ブログマガジン エアフォース
ブログで興味深い記事を公開していきます。
著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

最近の記事

カテゴリ

プロフィール

Author:プールマン

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

QRコード

QR

FC2カウンター

『聖教新聞』事件 第47回
添付されなかった「上腕内側部」

 司法解剖鑑定書の「上腕内側部の皮下出血の痕」を第三者からつかまれた跡と主張するには、明代が転落するまでに拉致されたという事実が存在しなければならない。しかしこれまで見てきたように、9月1日夜の明代の行動からは、明代が拉致される時間帯はない。明代が拉致されたという事実は存在しないということである。

 したがって、明代の転落死に第三者が関わっている余地はなく、明代の「上腕内側部の皮下出血の痕」が他人からつかまれた痕である可能性はない。明代の遺体には無数の内出血の痕があった。千葉が供述したように、「上腕内側部の皮下出血の痕」も、転落の際にどこかにぶつけたものにすぎないという結論になる。

 司法解剖鑑定書自体からも、鑑定医が明代の死に関して「上腕内側部の皮下出血」に特別の意味があるとは判断しなかったことがうかがえた。鑑定書には頭部から足先に至る全身の状態が細かく記載されているとともに16枚の写真が添付されている。鑑定医が死因を判断する上でより重要と判断した部位であると理解できよう。

 矢野や朝木が主張するように、「上腕内側部の皮下出血の痕」が第三者からつかまれた痕であると判断できるのなら、添付された写真の中に含まれていないはずがない。しかし鑑定書の16枚の写真の中に「上腕内側部」は左右とも含まれてはいなかった。死因を追及するにあたって鑑定医が「上腕内側部」を重要な部位とはみなさなかったということと理解できた。

きわめて不鮮明な写真を提出

 ところで、『聖教新聞』裁判に司法解剖鑑定書を提出したのは矢野、朝木の側だった。もちろん鑑定書に「『上腕内側部の皮下出血の痕』があることが記載されており、それが第三者が関与した証拠である」と主張するためにほかならない。鑑定書は彼らが「他殺」を主張する上で最も重要な証拠であるはずである。ところが、彼らが提出した鑑定書にはきわめて不可解な点があった。鑑定書に添付されている16枚の写真のすべてが、何度もコピーを重ねたかのように不鮮明だったのである(文字の部分だけは鮮明だった)。

 司法解剖鑑定書というものを初めて見た私は、添付された写真が不鮮明である理由について深く考えもしなかった。しかし司法解剖の現場に多く立ち会っている千葉は最初からこの点を不審に思っていた。

 そもそも司法解剖鑑定書が表に出ることになったのは、朝木が明代の救助活動を行った救急隊に過失があったとして損害賠償を請求して提訴したことがきっかけだった。救急隊(東京消防庁)は救急隊の活動に過失がなかったことを立証するために鑑定書を証拠として提出したのである。

 司法解剖鑑定書は死因を特定する目的で行った解剖の結果を可能な限り正確に記録するものでなければならない。写真もまた鮮明でなければ、鑑定書の体をなさない。したがって鑑定書の写真は矢野が提出したコピーを重ねたものではなく鮮明なものであるはずだ――千葉はこうみていた。

 また東京消防庁が、自らの過失がなかったことを立証するための証拠として法廷に提出する以上、鑑定書を改ざんすることはできない。もちろん、添付写真も鑑定書の一部だから鮮明なはずである、と。

 それを確認するために、私と千葉は東京地裁で救急隊裁判の記録を閲覧した。すると、救急隊が提出した鑑定書の添付写真は千葉が予測していたとおり、きわめて鮮明なものだったのである。

くっきりと線状の内出血

 では矢野はなぜ、鑑定書の写真だけを、わざわざ不鮮明になるまでコピーを重ねるという面倒なことをしたのだろうか。またなぜ、その上で朝木がイラストを作成して提出したのか。16枚の添付写真の中には、その2つの行為の理由を十分に推測させる写真が含まれていた。

 添付写真の中には〈胸腹部の状態〉という説明のついた1枚があった。首の付け根あたりから臍の下あたりまでを上から撮影した写真である。その写真には腕の部分も肩から両腕の肘下あたりまで写っており、矢野と朝木が「第三者につかまれた痕」があるという左右の上腕内側部も写っていた。

 矢野が提出した鑑定書の写真では、その部分は輪郭を除いて全体がほぼ白っぽくなってしまっている。ところが救急隊が提出した鑑定書の写真を見ると、左右の肘と肩のほぼ中間の上腕内側部には、腕の裏側からつながるかたちで、横1本の線のような内出血の痕がくっきりとついていた。

 とりわけ右上腕については鑑定書にも〈脇窩の高さの下方11㎝の部を中心に、上下に5㎝、幅9.5㎝の皮膚変色部を認める。〉とする記載があり、朝木もイラストの中にほぼ正確に記載している。内出血の幅は水平方向に9.5㎝もあるのだから、上腕を正面から撮影しても十分に目視できるほどの長さであることが理解できるのではあるまいか。にもかかわらず、矢野はなぜあえて写真を不鮮明に加工し、朝木はわざわざイラスト化したのか。

 上腕内側部の皮下出血の痕が第三者につかまれたものであると主張し、それが写真に写っているのなら、鮮明な写真をそのまま提出すればいい。しかし写真を不鮮明に加工したのは、その内出血の痕が第三者によってつかまれたものではなく、転落の際にできたものであることが誰の目にも明らかだったからなのではないか--。そう考える以外に、矢野がわざわざ写真を不鮮明に加工した合理的な理由は考えられない。

 明代が転落した位置の真上にあたる5階と6階の間の手すりには、外側からつかまるかたちで手指の跡がついていた。マンションの裏側は駐車場に接していて、境界にはフェンスが設置されていた。そのフェンスは明代の転落した位置で上部から押しつぶされるように折れ曲がっていた。

 明代は背中側からフェンスに衝突したとみられているが、その際に、両腕の裏側がフェンスの上部に激突したのではあるまいか。明代の両腕に残された線状の内出血の跡はそのことを如実に物語っており、第三者につかまれたものであるとする矢野と朝木の主張を否定するものだった。

 さらに鑑定医がこの内出血について特段、第三者の関与を疑うような記載をしていないことは、この内出血が第三者の存在をうかがわせるものでないことをより裏付けていた。

(つづく)
関連記事

TOP