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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「議席取り戻し」事件 第2回
異議申出書の趣旨

 矢野らが東村山市選管に提出した異議申出の趣旨は以下のとおりである。

〈最高裁は、朝木は平成7年5月1日には東村山市議になっていたと認定している。また最高裁は、朝木は同年5月29日に東村山の住所を失ったとしているが、朝木が被選挙権を失ったかどうかは東村山市議会が決定しなければならないと述べている。最高裁判決後、議会は朝木が被選挙権を失ったかどうかに関する議決を行っていないから、東村山市議会の議決を経ていない選挙会の決定には法的根拠がない。

 本来、東村山市議会は最高裁判決に従って朝木が平成7年5月29日に東村山市議の被選挙権を失ったことを議決し、それに基づき選挙会はあらためて矢野を繰り上げ当選人として更生決定しなければならない。〉

 言い換えれば、議会が朝木の被選挙権が失われたとする議決をしていない状態にあっては、朝木は東村山市議会議員だという主張も成り立つということのようだった。

 一方選挙会は、朝木がいったん東村山市議になっていたとしても、その後東村山市の住所を失い、衆院選にも立候補しているから、議会の議決を待つ必要もなく、朝木は東村山市の被選挙権を失っていると判断していた。

真似のできない詭弁

 ところで矢野らが提出した異議申出書の記載でとりわけ特異に思えるのは、平成7年5月1日の時点で朝木が主張していた松戸への住所移転を最高裁が認めなかったことにはいっさい触れていないことである。異議申出書ではたとえば、朝木が同年5月1日に議員になっていたと認定したことについては次のように記載している。



〈最高裁は、(選挙会が)朝木直子の被選挙権の喪失を……議員資格の発生日である1995年5月1日より前に認め……選挙会が繰上当選人を同年5月21日に決定した手続きに瑕疵を認定し……〉

〈朝木直子の被選挙権喪失の原因とされた住所移転の事実が、1995年4月30日(筆者注=この日までの地位は「議員」ではなく「当選人」)までには発生しておらず、故に、同年5月1日の時点において朝木直子にはすでに議員資格が発生している〉



 上記2つの記載を見ると、朝木が千葉県松戸市に最初に住民票を移した平成7年4月26日の住所移転について、あたかも選挙会が勝手に生活の本拠が移ったと判断したかのように書かれていることがわかる。事実は朝木が正式に松戸に住民登録をしていたこと、朝木と朝木の母親である朝木明代が「直子は松戸で生活している」と主張したことなどから、朝木の生活の本拠について市選管も松戸に移転したものと判断せざるを得なかったのである。市選管は朝木に騙されていたと言い換えてもよかろう。

 ところが異議申出書においては、朝木が一貫して主張していた平成7年4月26日時点での住所移転の実体を最高裁が認めなかったことにはいっさい触れず、それどころか選挙会が「朝木は同年4月26日に被選挙権を喪失した」と事実認定を誤り、誤って矢野の繰り上げ手続きをした(=「最高裁が瑕疵を認定」)と主張していた。最高裁が無効とした矢野の繰り上げ当選もまた、矢野と朝木が企てた議席譲渡ではなく、選挙会の事実誤認によって起きたものへとみごとに事実が変質している。

 つまり矢野の主張によれば、最高裁が無効と判断した矢野の繰り上げ当選をもたらしたのは東村山市選管ということになる。他に真似のできない恐ろしい詭弁というべきだろう。矢野はこの異議申出書によって彼らが企てた前代未聞の議席譲渡事件をなかったことにしようとしていたのだろうか。

「虚偽の移転」部分は無視

 さて、矢野は申出書において、最高裁判決に基づき朝木は平成7年5月1日には議員になっていたとした上で、さらに「朝木直子の被選挙権喪失時期」として次のように主張していた。



〈最高裁判決は、判決書において、

「2、原審の適法に確定した事実関係の概要は以下の通りである」として、「同月(5月)29日には松戸市馬橋の第三者所有の賃貸マンション所在地への転居の届出をした。朝木は、現在、右マンションを生活の本拠としている」

 と認定し、松戸市馬橋のマンションを生活の本拠として定めた起点は1995年5月29日だとしている。〉



 矢野はこう述べて、朝木は松戸に生活の本拠を移しており、東村山の被選挙権を喪失した時期は平成7年5月29日であると主張している。この部分だけを読むと、それまでの松戸市内における2度の転居は存在しなかったかのようである。

 最高裁判決によれば、朝木の被選挙権の喪失時期については一応、矢野の主張するとおりだろう。しかし、矢野が引用した最高裁判決の「2 原審の適法に確定した事実関係の概要」で記載されているのはこれだけではない。最高裁は上記「2」において、彼らの立候補から当選、議席譲渡の経過、さらに同年4月26日に東村山から松戸への最初の住民票移動を行ったことにも触れ、以下のように述べているのである。



(最高裁判決の記載1)

〈朝木の転出先とされた松戸市紙敷(筆者注=最初の転出先)の住所は、朝木の父の部下一家が住む社宅であった。朝木は、同月9日には松戸市松戸……への転居の届出をし〉



 判決文はその後、矢野の引用部分へとつながっている。最高裁は3度の住民票移動の経過を示した上で、最初の2回の転居が生活実体の移転とは認められない理由を次のように述べている。



(最高裁判決の記載2)

〈(最初の転居先は)次点者の矢野を当選人とすることを目的として、急きょ、松戸市への転出の届出をしたものであり、……その後、わずかの間に、……2度にわたり転居の届出をしているというのである。そうすると、仮に、朝木が、……同年5月29日以降は松戸市馬橋のマンションを生活の本拠としているとしても、松戸市紙敷の前記社宅は……せいぜい居所にとどまるものといわざるを得ない。〉



 最高裁が朝木の生活の本拠は同年5月29日以降、松戸にあったと認めたといっても、このように消極的なかたちで述べたにすぎない。

 むしろ朝木が矢野に当選を譲ると説明していた当時、彼らは「平成7年5月1日には生活実体としても松戸に移転していた」と主張していた。ところが最高裁でそれが否定されたためか、申出書ではその箇所についてはまったく触れず、「同年5月29日以降は松戸を生活の本拠にしている」とする部分だけを記載していたのである。その上で、議会は最高裁判決に従って朝木の被選挙権がなくなったことを議決し、選挙会はその議決に基づき、あらためて矢野を繰り上げ当選人とする決定を行わなければならないと主張していた。

 こうして矢野らが提出した異議申出書を読むと、議席譲渡の影も形も消滅していた。矢野と朝木にはいっさいの過失も誤りもなく、すべての責任は市選管と議会にあるかのようである。結論としての主張はともかくとして、ここまで事実を歪曲し、完璧なまでに自らを正当化しようとする主張も珍しいというほかない。

(つづく)
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