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『聖教新聞』事件 第58回
ぎりぎりのタイミング

『週刊現代』の記事をめぐり朝木が提訴された時期はまだ、「明代は創価学会に殺された」とする矢野らの主張を無批判に受け入れ、宣伝に寄与する反創価学会ジャーナリストやメディアは多かった。最も矢野らに近い存在だった乙骨はとりわけ『週刊新潮』とも近い関係にあった。

 そんな状況で朝木が「『週刊現代』にコメントはいっさいしていない」などと表明すれば、それまで彼らを信用していたメディアに不信感を与えかねず、「他殺疑惑」宣伝も尻すぼみになる可能性がある。当時、自民党は亀井静香(=当時の自民党組織広報委員長)を中心として創価学会・公明党攻撃を繰り返しており、朝木事件も「他殺疑惑」として政争の具に利用しようとしていた。提訴から1カ月後の平成7年11月、自民党の代議士が国会で事件を取り上げ、「事件性は薄い」と広報した副署長の千葉を名指しで批判した。他人が勝手に「他殺疑惑」ムードを煽ってくれている時期に、「『週刊現代』にコメントはしていない」などと主張するのは得策ではないと矢野は判断したのだろう。

 また、だから矢野は、平成8年8月7日まで『聖教新聞』に対する提訴(すなわちすべての責任を『週刊現代』にかぶせるという態度の表明)を引き延ばした。これは『週刊現代』裁判においても、彼らの方針を明らかにするぎりぎりのタイミングでもあったようにみえる。

 いずれにしても、こうして『週刊現代』裁判と『聖教新聞』裁判は、いずれも「朝木父娘のコメントがあったかどうか」が重要な争点の1つとなり、一方の判断がもう一方の判断に少なからぬ影響を与えるという関係となった。

思いもかけない判決

 先に判決が出されていたのは『週刊現代』裁判の方である。平成11年7月19日、一審の東京地裁は『週刊現代』を発行する講談社に対して200万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じる判決を言い渡した。当時の名誉毀損の慰謝料としては高額の慰謝料だけでなく、謝罪広告の掲載を命じたところに、東京地裁が本件を重大な名誉毀損と受け止めていたことがうかがえた。

 しかしその一方で、東京地裁はきわめて意外かつ不可解な判断を下し、講談社側関係者や傍聴人を驚かせた。裁判のもう1つの重要な争点である『週刊現代』に掲載された朝木父娘のコメントの有無について、東京地裁は「取材さえ受けていない」とする朝木らの主張を排斥してコメントの事実を認定した。

 ここまでは妥当な判断と思われた。ところが東京地裁は、朝木父娘が『週刊現代』の取材に応じて記載されたとおりのコメントをしたとしても、それを記事に採用するかどうかを判断する権限は編集部にあるとして、朝木父娘の責任を認めなかったのである。

 朝木父娘のコメントの事実が認められれば、当然、彼らの責任も認められるものと誰もが予想していた。ところが、コメントの事実を認めながら責任は認めないという判断があり得るとは考えていなかった。その意味で、『週刊現代』裁判の一審判決はきわめて意外なものだった。

 裁判はそれぞれの担当裁判官の独立性が保証されており、形式的には他の裁判官の判断に影響されないことになっている。しかし『週刊現代』事件と『聖教新聞』事件のように背景事情も当事者も密接に重なっており、当事者が一方の判決を持ち出せば、現実的には裁判官も無視することはできないだろうと思われた。

あくまで「コメントしていない」と主張

『聖教新聞』に対する訴状で矢野と朝木は、「『週刊現代』から取材は受けておらず、掲載されたコメントはいっさいしていない」と主張していた。ところがその『週刊現代』裁判で、「コメントはしていない」とする主張は否定された。別の裁判であるとはいえ、『聖教新聞』で創価学会会長の発言が名誉毀損であるとする彼らの主張の根拠の1つは否定されたことになる。

 しかし「『週刊現代』にコメントをしていた」とは認定されたものの、東京地裁はコメントを掲載したことについて朝木父娘の責任を否定している。すると、『週刊現代』の記事に対して創価学会会長が発行元を批判するのは合理性があるとしても、「朝木父娘はコメントの掲載に関与していない」ということになれば、朝木父娘に対する批判は合理的な根拠を欠くという判断もあり得ないことではない--こんな見方も成り立とう。『週刊現代』裁判の判決は『聖教新聞』裁判の判断に影響しないとは言い切れなかった。

 平成12年4月17日に提出した最終準備書面で朝木は改めて次のように主張している。



(『聖教新聞』裁判における矢野側の主張)

 原告大統及び同直子が「週刊現代」への発言をしていないにもかかわらず、括弧書き引用の各発言をしたと決めつけられたことは、全く事実に反し、原告大統及び同直子の品性、名声、信用等に対する社会的評価を低下させるものである。

 すなわち……これら発言をしたと断定されることは、同人らが何らの根拠もなくデタラメな誹謗中傷を行う人物であると断定されるに等しく、かかる印象を一般人に抱かせ、同人らの品性、信用等に対する社会的評価を低下させるものであることは明白である。



 矢野は一度主張したことを自ら撤回することはけっしてない。だから『週刊現代』裁判で朝木父娘の責任が否定されても、コメントの事実を認定されたことを受け入れたわけではなかった。したがって、裁判上は彼らに有利な判断ではあるにもかかわらず、掲載に対する責任を否定した『週刊現代』裁判の判決を『聖教新聞』裁判には援用しなかったもののようにも思えた。

 なぜなら矢野も朝木も、そもそも「コメントはしていない」という主張を引っ込めるつもりはなかった。もはや手遅れかもしれないが、いまさらコメントの事実を認めれば、保身のためなら主張も変えれば、どんな嘘をつくこともいとわない人物であることを自ら認めることになるからである。

(つづく)
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