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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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『聖教新聞』事件 第50回
相手にされなかった「内部告発」

 平成20年9月1日、「行動する保守」Aが「現場で3人の怪しい男が確認されていたとする内容の『内部告発』があった」として東村山市内で街宣活動を行った。このことについても、矢野はインターネット版『東村山市民新聞』で〈新たな情報をもとに朝木明代議員謀殺事件究明に立ち上がった(「行動する保守」A)〉などとし、「内部告発」の内容については「新たな情報」と記載したのみで、具体的な中身にはいっさい触れなかった。

 明代の転落死後、20年間にわたって「真相究明」活動に取り組んできた矢野が、その解明につながる可能性のある「新たな情報」と持ち上げたにもかかわらず、その内容を具体的に明らかにしないとは不可解というほかなかった。最初に自分が公表した「情報」に酷似した情報を、「行動する保守」Aは矢野とは異なる情報源から入手したと主張しているのだから、むしろより信憑性の高い情報として宣伝することができよう。

 矢野は「行動する保守」Aが東村山で最初に開いた街宣活動には参加した。しかし「行動する保守」Aがさかんに主張した「内部告発」については一言も言及しなかったのである。これをどう考えればいいのか。

 矢野と朝木は平成27年3月1日に発行した『東村山の闇Ⅱ』でも「行動する保守」Aらを「朝木明代議員事件真相究明に立ち上がった人々」という見出しで一応「好意的」に取り上げた箇所がある。そのくだりを紹介しよう。



 ……2008年7月、インターネット上で朝木明代議員事件を取り上げ、真相究明を求める動きが現れた。瀬戸弘幸氏(「日本よ何処へ」)、黒田大輔氏(「日本を護る市民の会のブログ」)、西村修平氏(主権回復を目指す会)などである。

……

 2008年7月から、「行動する保守」系の人達が本格的に朝木明代議員事件の真相究明の斗いを開始した。案の定、後に裁判所が「創価御用ライター」と認定した人物や自分のブログで攻撃を加えたほか、名誉毀損訴訟を提起し、東村山警察・元副署長も多数の名誉毀損裁判を提訴した。



 私が確認した限り、『東村山の闇Ⅱ』には「行動する保守」Aが大言壮語した「内部告発」など影も形もなければ、『東村山市民新聞』では記載した〈新たな情報〉の文言すら存在しない。「内部告発」の内容は、それが事実なら「拉致犯」につながる「情報」である。しかもそれは矢野自身が最初に発信した「情報」に酷似している。にもかかわらず、矢野は「行動する保守」Aが主張した「内部告発」を完全に無視したのである。なぜなのだろうか。

 平成23年4月7日、「行動する保守」Aは「内部告発」が「伝聞の伝聞」、すなわちその出所さえたどることのできない与太話であることを(自覚があったかどうかは定かでないが)記載した陳述書を法廷に提出した。「内部告発」なるものが、捜査機関にはとうてい通用しないたわごとであることを自白していた。

 しかし矢野が、「内部告発」なるものが与太話であるという事実を知っていたとしても、デマ宣伝に利用しようとする気があれば、ここまで無視することもなかろう。「内部告発」に対する矢野の距離の置き方はやはり不自然というほかないのだった。

「与太話」の疑念

(本当は)矢野が最初に発信した明代の「拉致情報」に関しては、「行動する保守」Aの支持者にとっては衝撃的な自白から2年後の平成26年6月18日、香川大学のT教授が、これまた「事実なら」という条件付きであるものの、矢野の「拉致情報」や「行動する保守」Aの「内部告発」の内容を裏付ける「目撃情報」の存在をブログで公表している。教授はその「目撃情報」を記載した陳述書を裁判所に提出したらしかった。

 その「目撃情報」の内容とは、「(創価学会から依頼された)2名の暴力団員が明代をビルの6階で抱え上げた状態で脅していたところ、誤って落としてしまった」というものだった。「脅していた」ということは、明代の意識ははっきりしていたということを意味しよう。「意識がはっきりしていた」のなら明代は抵抗しただろう。抵抗する大人をたった2人で抱え上げるというのは至難の業ではあるまいか。

 そんな話を教授は創価学会元副教学部長から聞いたという。元副教学部長は、その話を創価学会幹部から「聞いた」とのことである。しかし教授が発表した「目撃情報」を本当に元副教学部長が話したのかがまず不確かである上に、元副教学部長が聞いたという話を創価学会幹部が話したという確証も、創価学会幹部が「犯人」から本当にそのような報告を受けたという確証もない。つまり「行動する保守」Aが聞いたと言い張る「内部告発」と同じ「伝聞の伝聞」の条件をすべて満たした話であることがわかろう。

「伝聞の伝聞」ということは、「行動する保守」Aの例をみるまでもなく、その限りにおいては「与太話」と評価せざるを得ないということである。また、「2名の暴力団員が明代をビルの6階で抱え上げた状態で脅していたところ、誤って落としてしまった」という「犯行の態様」もかなり非現実的で、話自体にも与太話の匂いを十分に漂わせている。

公表しなかった理由

 もちろん、教授が陳述書を提出するに際して、元副教学部長の話にある当事者(「犯人」)に直接会って内容を確認し、同人の証言等の証拠を入手できる(あるいは「できた」)状況にあるとすれば、「伝聞の伝聞」などと一方的に批判することは慎むべきだろう。では、学究の徒であり、最高学府で学生を指導する立場にあるこの教授は、学者として通常は論拠(証拠)として採用しないと思われるこの「伝聞の伝聞」について裏付けを取っていたのだろうか。

 T教授によれば、T教授がこの「伝聞の伝聞」を最初に聞いたのは平成16年7月18日だった。すると、この「伝聞の伝聞」をT教授が法廷に提出したのはそれから9年後であることになる。

 教授が聞いたとする話の内容が事実とすれば、これは明代の転落死を「万引きを苦にした自殺」とした捜査機関の結論を覆すきわめて重大な証言である。教授は最初にこの話を聞いた時点でなぜ公表しなかったのだろうという疑問が出てくるのは当然だろう。

 教授はいうまでもなく学究の徒だから、憶測や伝聞が証拠にならないことは当然承知している。だから教授は学者の倫理として、また社会的責務として、重大な証言ではあるものの、これを「証言」として公表するには裏付けを取る必要があると考えていた――。この重大な「証言」を9年間も放置していた理由として、その可能性も十分に考えられよう。

 仮にそうだとすれば、この9年の間に教授は「伝聞の伝聞」の内容が事実であることの裏付けが取れたということなのだろうか。まただから、社会に向けてもブログでこの重大な「拉致情報」を公表したということだったのだろうか。

(つづく)
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