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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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『聖教新聞』事件 第44回
朝木が作成したイラストを提出

『聖教新聞』裁判でもう1点、矢野が力を入れて主張したのが、明代の司法解剖鑑定書(以下=鑑定書)に記載されていた「上腕内側部の皮下出血の痕」についてである。矢野はその「皮下出血の痕」が明代の転落死に第三者が介在した証拠であると主張し、その後の『東村山の闇』でも同じ主張を行っている。

 矢野はその際、鑑定書を提出するとともに、鑑定書の記載を元に朝木直子が作図したとする明代の上半身のイラストを証拠として提出し、「上腕内側部の皮下出血の痕」の位置を示していた。イラストは上体全体のアウトラインを型取り、鑑定書に記載された内出血の位置を番号で示したものと、上腕内側部だけを拡大して描いた「上腕内側部の皮膚変色部(皮下出血部)」、「上腕内側部の皮膚変色部(皮下出血部)」(左右がある)と表題が付いたものの2種類である。

 とりわけ上腕内側部のイラストには鑑定書の記載に基づいて印したと思われる皮下出血痕の部分が四角く斜線で囲んで示されていた。その部分がまさに「犯人」から落とされた際に握られた痕だというのだった。

 千葉によれば、通常、人間の手でつかまれて内出血が生じた際には、痕が四角くなることはないという。人間の指は先端が四角ではなく丸いから、内出血の痕も丸くなるというのである。きわめて納得のいく話だった。

 なお鑑定書には、イラストに示された通りの内出血の痕があったことを示す記載はあるが、それが人間によってつかまれた可能性を示唆する見解や、内出血の形状、特に矢野が「つかまれた痕」と主張する指の先端に該当する部分が丸みを帯びているなどとの記載はない。矢野が主張するように、「上腕内側部の皮下出血の痕」が明らかに他人が介在した痕と認められるのなら、鑑定書にその旨の見解があってもおかしくないが、そのような見解もいっさい記載されていない。

矢野が最後に会った可能性

 明代の転落死に他人が介在していたとすれば、矢野と朝木が主張するように、明代が転落した平成7年9月1日午後10時までの間に明代は「拉致」されていなければならない。しかしその夜の目撃情報等から総合的に判断すると、明代が第三者に拉致された可能性はないことは明らかだった。

 明代が最後に目撃されたのは9月1日、午後9時過ぎである。明代は自殺現場の前あたりで東村山駅方面から自宅方面に向かって1人で歩いているのを目撃されている。その後、明代は同9時19分に自宅から事務所にいた矢野に電話をかけ、「ちょっと気分が悪いので、休んでいきます」と伝え、矢野は「はい、はい」と答えた。

 自殺現場のビルから明代の自宅までは徒歩で10分程度。明代は午後9時13分にも自宅から事務所に電話をかけているから、自殺現場近くで目撃された明代はそのまま自宅に帰ったとみるのが自然である。

 明代は自宅に帰ると、ほどなく矢野に電話をかけたことが推測される。矢野と朝木は「明代は自宅から拉致された」と主張しているが(当初、矢野は「事務所から拉致された」と主張していたが、『聖教裁判』で根拠を追及されて以後、「事務所からの拉致説」を放棄した)、明代が矢野に電話をかけるまでの間に「拉致」されたとすれば、これほどスムーズにかけることは不可能ではあるまいか。また電話での話しぶりにも、明代の身に異状が起きた様子はうかがえない。

 明代と電話で話した矢野もまた、明代がとりわけ「拉致」というような異常な状況にあるなどとはみじんも感じてもいないようだった。むしろ矢野は、明代の状態を楽観していた。矢野は『東村山の闇』でこう述べている。



(明代の「最後の電話」に対する矢野の受け止め方)

 彼女は「休んで行きます」と言った。第一、彼女には今日中に仕上げなくちゃならないワープロ打ち掛けの「講演原稿」もあるし(※筆者注)、予定外の「質問通告」の話もある。「行きます」と言ったのだから、そんなにひどい状態でもなかろう。大したことでもないはずだ。彼女が事務所に戻ってから、聞いてみればいい。

※筆者注=矢野は事務所に帰ってきたとき、「ワープロが打ち掛けになっていた」と説明している。しかし事務所の中の状態がどうだったかについては、矢野がそう説明しているだけで、なんら客観的証拠はない。矢野は当初、「明代は事務所から電話で誘い出され、拉致された」と主張していた。明代が仕事の途中で誘い出されたという状況に整合性を持たせるために、「ワープロが打ち掛けになっていた」ことにした可能性が高い。事務所からの拉致説を放棄したあと、当初説明した「事務所の状況」だけが撤回するきっかけを失い、はしごを外された状態で取り残されたということではなかろうか。)



 矢野は9時19分の電話のあと、明代は事務所に戻ってくると受け取ったことがわかる。矢野は明代の電話になんらの異状も感じなかったのである。しかも明代はその6分前にも1度事務所に電話をかけている。拉致、監禁された状態で、明代が2度も電話をかけることができたと考えるのは無理があろう。矢野が電話から感じたとおり、明代はそのとき、第三者によって何かを強制されたり自由を奪われたりといった状態にあったわけではないということなのである。

 すると、矢野と朝木が主張するように、明代が何者かによって転落現場のビルまで拉致されたとすれば、午後9時19分から転落した午後10時までの間ということになる。その可能性はあるのだろうか。

(つづく)
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