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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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「議席取り戻し」事件 第1回
最高裁が松戸の生活実体を否定

 東村山市議の矢野穂積(「東村山を良くする会」)は平成26年12月議会になって急に他の市議を名指しし、東村山の生活実体に問題があるとする主張を始めた。しかし矢野と朝木直子(同会派)は、他人の生活実体を問題にする前に、議席譲渡事件で朝木が虚偽の住民票移動を行って東村山市選管を騙し、東村山市民を欺いたことを謝罪しなければならない。
 
 平成7年4月23日に行われた東村山市議選で当選した朝木直子は、次点で落選した矢野に当選を譲るために同年4月26日、松戸市紙敷に住民票を移動。同日、朝木は松戸市に転出したために東村山市の被選挙権を失った旨を東村山市選管に届け出た。東村山市選管は朝木が東村山市の被選挙権を失ったと判断し、同年4月28日、矢野の繰り上げ当選を決定するための選挙会を開いた。ところが選挙会は紛糾し、最終的に議員任期の始期である同年5月1日を過ぎた同年5月21日、矢野の繰り上げ当選を決定した。

 平成7年当時、朝木は「自分よりも矢野さんの方が議員としてより適格」などと説明し、自分の転居が矢野を当選させるためのものであることを明言していた。しかし裁判の過程で矢野と朝木は、民意を無視した議席譲渡をそのまま正当化することはやはり心証が悪いと判断したものと思われた。裁判で朝木は、「矢野に当選を譲るため」という当初の説明を覆し、実は「父親の介護のため」だったとし、いずれにしても平成7年4月26日に生活の本拠を松戸に移したのは事実と主張した。「矢野の繰り上げ当選は最初から計画していたのではなく、結果にすぎない」と。意図的なものではなかったというのだった。

 しかし平成9年8月25日、最高裁は議員任期の始期において朝木の生活の本拠は松戸には移っておらず、朝木は平成7年5月1日には東村山市議の地位に就いていたと認定し、矢野の繰り上げ当選を無効と結論付けた。平成7年4月26日に千葉県松戸市に住民票を移し、「松戸で生活している」としていた朝木の主張は虚偽であると認定したということだった。

誰も予想できなかった主張

 最高裁が議席譲渡は無効とする判決を言い渡し、矢野は東村山市議会を去った。では、議席譲渡事件発生当時から判決まで、「当初から松戸で生活していた」と主張して譲らなかった朝木はどんな反応をみせたのだろうか。

 信じられないかもしれないが、最高裁判決後、朝木は「自分は平成7年5月1日に議員になっていた」と主張し始めたのである。最高裁は判決で、「議員任期の始期において朝木の生活実体は松戸には移っておらず、まだ東村山にあった」と述べ、「朝木は東村山市議になっていた」と認定している。その認定からすれば、朝木の主張は間違ってはいないのかもしれない。

 しかし「自分はもう東村山市民ではないから東村山市議ではない」とあれほど主張していた者が、「やっぱり自分は東村山市議だ」と自ら主張するとは、誰も予想していなかった。最高裁判決で主張を否定されたとはいえ、自分から当選を放棄した者が掌を返すように議員としての地位を主張することには、市民感覚として少なくともかなりの違和感があるのだった。

 この主張は当然、かつての自らのもう1つの主張を覆すものでもある。つまりこの主張は、松戸の生活実体を自ら否定したに等しい。「ガステーブルにあった電気コンロを使用していた」(=前回)という不自然きわまる話もやはり嘘だったことを認めたということになろうか。これもまた、普通の神経ではできることとは思えなかった。

 ただこのとき、朝木が市民に対して「自分が松戸で生活していたというのは嘘でした。実際には松戸では生活していなかった」と明言したわけではない。たんに「自分は議員になっていた」と主張しただけである。最高裁判決の中で、自分にとって都合のいい部分だけ主張し、松戸の生活実体が否定されたことについてなんらの釈明もしないのは、少なくともフェアではない。

 生活実体まで言及すれば、現在の主張が議席譲渡事件当時の主張と矛盾することを市民にわざわざ知らせることになる。矢野と朝木の関心事は最高裁判決によって失ってしまった議席とプライドを取り戻すことであり、市民に事実を知らせることなどではなかったのだろう。

直子の当選を認めなかった選挙会

 さて、「矢野の繰り上げ当選は無効」とする最高裁判決(平成9年8月25日)を受けて、平成9年8月25日9月2日、東村山市選管は矢野に代わる当選人を決めるための選挙会を開催した。最高裁判決によれば、朝木は平成7年5月1日の時点で生活の本拠を松戸に移しておらず、したがって東村山の被選挙権を失ったとする朝木の主張は虚偽で、朝木は同日に東村山市議の地位を得ていた。当然、矢野の繰り上げが決定された平成7年5月21日の時点では東村山市議だったことになるから、矢野の繰り上げ当選が無効になったことによる更生決定の対象となると考えられる。

 しかし最高裁判決では、朝木は平成7年5月1日の時点ではまだ東村山に生活の本拠があったと認定する一方、同年5月29日以降については一応、松戸市に生活の本拠が移ったらしいことが認定されている。つまり、朝木は同年5月29日以降、東村山市の被選挙権を失ったものとみることができた。

 また朝木は、平成8年10月8日に告示された衆院選に立候補している。その時点で朝木が東村山市議の資格を失っている(公選法90条)ことは明らかだった。最高裁も判決で述べているように、いったん議員になった者の資格が失われたかどうかは議会の議決に委ねられる。しかし衆院への立候補によって市議資格を失うことについては議会の議決を必要としない。

 これら2つの理由から、選挙会は朝木がいったん東村山市議になっていたとしても、すでに東村山市議としての被選挙権を有していないと認定。最終的に「当選者を決めることができない」とする決定を行った。

 議席譲渡が民意を踏みにじる行為であるにもかかわらず、朝木は松戸に生活の本拠を移したのは事実と主張し、矢野の繰り上げ当選を正当化してきた。すべての前提である松戸への住民登録が虚偽だったことが最高裁で認定された者とすれば、この選挙会の決定を黙って受け入れてもなんら不思議はない。ところが矢野と朝木らは、選挙会の決定が行われた平成9年9月2日、東村山市選管に対し、同決定が無効であるとする異議申出を行ったのである。

 最高裁判決によって矢野が東村山市議会から姿を消し、表面上、議席譲渡事件は終息した。しかし水面下では、議席譲渡事件の末に空席となった議席を取り戻そうとする矢野と朝木の動きが始まっていた。

(つづく)

※私と千葉が「行動する保守」Aの弟子を提訴している裁判の第2回口頭弁論期日は当初の平成27年1月15日から2月12日午後2時に変更となった。なんでも弟子が代理人(弁護士)を付けたとのことで、日程に差し支えが生じたようである。「代筆してもらうのでは不安」と思ったのかどうかは定かでない。
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