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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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右翼が再開した「東村山デマ」街宣  その12
地下食堂の珍客

 元東村山市議の山川昌子が矢野穂積と朝木直子(東村山市議=「草の根市民クラブ」を提訴している裁判の第3回口頭弁論が開かれた平成28年2月10日、東京地裁立川支部の地下食堂に天目石という武蔵村山市議がいるのに気がついた。朝木の支援者でもあるらしいこの人物は毎回傍聴に来ているから、今日も傍聴に来たものとみえた。

 この奇特な人物が、この日の裁判の傍聴に「行動する保守」Aを誘っているという情報を耳にしていた。そこで私は食堂に入ると「行動する保守」Aのブログを確認してみた。すると、本当にこんな記載があった。

〈甘目石(=ママ)要一郎武蔵村山市議からのものだった。久しぶりに会いたいという内容で、10日に立川市の裁判所で創価学会員に訴えられた朝木直子東村山市議の裁判が面白いから見に来ないか……という内容だった。〉

「行動する保守」Aによれば、この武蔵村山市議はこの裁判を「面白い」と思っているらしかった。誘いを受けて、「行動する保守」Aは福島に帰るのをわざわざ日延べして東京に1泊したという。

 しかしそうはいっても、本当に裁判所に来るのだろうか、どこまで本気なのかわからないというのが率直な思いだった。会うためなら、なにも裁判所である必要もない。

 また、「行動する保守」Aは平成26年8月31日に東村山駅前で行った街宣で、朝木直子と矢野穂積から縁切りを通告されたと受け取れる内容の発言をしている。ブログの記載からはこの裁判の内容を調べた様子もうかがえない。

 そんなブログをスマホで確認し、顔を上げると、だいぶ離れた食堂の奥の方で天目石が食事をしているのに気がついたのである。で、より注意深く見ると、その手前に、こちらから見ると向こう向きだが、天目石のテーブルを挟んで向かい側に白髪の人物が座っているのが確認できた。

「天目石から誘われた」とブログに書いた、「行動する保守」A本人だった。ブログに掲載している前日の街宣の写真そのままの服装だった。

「内部告発」の末路

 東京地裁立川支部は「行動する保守」Aにとって思い出深い場所のはずである。その端緒となったのが平成20年7月29日、JR八王子駅前で行った街宣だった。朝木明代の万引きを苦にした自殺をめぐり、「行動する保守」Aはこれを謀殺事件であると断定し、こう演説した。

「私がなぜこの事件を取り上げてこのような訴えに立ち上がったのか。それは内部告発です。現職の警察官から、『この事件をこのままにしておくことはできない。これは自殺などではなく殺人事件であり、3人の犯人と思われる人物の特定もなされていました。しかるに、創価学会の信者とみられる検察官からの捜査打ち切りによって真相は闇の中へと閉じ込められたのです』」

 こんな現職警察官による「内部告発」があったと。この街宣の影響力は大きく、多くの支援者を集めた。

 なおこのとき、「行動する保守」Aは矢野に共闘を求めたが断られている。それでも「行動する保守」Aは「内部告発」を信じ、街宣を挙行したのである。

「行動する保守」Aなりに、よほどの自信があったのだろう。「行動する保守」Aは「100%の確信をもってこの事件を取り上げた」とブログに記載している。

 東村山駅前で行った街宣活動では「行動する保守」らが捜査を指揮した元東村山警察署副署長、千葉英司に対して様々な誹謗中傷を行い、朝木明代の万引き被害にあった洋品店に押しかけ罵声を浴びせる騒ぎも起こした(「洋品店襲撃事件」)。「行動する保守」Aが開催したシンポジウムで東村山市議の矢野穂積が「洋品店に抗議の電話をかけるのが効果的」などと発言したことも「行動する保守」らの妄想をより拡大させた。こうして以後、洋品店は数年にわたり「行動する保守」の嫌がらせにさらされ、「行動する保守」が東村山で街宣するたびに閉店を余儀なくされたのである。

 その後、「行動する保守」Aの「内部告発」を信じた西村修平、右翼M、行政書士が相次いで提訴され、損害賠償金を支払わされる事態に追い込まれたが、「行動する保守」Aは「内部告発」をいっこうに「謀殺の証拠」として具体化しようとしなかった。そのはずだった。「行動する保守」Aは自分が千葉から提訴された裁判で、「内部告発」が「警察官から『そう聞いた』と聞いた」という「伝聞の伝聞」にすぎないものであることを自白したのである。

「行動する保守」Aが「聞いた」というのが事実としても、その「警察官」も誰かから「聞いた」というのだった。これでは仮にこの「警察官」がなんらかの「証言」をしたとしても、それもまた伝聞にすぎず、証拠能力はない。「警察官」が「聞いた」とする相手でさえ、実際に見たという保証もない。つまりこれは、いわゆる与太話のたぐいということになる。これがかつてブログで「100%の確信がある」と大言壮語した話の実態だった。

矢野のコメント内容に酷似

 これでは「内部告発」を証拠化することなどできるはずがない。「行動する保守」Aの認識はともかくとして、「行動する保守」らが何年にもわたって信じ切っていた「内部告発」とはこのような代物だった。矢野はこの「内部告発」が平成8年に自分自身が週刊誌にコメントした「目撃情報」に酷似していることがわかっていた。

 だから、その後この「目撃情報」についていっさい触れていない矢野は、最初から「行動する保守」Aの「内部告発」には近づこうとしなかった。いずれは矢野自身が追及されることになる可能性があることを察知したのではないかと私は推測している。

 矢野にとっても聞かれては困る話であるということにほかならなかった。「行動する保守」Aが突然主張し始めた「内部告発」によって、矢野のデマの1つがクローズアップされたと言い換えることもできようか。「行動する保守」Aの自白によって、改めて矢野のデマがどれほど人心を欺き惑わせてきたかがより鮮明となったのである。そんな矢野の事情を「行動する保守」Aがどこまで認識していたかは定かでない。

 その「行動する保守」Aは、平成15年8月と9月の2回にわたり、あたかも「内部告発」がまんざら嘘でもなかったことが証明される可能性があるかのような街宣を行っている。その話は、その後どうなったのだろうか。

(つづく)
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