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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「右翼の弟子」事件 第3回
捜査機関の結論には触れない弟子

 本件裁判で私と千葉が問題としているのは、「行動する保守」Aが東村山駅前で街宣を行った際の私と千葉の行動について、

〈……その動向を見張るかのように終始付きまとう様は常識的に考えて異常である。一連の行動には宇留嶋・千葉両人のみならず、創価シンパと思しきブロガーやウォッチャーまでおり、ある意味では「集団ストーカー行為」の一形態といえるのではないか?〉

 などと記載した箇所などである(詳細は第1回に記載)。

 上記の問題部分について弟子は、私と千葉に対していずれも「『集団ストーカーである』とは断定しておらず、疑問を呈したにすぎない(筆者注=「だから名誉毀損には当たらない」とする趣旨)」などと主張した上で、千葉に対しては続けてこう主張している。

〈原告千葉が、「東村山事件」の捜査責任者として、平成7年に国会で杜撰な捜査を批判されたという特段の事情を勘案すれば、本件記事は、原告千葉の受忍限度内にある。〉

 東村山市議だった朝木明代が万引きを苦に自殺した平成7年に、自民党の国会議員が根拠もなく「他殺が疑われる」などとして「事件性は薄い(すなわち自殺)」とみていた警視庁東村山警察署、とりわけ捜査指揮官の千葉を名指しで批判したことは事実である。それによって東村山署は書類送検を2カ月も遅らされた。しかし最終的に東京地検も「万引きを苦にした自殺」という警視庁の結論を追認して捜査を終結している。したがって、上記の弟子の主張は、国会議員が国会で千葉を批判したという事実のみを記載し、警視庁と東京地検の結論を記載していないという点で一方的な主張である。

 千葉に対する国会議員の質問こそ捜査結果を曲げようとする謀略そのものだった。弟子としては捜査機関の結論には触れられなかったものとみえた。

「行動する保守」独自の思考

 それにしても、弟子の上記主張の中でも驚くべき点は、千葉はかつて公的機関によって「ストーカー」と認定されたからではなく、国会で批判されたことがあるから、それだけで「集団ストーカー」といわれることについて人権が制限されると主張していることである。国会で批判されることはめったにない話かもしれないが、そのことによって人権が制限されるなどという話は日本ではあまり聞いたことがない。「行動する保守」独自の考え方だろうか。

 私に関する部分についても、弟子は「集団ストーカー」とは断定していないなどと主張した上で、次のように主張している。

〈原告宇留嶋が、他人への批判を生活の糧にしていること、「東村山事件」の遺族及び真相解明を求める関係者への中傷を行って複数の別訴で敗訴していること、創価御用ライターと呼ばれたことを提訴したが敗訴したこと等の特殊の事情を勘案すれば、本件記事は、原告宇留嶋の受忍限度内にある。〉

 この記載のうち、とりわけ「他人への批判を生活の糧にしていること、『東村山事件』の遺族及び真相解明を求める関係者への中傷を行って複数の別訴で敗訴」とする部分自体が私に対する新たな名誉毀損である。

 これについては対応を検討中だが、要するに弟子はここでも「宇留嶋は過去に他人を中傷して敗訴しているやつだから、『集団ストーカー』といわれても我慢しなければならない」と主張していると理解できよう。弟子は私に対しても、かつて私が公的機関によって「ストーカー」と認定されたからではなく、それとは関係のない「過去の悪行」によって、「集団ストーカー」といわれることについて私の人権は制限されると主張していることになる。

 このように、弟子は私も千葉も、本件とは無関係の過去の「特殊な事情」によって、「集団ストーカー」と呼ばれたことについて「受忍限度内にある」と主張している。弟子のこの考え方は、「行動する保守」Aとともに参加しているヘイトスピーチの短絡思考に通じるものがある。

 ただ無関係とはいえ、弟子が「受忍限度内にある」とする理由を挙げているところをみると、理由もなく「集団ストーカー」と呼ばれること自体は、当事者にとって社会的評価を低下させるものであるという自覚があるということだろうか。

 そのためかどうか、弟子は「集団ストーカー」という文言の法的解釈による反論を行っている。弟子が「(私たちの行為は)『集団ストーカー行為』の一形態」と記載したことについて「読者が、原告らは犯罪行為であるストーカー行為を働いたと理解することは明らか」とした私と千葉の主張に対して、弟子は次のように主張している。

〈「集団ストーカー」は、集団でのつきまといや威圧行為のことを指しており、原告らの主張する「平成12年に施行されたストーカー行為等の規制等に関する法律」で規制される「犯罪行為」のことを指していない。

 すなわち、同法が規制する「ストーカー行為」は、恋愛感情による付きまとい等であって、……同法で規制される「犯罪行為」と無関係なのも明らかである。〉

 そこまで理解していながら、弟子は「集団でのつきまといや威圧行為」をなぜわざわざ「集団ストーカー行為」と呼ぶのか。「行動する保守」の思考は本当に理解に苦しむというほかない。

(「第2回口頭弁論以降」につづく)
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