ブログマガジン エアフォース
ブログで興味深い記事を公開していきます。
著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

最近の記事

カテゴリ

プロフィール

Author:プールマン

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

QRコード

QR

FC2カウンター

『聖教新聞』事件 第48回
「シンポジウム前に事件」と主張

 矢野は明代の万引きを否定し、「他殺」を主張するにあたって、アリバイや「他殺」と信じる根拠についてこれまでに述べてきた直接的な「根拠」(アリバイ主張と「上腕内側部の皮下出血の痕」)以外の「そう思わせる理由」についても様々に主張している。しかし、アリバイと「上腕内側部の皮下出血の痕」に関する主張がとうてい客観的なものでないことは明らかで、直接的な根拠ではないその他の様々な主張が「他殺」の裏付けとなるはずもない。

 ところが平成7年の事件直後の時点では、「万引き冤罪説」と「他殺説」を盲信したメディアにとって、それらの直接的ではない「根拠」も、それなりの信憑性をもって受け止められたのである。矢野らの主張を信じ込んだことがどれほど軽率なことだったか。それを確認する意味で、矢野が持ち出した、どこまでが本当かわからない「根拠」なるものを改めて示しておきたいと思う。

 はたからみてどれほど荒唐無稽に思えるような話でも、1度口にした主張はけっして撤回しないのが矢野のプライドのようで、この『聖教新聞』裁判でも事件当時メディアに訴えた内容を主張している。矢野は裁判所に対しても複数の具体的「事例」を挙げて「明代には殺される予兆があった」あるいは「明代は殺されたと判断できる理由があった」と主張したのである。

 矢野は、矢野と朝木が平成7年9月3日に高知市の市民団体「ヤイロ鳥」が主催する創価学会を批判するシンポジウムにパネリストとして出席する予定だったとし、このシンポジウムが近づいた6月以降に「事件」が相次いで起きていると主張している。つまり、「ヤイロ鳥」のシンポジウムに参加するということは反創価学会の態度を鮮明にするということで、そのことによって彼らは敵とみなされた――こう言外に主張したいようだった。

立証されない「相次いだ事件」

「相次いだ」という事件の中で、矢野が最初の事件として挙げているのが「窃盗被疑事件」、つまり明代の万引き事件である(判決文による)。東村山署が書類送検した万引き事件を最初に主張している時点ですでに、「反創価学会シンポジウムにパネリストとして出席することが決まって以降、事件が相次いだ」という矢野の主張は揺らいでいよう。

 続く「事件」は、明代が万引き事件で書類送検された4日後の平成7年7月16日に起きたと主張する矢野に対する暴行事件である。矢野はのちに1人の少年を「犯人」として東村山署に突き出したが、東村山署は少年は事件とは無関係と認定。刑事事件としては「犯人」が特定されないまま終結した。

 矢野はその後、少年が「犯人」であるとして少年に対して損害賠償を求める民事裁判を起こしたが、東京地裁も矢野の主張を排斥して少年を無関係と認定した。とりわけ判決の中で東京地裁が次のように矢野を批判していることは特筆に値しよう。

〈原告(筆者注=矢野)が被告を本件暴行の犯人である旨断じた根拠は専ら原告の記憶にあるというのであるが、記憶の曖昧さは経験則上明らかであるから、仮にも公職にある者がこの曖昧な記憶に基づき、しかも司法警察職員による捜査がなされながら刑事訴追の手続きが執られていない被告を名指しで犯人であると断定している点において極めて特異であると言わねばならない。〉

 東京地裁の指摘はこの裁判の本質を示しているように思える。矢野は控訴したものの、矢野の代理人は控訴審の第1回口頭弁論までに控訴理由書を提出できず、そのまま敗訴した(=「少年冤罪事件」)。矢野が「犯人」と特定した相手は刑事でも民事でも「無関係」と認定されたことを考えると、矢野が主張する「事件」そのものの存在自体が疑わしいといわれても仕方があるまい。

 その他に矢野が挙げていたのは、以下のような例だった。

③上記「事件」の翌日、「草の根」事務所に彼らを非難するビラが貼られていた
④同年7月19日には明代の自転車のブレーキが壊されていた
⑤同年8月2日、矢野がトラック2台に挟まれて轢き殺されそうになったが、そのトラックの所有者は創価学会員だった
⑥同年8月19日には死を意味する「4-4-4-4」という数字が打ち込まれるなどした
⑦同年8月20日、朝木宅の門柱の上に新聞紙が置かれ、放火された
⑧同年8月26日、「ばく死」と書かれた脅迫状が事務所に送られてきた
⑨創価学会関係者が「講師の命は保障できない」など、シンポジウム主催者であるヤイロ鳥を継続的に脅迫した
⑩同年8月28日、ヤイロ鳥事務局に「五体満足で、講師が高知の地を踏めると思ったら大間違いよ」という脅迫電話がかかってきた
⑪同年8月21日には、高知県内各地の創価学会文化会館で「シンポジウムを断固粉砕する」との申し合わせがなされている。

 ――などである。しかし上記事実についても矢野がそう主張するだけで客観的に証明された事実はなく、東京地裁も〈ただし、本件証拠上、その存在を確定できない事実も多い。〉と述べている。またいずれにしても、矢野が主張する上記事実が存在したとしても、「明代は殺された」とする証拠になり得ないことは誰が見ても明らかである。

 ところで、矢野が「明代は殺された」と主張し、そう信じる理由としてこれだけ多くの「根拠」を挙げながら、明代の転落死直後には主張しており、事実なら重要な「他殺の根拠」と思われるにもかかわらず、不思議なことに裁判では一言も触れなかったことが1つあった。

(つづく)
関連記事

TOP