、『週刊現代』だけに落ち度があったと印象づけた。『週刊現代』に関する記載は事実かもしれないが、彼らにもまた立証責任があったにもかかわらず、彼らはコメントの責任から逃げたのである。

 東京地裁は朝木父娘のコメントが名誉毀損であることは認めたものの、それを記載するかどうかの決定権は『週刊現代』にあり、また掲載について意を通じていなかったとし、朝木父娘はかろうじて敗訴を免れたにすぎない。しかしそのことを一般の読者は知る由もないのだった。それを「勝訴」と宣伝するのは虚偽とはいえないが、「コメントはしていないと主張したが否定され、名誉毀損性を認定された」という重要な事実を伝えていないという点で詐欺的な記事である。

並大抵でない特異さ

 さらに末尾の〈裁判所は「朝木市議の死亡と創価学会は何らの関係もない」との部分を認めず〉とする記載は、何も知らない読者は内容的にも「明代は創価学会に殺された」とする朝木の主張が認められたと誤解する可能性が高いという点で悪質というほかない。東京地裁判決は、朝木父娘のコメント及び『週刊現代』の記事が創価学会の名誉を毀損するものと認定している。すなわち東京地裁は「朝木市議の死亡と創価学会は何らの関係もない」と認めたに等しい。

 すると〈裁判所は「朝木市議の死亡と創価学会は何らの関係もない」との部分を認めず〉とする朝木の記載は事実に反するように思える。しかし実は、この部分だけに限れば必ずしも虚偽ともいえない、という複雑な経緯があったのである。

 どういうことか。創価学会が講談社と朝木父娘に対して請求した謝罪広告には「朝木市議の死亡と創価学会は何らの関係もなく」という文言が入っていた。ところが東京地裁が講談社に対して命じた謝罪広告にはこの文言が入っていなかった。朝木(矢野)はすかさずこの点につけ込み、〈裁判所は「朝木市議の死亡と創価学会は何らの関係もない」との部分を認めず〉と記載したということだった。

 部分的には嘘ではないという主張は可能かもしれない。しかし記事を総合的に理解すると、東京地裁があたかも明代の転落死に創価学会が関与していたことを認めたかのような印象を与える点で、記事は読者を欺くものといえるのではあるまいか。自分たちは〈事実を証明する努力〉どころかコメントをした事実から逃げ、すべての責任を講談社に押しつけたにもかかわらず、判決が言い渡されるや都合のいい部分だけを利用し、自分たちだけは誠実に事実を主張してそれが認められたかのように宣伝するとは、やはり矢野と朝木の悪質さ、特異さは並大抵ではないということである。

 この記事掲載から半年後に発行した『東村山市民新聞』第110号(平成12年2月1日付)でも朝木は同様の記事を書いている。



(『東村山市民新聞』第110号の記載)
 
「週刊現代」事件の裁判では、創価側は朝木議員殺害事件に無関係だと主張しましたが、しりぞけられています。掲載記事の事実の証明をしなかった「週刊現代」は敗訴しましたが、朝木遺族側は創価に勝訴。



 この記事では第107号の記載よりも単刀直入になった分、さらにストレートに、「明代は創価学会に殺された」とする彼らの主張があたかも裁判所から認められたかのような記載になっていることがわかるのではあるまいか。

 創価学会が請求した謝罪広告にあった「朝木市議の死亡と創価学会は何らの関係もなく」とする文言が裁判所の命じた謝罪広告の中に入っていなかった点を捉えて「明代の転落死に無関係だとした創価学会の主張が退けられた」と言い換え、「事実の証明をしなかった『週刊現代』は敗訴したが、朝木側は勝訴した」と書けば、あたかも朝木らが「明代は創価学会に殺された」とする事実の証明をした結果、勝訴したかのように読めよう。「コメントはしていない」と逃げただけの事実からははるかにかけ離れた宣伝である。表現を徐々に彼らの主張したい方向に引き寄せていき、内容においても彼らの意図に合わせていこうとしている様子がうかがえる。

(つづく)
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