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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『聖教新聞』事件 第62回
万引き被害者を裁判に巻き込んだ矢野

『聖教新聞』裁判では、創価学会や警視庁だけでなく、「『聖教新聞』に明代とわれわれの名誉を毀損する記事が掲載されたのは洋品店主が『万引きをしたのは朝木明代だ』とする虚偽の証言をしたことに起因している」(趣旨)などとして、万引き被害者をも提訴の相手として裁判に巻き込んでいた。矢野が提訴した『聖教新聞』の記事に直接店主が証言していたのならわからないでもない。しかし、『聖教』の記者は店主に直接取材して証言を掲載したのではなく、すでに『夕刊フジ』に掲載されていた証言を引用するかたちで掲載したのだった。

 店主に対しては、朝木明代は窃盗(万引き)容疑で書類送検された直後、すでに虚偽告訴罪で店主を告訴していた。すると、万引きの事実を争おうとするだけなら、直接証言したわけでもない記事を提訴するにあたり、あえて店主まで提訴する必要があったのかという疑問は拭えない。

 矢野は明代が書類送検された直後から彼らの政治宣伝紙『東村山市民新聞』で「万引きは店主のでっち上げで、背後に創価公明が暗躍している」などとする趣旨の記事を掲載し、万引き事件があたかも明代を陥れようとする陰謀であるかのように宣伝していた。万引き事件が「冤罪」で、その背後に政治的謀略があったと印象付けたい矢野とすれば、『聖教新聞』すなわち創価学会を提訴した裁判に万引き被害者をも提訴したことには、たんに「虚偽の主張をしている」という以上の思惑があったのではあるまいか。

 明代の「潔白」が証明されたというのなら、誰がみても店主を提訴したことには当然の理由があったと判断されよう。しかし、現実はそうではなく、捜査機関は明代の万引きを認定し、店主に対する明代の告訴は告訴人の死亡により不起訴となっている。これでは万引き被害者に対する提訴には仕返しの意図があったのではないかといわれても仕方があるまい。店主が被害届を出さなければ、明代が窃盗罪に問われることはなかったのである。

洋品店主に対する判断

 本件記事に掲載された万引き被害者の証言は『夕刊フジ』に掲載されたものを引用したものである。結論からいえば、一、二審とも店主に対する請求を棄却したが、コメントとそれが掲載されることに対する予見性をめぐり、一審と二審では判断理由が分かれた。この「予見性」については『週刊現代』裁判でも、コメントをした朝木父娘の責任の有無をめぐり判断の分岐点となった。

 では、洋品店主の証言に対する判断はどうだったのか。

 一審の東京地裁は、「公的機関による記者会見での発表などとは異なり、報道機関の取材に対する個人の証言は、取材を受けた私人と報道機関との間で意思を通じていたような場合は別として、報道機関の取捨選択や裏付け取材などによって修正等が行われるもので、証言がそのまま記事になるとは考えないのが通常であり、まして取材を受けたメディア以外のメディアによって自分の証言がそのまま記事として掲載されるとは、およそ予見できない」(趣旨)と述べ、被害者の証言と『聖教新聞』記事との間に相当因果関係を認めなかった。

 ただ、いかに東京地裁が相当因果関係を認めなかったからといって、メディアに虚偽の情報を提供することによって事実とは異なる情報を世間に流布しようと企む者がまったくいないとは言い切れない。『週刊現代』の取材に対する朝木父娘や矢野のように、最初から明代の万引きを苦にした自殺という事実を隠蔽し、創価学会と万引き被害者、さらに東村山署(とりわけ千葉)に対する疑惑を持たせることを意図してメディアに対応した例もある。

『週刊現代』裁判では、一審の東京地裁は、記事の根幹をなしているのが朝木父娘のコメントであることおよびその主張する内容に真実性がないことを認定したにもかかわらず、コメントと記事の相当因果関係を認定しなかったために、朝木父娘に対する損害賠償責任を否定した。これでは、証言と報道機関との間で最初から意思を通じていたことが立証できなければ、いかなる虚偽情報であろうと、それもメディアに対して悪意をもって提供したことが明らかな場合でも情報提供者の責任は問われないということになるのではないか--。この判決は、理論上は、そのような危惧を抱かせるものだった。

 東京地裁はそのことが気にかかっていたのか、最後にこう付言した。

〈なお、被告○○(筆者注=洋品店主。以下、同)の本件窃盗被疑事件の認識についても、被告○○がA女は亡明代ではないと知りながら、被告創価学会と意思を通じて本件届け出をしたり、本件○○発言をしたことをうかがわせるような証拠は何ら存在しない。〉

 つまり東京地裁は、店主の証言が自らの体験に基づいてありのままを証言したものであり、悪意あるものではないと認定したのである。東村山署の捜査状況もふまえ、被害者の証言の信憑性を暗に認めたものとみることもできよう。

 万引き被害者からすれば、証言の真実性についてもう少し踏み込んだ判断があってもいいと思われたかもしれない。しかし裁判の争点はあくまで名誉毀損の有無であり、証言と記事との相当因果関係を否定した以上、証言の真実性についてそれほど深く言及する必要はないという判断だったのではあるまいか。

 請求に対する判断において、前段の「証言者と報道機関の間で意思を通じていたかどうか」に関する理論と後段における被害者の証言に対する認定が理論として必ずしも噛み合っているとは思えないが、東京地裁としては、両論を併記することによって請求棄却のより確かな根拠にしようとしたのではないかと思われた。

(つづく)
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