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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『聖教新聞』事件 第59回
ハシゴを外された週刊誌

『週刊現代』裁判で一審の東京地裁は朝木父娘の責任を認めず、朝木は損害賠償責任を免れた。しかし、「『週刊現代』の取材は受けておらず、コメントはしていない」とする主張は否定された。裁判は異なるものの、『聖教新聞』裁判における上記の主張も否定されたことになる。

 大手メディアが複数人のコメントを何カ所にもわたりでっち上げることは通常では考えにくい。朝木明代が転落死を遂げた直後、多くのマスコミ関係者が矢野や朝木に取材しており、各誌の記事をみると、はっきりと「創価学会に殺された」とまではいわないまでも、少なくともそれを匂わせる発言をしていたことがうかがえる。『週刊現代』以外のメディアや記者の中にも、矢野や朝木の訴えに信憑性があると考えていた者もいたのである。

 中でもとりわけジャーナリストの乙骨正生は明代の万引き事件当時から親交があり、最も早い段階で矢野らの主張を聞いていた。乙骨は「朝木さんが殺されました」という矢野からの電話によって明代の転落死を知ったほどである。

 乙骨は『週刊現代』にもコメントしており、まさか同じ記事に掲載された朝木父娘のコメントが捏造とは考えられなかっただろう。だから、裁判の途中になって朝木が「コメントはしていない」と主張しはじめたことには驚き、困惑するとともに大きな違和感を覚えたことは想像に難くない。

『週刊新潮』、『週刊文春』も『週刊現代』ほど直接的な表現ではないものの、「創価学会の関与」を匂わせる記事を掲載し、そこには矢野と朝木もコメントしている。すると、朝木が「『週刊現代』の取材は受けておらず、コメントはしていない」と主張したことは、『週刊新潮』や『週刊文春』にも大きな不信感を与えたとしてもなんら不思議はない。最近、とみに評価が高いあの『週刊文春』さえ、矢野と朝木の嘘に操られたわけである。

 実際に、のちに創価学会から提訴された『週刊新潮』は矢野と朝木に証言を依頼する予定だった。しかし弁護士の様子では、途中までは協力的な様子だったようだが、最終的に証言を断られている。裁判官から「矢野さんだけでなく、朝木さんも証言してくれないんですか」と聞かれた弁護士は「急に証言できないということになりまして」と返答に窮していた。

「明代は万引きはしておらず、自殺もしていない」とする主張に根拠があるのなら、堂々と出廷して証言すべきである。ところが矢野も朝木も、尋問の直前になって証言を断った。この時点で『週刊新潮』の敗訴は決定的となった。矢野と朝木以外の誰が出てきても、しょせんは彼らの伝聞にすぎないからだった。

 かたちこそ違え、ハシゴを外されたという点では『週刊新潮』も『週刊現代』と同じ目にあったといっていいかもしれない。『週刊新潮』もまた200万円の支払いを命じられている。

自慢のアイデア

「コメントもしていない」と主張することは、それまで味方だったはずのメディアを裏切ることになるのは明らかだった。しかしそもそも、矢野の判断基準において常に最優先されるのは利害以外にはない。矢野にすれば、コメントの事実を否定することは、『週刊現代』裁判では責任を免れ、『聖教新聞』裁判においては創価学会の鼻をあかす一挙両得の、自慢のアイデアと自負していたのだろう。確かに、普通の人間には真似のできないアイデアであることは認めざるを得ない。

『週刊現代』が提訴された直後、打ち合わせの席で矢野は「〈「朝木明代は創価学会に殺された!」〉と断定表現をしたのはまずい」と述べていたという。このタイトルでは、普通に考えて敗訴は免れない――矢野は冷静にそう判断していたのである。常識的な判断だった。

 だから、「コメントはしていない」という主張となった。それなら真実性・相当性の主張も立証もする必要はないし、すべての責任は『週刊現代』に押しつければよい――そう考えたのだろう。

『週刊現代』の記事をめぐって創価学会から提訴されたことは、矢野と朝木の側に「明代は殺された」とする主張になんらかの根拠があったとすれば、これほど社会にアピールでき、また注目を集める舞台はない。

 しかし彼らはあれほど「他殺」を主張していたにもかかわらず、それをアピールし証明する絶好の機会を放棄した。矢野にも朝木にも「創価学会に殺された」などとする主張に客観的根拠などなかったということを裏付けていよう。

コメントをめぐる判断

 矢野会心の思いつきにもかかわらず、『週刊現代』裁判で朝木父娘が掲載されたコメントをしていたのは事実と認定された。しかし『聖教新聞』裁判で、矢野と朝木は依然として「コメントはしていない」とする主張を変えなかった。

 客観的にどうみても分が悪いと思われる主張でも、いったん口に出した主張は絶対に撤回しない矢野の本領でもあった。これに対して東京地裁はどんな判断を示したのか。

 朝木らは「『週刊現代』が証言する取材日時には不在だったから、掲載されたコメントをするはずがない」などと主張していた。これに対して創価学会側は『週刊現代』裁判における『週刊現代』記者の陳述書を証拠として提出。東京地裁は『週刊現代』が主張する朝木に対する取材状況や取材内容の信用性を認め、また矢野と朝木が『東村山市民新聞』などでも「明代の転落死に創価学会が関与していると考えていたことがうかがえる主張を繰り返した」ことなどをふまえ、次のように結論付けた。

〈原告朝木らは(『週刊現代』)記者に対して原告朝木ら発言をしたものと認めるのが相当であり、右発言が本件週刊現代記事に掲載されることによって、被告創価学会の名誉が毀損されたものであるから、本件記事は朝木ら発言に対する反論でもあるということができる。〉

『聖教新聞』裁判でも東京地裁は「『週刊現代』にコメントはしていない」とする矢野と朝木の主張を否定した。それだけでなく、〈右発言が本件週刊現代記事に掲載されることによって、被告創価学会の名誉が毀損された〉と述べている点はより重要であるように思われた。

 なおこの結論に至る過程で東京地裁は、『週刊現代』の編集権と朝木父娘のコメントの採否の問題についてはいっさい触れていない。『週刊現代』の取材は一定の信頼関係の下で頻繁に行われており、朝木の側も掲載されることを想定してコメントしているという判断だったのではあるまいか。

(つづく)
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